【角川春樹事務所】
『蜜姫村』

乾ルカ著 



 川というのは、自然における水の循環の一形態であり、常に川上から川下へと流れていくものであるが、そうして流れていった水は海上で熱せられて水蒸気となり、それが集まって雲になり、やがて地上へと流れて雨をもたらす、という形のサイクルのなかに組み込まれているからこそ、川は川でありつづけることができる。川がその水の流れから切り離されてしまうと、それはもはや川と呼ぶことはできない。蛇行する川が洪水などで急激にその流れを変えられたときに、その一部が取り残されてしまうという自然現象があるが、それは川ではなく「三日月湖」と呼ばれるようになる。そしてこの三日月湖は、どこからも水が流れてはこないし、どこへも水が流れていかないがゆえに、少しずつ蒸発して最終的には干上がってしまう運命にある。それはその湖の死を意味する。

 たえず循環し、変化しつづけていくという自然の仕組みは、当然のことながら私たち人間社会においてもけっして無関係ではない。貨幣が流通し、情報が回転していくことで維持されていく人間社会は、そうした流れから切り離されてしまうと、いずれは衰亡していくことから逃れることはできない。本書『蜜姫村』は、陸の孤島と呼ばれる滝埜上村仮巣地区を舞台とした作品であり、その秘境において古くから守られていたある秘密をめぐる物語でもあるのだが、本書全体の流れを俯瞰したときに見えてくるのは、まるで川の流れから取り残され、停滞することを余儀なくされた三日月湖のごとく、時代の流れを無視して変わらずにいつづけることの困難さである。

 本書は大きく第一部と第二部とに分けられているが、同じ仮巣地区を扱っていながら、そこから感じられる雰囲気は大きく変わっている。その最大の要因として挙げられるのは、それぞれの章で中心を成す登場人物の置かれた立場によるものだ。そして第一部では、仮巣地区の外にいる人間がその内に入り込んでいくという流れとなっているのに対し、第二部では仮巣地区の中にいる人間が外へと出ていくという流れを形づくっており、この二部作をもって、ちょうど流れの循環作用がはたらくような仕組みとなっている。

 第一部の中心人物である山上和子は、昆虫学を専攻する山上一郎の新妻として仮巣地区へとやってきたが、彼は仮巣地区の出身というわけではなく、たまたま山中で発見した新種らしきアリの調査の拠点として、以前遭難したさいにお世話になったその村が最適だと判断した結果だった。和子自身は医師免許をもっており、長年無医村となっているその村において、自身の知識が役立てられるという期待をもっていたが、予想に反して、村の人々は医者に対して何の興味も示さない。年寄りが多いというのはいいとして、その誰もが若々しく、健康で長寿であるという事実――しかも、たまに病気の兆候を見かけることはあっても、こちらが診療することを拒否され、あげくしばらくすると全快して野良仕事に精を出している。

 そのうち、フィールドワークを続けていた夫が行方不明になってしまう。それはふたりが村に滞在するさいに、けっして足を踏み入れてはいけないと言われていた場所にさぐりを入れていた時期のことで、和子は彼の失踪がこの村の秘密となんらかの関係があることを確信したものの、警察の助けも得られないという孤立無援のなかで、彼女にできるのは、この村にしがみつくこと――村の住人として、村人とともに生活することしかないと決意するにいたる。いつか、夫の失踪の秘密に迫る機会が来るはずだという思いだけを支えにして。

 こんなふうに書いていくと、まるで世間から隔絶された村の秘密をめぐる伝奇めいたミステリーであるかのような雰囲気があるのだが、じっさいに本書のなかで強調されているのは、謎解きではなくむしろ怪奇の部分だ。人智ではけっして推し量ることのできない領域の存在――そうした謎めいたもの、あるいは畏怖すべきものをめぐる人々の姿を描く本書において、人間はむしろひとつの物語を構成する駒であるかのような役割を与えられているところがある。

 そしてそれは、第二部についても基本的には変わらない。ここでの中心人物はお優という名の少女であるが、彼女の立場は第一部とは逆に、仮巣地区のなかでも「天上」と呼ばれる御殿のなかでのみ育ち、外の世界についてはまったく無知な状態に置かれている。第一部において禁忌とされていた場所しか知らない少女は、しかしその禁忌について何もかも知っているというわけではなく、せいぜい「黒王」や「蜜姫」と呼ばれる偉い人がいること、そして自分は「黒王」に選ばれたということ、この「天上」から外に出ることがまかりならないことくらいだ。

 お優の知らないところで何らかの役割が決定され、自身の意思とは関係なく、その決定をただ受け入れていくしかないという状況――むろん、そうした状況を意識し、かつ疑問に思った彼女がどのような行動をとることになるのかも、第二部の読みどころではあるのだが、第一部の顛末もふくめ、「黒王」や「蜜姫」たちですら、何かの力に導かれるかのように、ある一点に向けて動かされているようなところがある。その先に何があるのかについては、ぜひ本書を読んでたしかめてほしいのだが、そうした流れから見えてくるのは、まさに本書の舞台となった仮巣地区そのものが中心にあり、その行く末を描くことこそが本書の根底にはある、ということである。

 ところでこの第二部については、第一部から数年しか経っていないにもかかわらず、まるで戦国時代を思わせるような、古臭い雰囲気に支配されている。村の秘密を守るという目的で、外界からの接触を極限にまで制限した結果、完全に時代から取り残されることになった世界が、そこにはたしかに息づいているわけだが、たとえどのような「力」があったとしても、変化の流れから切り離された社会は、いずれは三日月湖のように衰退していくことになる。外から内への流れと、内から外への流れ――ほんのささやかに思えるその流れが一巡したときに、はたして仮巣地区にどのような変化の予兆があらわれることになるのかは、まさに天のみぞ知る、である。(2012.06.23)

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