【講談社】
『つきのふね』

森絵都著 



 私がこの書評を書いている時点において、「恐怖の大王」が降ってくるまで、すでに二ヶ月を切ってしまっている。だが、ほんとうは、おそらく誰もが知っている。1999年7の月になったところで、「恐怖の大王」など降ってはこない、ということを。小さい頃から、絶対不変だと信じ込まされてきたさまざまな価値観が次々と崩壊していくのを、私たちはあまりにもまのあたりにしすぎたのだろう。あてにならないものに取り囲まれたこの世界で、何を信じて生きていけばいいのかもわからないまま生きていかなければならない――今を生きる私たちにとって確実なのは、あるいはこうした夢も希望もないような見解だけなのかもしれない。

 本書『つきのふね』には、ひとりの青年が登場する。彼の仕事は、アパートの自室で宇宙船の設計図を書くこと。人間も含めた地球上の全生物を乗せて地球を飛び立つ日のために、彼は来る日も来る日も設計図づくりに没頭する。なぜ、そのような設計図をつくらなければならないのか、誰がそんな設計書を必要としているのか――だが、心ならずも幼なじみを裏切り、そんな自分に絶望していた女子中学生の鳥井さくらにとって、それはたいした問題ではなかったのかもしれない。なぜなら彼女にとって、善人も悪人も受け入れようとしている戸川智のアパートは、誰かに何かを詮索されることなく落ち着ける逃げ場所であり、それだけで充分だったから。

 人の弱さ、そして人の強さ――本書を読むと、つくづくそんなことを考えさせられてしまう。幼なじみの中園梨利との仲を取りもどすためのもう一歩を、どうしても踏み込めずにいるさくら、自分の弱さを認めながら、その弱さにおぼれてしまっている梨利、そんなふたりの仲を取り持つことで、自分の乱れた心を落ち着かせたい同級生の勝田尚純、そして、誰も必要としない、必要だったとしてもとうてい実現不可能な宇宙船の設計図づくりに悩み、苦しんで、徐々に自分を見失っていく戸川智――彼らを悩ませ苦しめているものは、あるいはなんてことのない、ごくありふれた事柄であるのかもしれない。だが、あてにならないもので溢れてしまっているこの世の中で、それでも人は、何かにこだわりを持って――たとえそれがどんなに些細で危うい事柄であったとしても――生きていく他にない。そしてその些細な事柄は、ちょっとしたことで容易に崩れてしまい、そしてその度に、人の心は容易に傷ついていく。昔のことなど、私にはわからない。だが、たしかに今の世の中は、ただ生きていくというだけでも大変なことなのかもしれない。

 生きるだけで大変な時代――人が簡単に絶望してしまったり、自分を見失ってしまったりする時代のなかで、それでも、本書の登場人物たちは生きていくことを選んでいく。輝かしい21世紀など、おそらくやってはこない。一瞬先のことでさえ、さだかではない。誰も頼りにならないし、自分自身の気持ちさえ、どう変わってしまうのか、わからない。もし、今の時代が抱えるあらゆる問題がいっきょに解決する方法――それこそ、智が考えているような宇宙船をつくるような方法――があるとすれば、それはまさに奇跡と言うべきことだろう。だが、さくらも梨利も尚純も、そしておそらく智自身も、そんな奇跡を待っているわけではないし、奇跡など期待してもいない。宇宙船設計の難航のはてに行方をくらませた智を探して自転車をこぎながら、さくらは確信する。

 たぶんあたしたちはどんな奇跡も夢見てはいなかった。
 ただ、どこにでも転がっているごくありふれた現実を、ささやかな平和を、とりもどしたいだけだった。

 「生きることが大切なんだ」とか「この世界もまんざら捨てたもんじゃない」とか、そんな大上段にかまえた主張があるわけではない。ただ、一度絶望してしまった人が再び立ちあがり、前へ進んでいくのに必要なのは、ほんのささやかな何か――何気ない言葉や何気ない行動、そしてなんてことのない約束を守ること――さえあればいい。たとえ、他人にとっては何の価値もないようなことであっても、本書『つきのふね』の登場人物たちにとって、それは確かに「小さいけどとうとい」ものであるのだから(1999.05.13)

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