【小学館】
『モンタナ・ジョー』

村上早人著 



 ページを開いてまず飛び込んでくるのは、まるでKKK(クー・クラックス・クラン:白人至上主義団体のひとつ)を思わせるような、目の部分だけをくりぬいた頭巾で頭をすっぽりと覆っている、ひとりの男の写真である。もっとも、その頭巾も服装もすべて黒で統一されており、KKKの白装束とは違うことがそこからわかるのだが、その全身を包む黒い色は、ある意味でその男の、それまで生きてきた人生を象徴していると言える。

「影の男」「静かに歩く男」という異名のもと、アメリカ有数の犯罪都市シカゴのなかで、イタリアン・マフィアの大幹部にまでのしあがった日系人――本書『モンタナ・ジョー』は、モンタナ・ジョーこと衛藤健の、そんな波乱に満ちた生涯を描いたノンフィクションであり、上述した写真は、彼が1985年4月22日にシカゴで行なわれた公聴会で、それまでアメリカ政府がその存在を否定しつづけてきたマフィアの全貌を語るモンタナ・ジョーの姿を写したものである。「沈黙の掟」で固く結ばれた犯罪者集団であるマフィアでありながら、最後にはその組織全体をFBIに売り渡すに等しい裏切り行為をおこなうにいたったモンタナ・ジョーとは、いったいどういう人物で、また、自分の命が危険にさらされるのを覚悟してまでマフィアの全貌を暴露した理由は何なのか。本書はそうした問いから生まれたノンフィクションだと言ってもいいだろう。

 マフィアという言葉は、今では日本のヤクザなどもふくめた、大規模な犯罪組織の総称としても使われているが、もともとはシチリア島やコルシカ島で発生した、秘密結社的な要素をもつ犯罪組織のことを指している。そしてそれゆえに、マフィアの元祖ともいうべきイタリアン・マフィアたちは、なによりイタリア系の純血を重んじる傾向がある。日系二世としてアメリカで生まれ育った衛藤健は、両親とも日本人であり、その姿は日本人そのものだ。そんな彼がマフィアの世界でのしあがっていく姿が、どれだけ前代未聞のことであり、また奇異な感じを与えるものであるかは、たとえば私たち日本人が、日本のヤクザのなかに外国人が混じっている姿を想像するのがいかに難しいかを考えてみれば、わかることと思う。

 そもそも、本書のサブタイトルにも「マフィアのドンになった日本人」とあるように、モンタナ・ジョーという人物のことを語るときには、とかく彼のマフィアとしての部分ばかりが注目されがちであるし、それはある意味で仕方のないところではあるが、少なくともこのサブタイトルは、著者の意図をあまりうまく反映していないと言わなければならないだろう。なぜなら、まずモンタナ・ジョーは、自身がアメリカ人だと思っているからであり、また本書を読んでいけばわかることであるが、モンタナ・ジョーは、たとえば彼をはじめてマフィア相手の賭博ディーラーに抜擢し、周囲から「まるでマフィアになるために生まれてきた男だ」とまで言われたレイモンド・ロレータ・パトリアルカのように、マフィアになるべくしてなったわけではないからである。モンタナ・ジョーがマフィアとなり、その世界で巨大なファミリーを築いていったのは、季節労働者として広大なアメリカを転々としているときに磨きをかけたイカサマ博打の才能が、当時のマフィアの、資金源を効率よく集めたいという思惑と一致したからであり、何より彼自身の強運、そしてその強運を呼び込む、力強く挑戦的な精神が、ジョーを命拾いさせた結果でしかなかった。少なくとも、著者はそんなふうに彼をとらえようとしているし、そのとらえかたはたしかに的を射ている。

 アメリカという国で生まれ育ち、星条旗のもとで国への忠誠を誓う教育を受けてきたにもかかわらず、両親が日本人であるという、ただそれだけの理由でことあるごとに受けてきた「ジャップ」という蔑みの言葉と迫害、太平洋戦争中の、有無を言わせない強制収容所での不自由な生活、そして日系人兵士としての志願と、そのことによって同じ日系人からさえ裏切り者扱いされてしまうという二律背反――私たちが本書から読みとることができるのは、日本で生まれ、日本人であるというアイデンティティに疑問すら感じることもなく育った私たちには到底想像することもできない精神的苦悩と、不条理で理不尽な世の中に対する払拭しがたい怒り、そして、どこかでやすらぎを求めてやまない狂おしいまでの心の渇きである。

 どんなに強く自分のことをアメリカ人だと思っていても、日系人ということで、外部からは色眼鏡で見られてしまう。自分が背負ってしまっているそんな運命のやりきれなさに、ジョーは虚しささえ覚えていた。

 本書は基本的にモンタナ・ジョーという人間に迫るノンフィクションであるが、ときにまるで小説であるかのような描写が差し挟まれたり、登場人物たちの過去やシカゴ・マフィアのシカゴにおける遍歴について長々と説明したりと、読者によってはもどかしく、またつかみどころがない感じを受ける部分もあることはたしかだ。だが、モンタナ・ジョーをはじめとする彼のファミリーたちの過去をあきらかにし、そしてシカゴ・マフィアの抗争の歴史と、そこに否応なく巻き込まれて、ひとりまたひとりと命を落としていく様子を丁寧に描写することによってしか、モンタナ・ジョーという、複雑な経歴と精神の持ち主であるひとりの人間を描けなかったと考えるなら、それはかえってモンタナ・ジョーの生き方のすさまじさを思い知らせる大きな要素ともなりえる。

 モンタナ・ジョーは1985年4月22日の公聴会以来、二度と公の場に姿を現わすことはなくなった。自身を取り巻く劣悪な環境に反抗し、ひたすら自由であることを求めて生きたジョーは、たしかに誰よりもアメリカという自由の国を象徴していると言ってもいいだろう。本書のプロローグに書かれていた、著者が想像するモンタナ・ジョーの余生の姿は、あるいは著者が彼の人生の激烈さを知ったうえで、なおかつ手に入れてほしいと願わずにはいられなかったやすらぎを示しているのかもしれない。(2005.01.19)

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