【中央公論新社】
『物語が、始まる』

川上弘美著 



 タイトルに魅かれたのである。それで、読んでみようと思ったわけなのである。
 表題を含む四つの短編集なのだが、その四つに共通して言えるのは、どの作品も不思議なまでに現実感がない、ということだ。たしか、芥川賞受賞作『蛇を踏む』でも、童話のような、とかいった選評があったのを覚えている。作者が意図して作品から現実感をなくそうとしているのは、たとえば『トカゲ』の中の登場人物を「斜め向かいの一軒家に住むヒラノウチさん37歳」とか「マナベ家長女8歳」とかいった表現で説明しているのを見てもわかる。

 この物語は「現実世界を舞台とした、非日常的な出来事を扱う物語」である。以前の書評で、この手のタイプはいかに「嘘っぽい感じ」を読者に持たせないかが問題となる、と書いた。私ははじめ、「なんてリアリティーのない小説なのだろう」と思いながら、それほど思い入れもなく読んでいったのだが、読み終わってふと、もしかすると、全体を「嘘っぽい感じ」で満たしておいて、その中にポチャン、と現実のかけらを投げ入れることで、投げ入れた現実をいっそう真実味のあるものにする、という表現方法もあるのかもしれない、ということに気がついた。その効果がどの程度成功しているのかはともかくとして、この美人女性作家は、思った以上にやり手なのではないだろうか、と。

 表題にもなっている『物語が、始まる』は、生きている雛型を拾う女性の話である。拾われた雛型は最初こそ動きも言葉遣いもぎくしゃくしているが、女性と暮らしていくにつれて、雛型はどんどん成長し、成長とともに人間であるかのように動き、喋り、考えるようになる。物語全体に漂う「嘘っぽい感じ」のなかで、成長していく雛型の姿は、雛型でしかないにもかかわらず、いや雛型であるがゆえに、ひどく生々しく映る。そのとき読者は、単なる雛型を拾う話のなかに、人と人とが出会い、親しくなり、そして別れていくという当たり前の現実を見出すことだろう。そしてあらためて『物語が、始まる』という表題の意味を考えさせられることになる。

 『トカゲ』は、幸運を招くトカゲを育てるうちに、どんどん大きくなってしまうという話。『婆』では、ちょっと人間離れした婆さんがいきなり他人を自分の家に入れるし、『墓を探す』では、無量百万の先祖の霊がつきまとう。この本に収録されている作品には、どれをとっても現実ではありえないことが書かれている。そして、そのことに対する説明があるわけでもなく、登場人物たちもその異常な出来事に何の疑問も持たない。ただ、それを受け入れて生活していくのである。だが、あるいは私たちもまた、この世界がも、わかっているようでいて、実は本当にわかっていることなどほとんどない、ということに気づくとき、これらの現実味のない物語の中に投げ込まれた現実のかけらを見出すことができる。

 童話というのは、人間として守らなければならない規範を子供達にわかりやすく説明するために生まれたものだ、ということを何かの本で読んだ事がある。著者である川上弘美さんがこれらの小説にこめたものの真実はわからないが、あるいは、今の私たちがすっかり忘れてしまった、でもひと昔の日本ではごく当たり前だった「現実」がこめられている、と解釈するのは、あるいは私の深読みだろうか。(1998.10.19)

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