【講談社】
『一瞬の風になれ』

佐藤多佳子著 
第四回本屋大賞受賞作 



 どれだけ素晴らしい才能を秘めていても、その才能がかならず大成するとはかぎらないし、どれだけ多くの努力を積み重ねてきても、その努力がかならず結果と結びつくとはかぎらない。いや、もしかしたらきちんと開花する才能やきちんと結果の出る努力のほうが、世の中にはまれなことなのかもしれない。その残酷な事実は、ともすると人が前に進んでいくための歩みを鈍らせ、あるいはその足を止めさせてしまうこともあるが、そうした事実を受け入れてなお、人が未知の領域へと果敢に挑んでいくためには、ひとりの人間の力ではおよばない、より大きな何かが必要なのではないか、とふと思うことがある。

 もちろん、『神々の山嶺』のクライマー羽生丈二や、『19分25秒』の片足の競歩選手のように、あくまで孤高を貫きつつもとてつもない記録に近づいていける人たちもいなくはないが、それは、彼らがまさに自分自身の全存在、命を含めた何もかもをひとつのことに振り向けるだけの、狂気に近い情熱を背負っていたからこそのものであり、誰もが自身の精神をそこまで追いつめることができるわけではない。どこか遠い場所に目的地があったとして、その長い道のりをたったひとりで歩いていくよりは、誰かもうひとりが一緒にいてくれたほうが心強い。誰でもいいというわけでもないし、人数が多ければ多いほどいい、というわけでもない。だが、たとえば私は中学時代に陸上部に所属していたが、たいした記録を残すこともできなかった私が、それでも最後まで部活をつづけることができたのは、私のまわりにいた部員たちの存在が大きかったと今になって強く実感している。

 自分を支えてくれる誰か、そして自分もまた、知らないうちに他の誰かを支えている、という人と人とのつながり――本書『一瞬の風になれ』は、ふたりの高校生のスプリンター(短距離走者)としての成長を描いた青春小説であるが、このふたりの高校生、神谷新二と一之瀬連のそれぞれの性格とその関係に目を向けたとき、この物語のなかで何より強調したいテーマが浮かび上がってくることになる。

 本書で語り手となっている神谷新二は、父が高校時代の国体選手、母がコアなサポーター、そして兄の健一が天才的なサッカープレーヤーで、Jリーグ入りも有望視されている逸材という、サッカー一家のなかにあってあたりまえのようにサッカー選手を目指していたが、しかしいくら練習を積んでもなかなか上達せず、また兄との比較もあって自分のサッカー選手としての才能に絶望していたという背景をかかえている。そして一之瀬連については、驚異的な身体能力をもっていながら、自分が特別視されたり注目されたりするのが嫌いという偏屈者であり、また偏食やゲームで夜更かしといった不摂生が好きな分、何かと拘束されるようなことが苦手で、過去に陸上や体操でおおいに期待されていたのに、それを裏切るように辞めてしまうという過去を負っている。

 小さい頃から親友で、なにかとよくつるんで遊んでいたふたり――新二と連がいろいろな意味で対極を成す位置に立っているというのは、本書を読んでいけばおのずとわかってくることであるが、そのもっとも典型的で、そしてある種もっとも重要なエピソードが、公立の春野台高校における、陸上部入部のいきさつだ。才能があって、しかも努力することを怠らない完璧な健一とは異なり、自分にはない才能をただ浪費しているように見える連に、陸上部に入って走れと誘った新二に対して、連は新二も走るなら、と条件をつけた。じつはこの後、新二にも連とはまた違ったタイプのスプリンターとしての才能が隠されていることがあきらかになり、「未完の大器」である新二の成長が、本書における物語の大きな流れのひとつとなっていくのだが、連が陸上部顧問の三輪先生よりもずっと前に、新二の才能を見抜いていたとするなら――そして幼なじみという関係上、その可能性は非常に高いのだが――連が新二を陸上部に引き入れたのは、新二が連を陸上部に引き入れた理由とまったく同じものだと言える。なぜなら、連がその才能をもてあましているのと同じように、新二もまた、サッカーという球技へのこだわりゆえに、その本来の才能を開花させられずにいたからである。そしてそのことを、連が以前から苦々しく思っていたとしても不思議ではない。

 不思議だ。健ちゃんの凄さは俺からやる気を奪った。連の凄さは俺の闘志をかきたてる。連が健ちゃんみたいに完璧じゃないから? 俺が自分の潜在的なスプリント力に希望を持っていられるから? 両方ともそう。でも、それだけじゃない気もする。もっと何かがある。

 新二の一人称によって物語が進んでいくため、ともすると連のスプリンターとして凄さばかりが強調されるし、じっさい新二はいつも連の背中ばかりを追いかける形で走ることになるのだが、連もまた、同じくらい新二のことを見ているし、また自分と同等のライバルと見なしている部分がある。完璧なフォームで走り、どんな大きな大会でも飄々としていて、ふだん何を考えているのかよくわからないし、またそんなことを顔にも口にも出さない、変わり者の連――私は神谷新二と一之瀬連というふたりの登場人物が、物語のなかで対極に位置していると書いたが、対極に位置するためには、このふたりが同等の力をもつ必要がある。新二にとって兄の健一は、けっして届かない高みの存在であったのに対して、連は同じ天才でありながらも、それ以前にともに「かけっこ」をすることができる、気軽にそばにいられる存在として書かれている。そういう意味では、本書は新二が陸上短距離という世界において、名実ともに連と同じ位置に立つまでを描いた物語であると言うことができる。そしてそれは、他ならぬ新二が連に対して、あくまで陸上という競技における「怪物」から、自分と対等な「人間」へと評価を変えていく物語でもある。

 大きな大会で、強豪たちとともに走ることのプレッシャー、故障というアクシデント、リレーにおけるちょっとしたバトンミスの恐怖、最高の走りをするための心身の調整、あるいは100mを10秒台で走るための、科学的とも言うべき肉体の使い方など、ただ早く走ればいいと思われがちな短距離の世界の奥深さを、新二の成長を通じて教えてくれる面白さももちろんあるが、何より新二の一人称であるがゆえに見えてくる、新二の成長ぶりの描き方が秀逸だ。たとえば、同じリレー本番のときの心理描写にしても、はじめての大会のときはただがむしゃらに応援したり、わけのわからないままいつのまにかゴールしていたり、といった描写ばかりだったのが、三年の大会ともなると、自分の走り方を頭の中でチェックしたり、仲間の走り方がどれだけの調子なのかをきちんと見据えるような描写が多くなっている。物語のなかの時間の流れ、そして登場人物の成長ぶりを、タイムという記録だけに頼らず、コツコツと積み重ねていったと思わせる筆力が本書にはたしかにある。

 連のライバルとも言うべき鷲谷高校の仙波一也との対決や、後に春野台高校に入学してくる個性的な後輩たち、そして新二が淡い恋心をいだく同じ部の谷口若菜――まさに青春小説の要素をめいっぱい詰め込んだ本書において、新二と連たち陸上部員がどんな栄光をつかみとることになるのか、ぜひともたしかめてほしい。(2007.03.03)

ホームへ