【メディアワークス】
『ミミズクと夜の王』

紅玉いづき著 

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 人がもつこだわりというものについて、ふと考える。

 私たちは誰もが、多かれ少なかれ何らかのこだわりをもって生きている。何に対してどのようなこだわりをもっているのかは人それぞれであるが、そうした「こだわり」は人間であるからこそ持ちえるものであり、自分が自分であるという自意識の産物でもある。言ってみれば、何かへのこだわりとは、その人のもつ個性を象徴するものなのだ。

 こだわりとは執着心のことでもある。執着すること自体は、けっして悪いことではないし、何かに執着しつづけることで生まれてくるものもたしかにある。だが、何かにこだわりつづけることは、ときに人の心を意固地なものにする。本来であればその人の個性の一側面であるはずの「こだわり」が、逆にその人をがんじがらめにし、身動きできなくしてしまうようなことが往々にして起こることを私たちは知っている。

 何事につけ、極端に傾くことは、その人にとって益になるよりも、むしろ害になることのほうがはるかに多い。だが、それも人間であればこそ適用されることであって、人間でないもの、人間であることをあきらめてしまった者たちにとっては、あるいは何の意味もないことなのかもしれない。今回紹介する本書『ミミズクと夜の王』は、架空の世界を舞台とする、自らを「ミミズク」と名乗る少女と、「夜の王」と称される魔物の王との邂逅を描いたファンタジーテイストの物語であるが、このふたりを大きく特徴づけている要素として際立っているのが、それぞれが抱いている極端なこだわりである。とくに、ミミズクのもつ「こだわり」は、「魔物に自分を食べてもらうこと」というものであり、その強烈なインパクトに読者はまず興味を惹かれずにはいられなくなる。

 そうして昔々に聞いた話を思い出した。ずっと東には夜の森と言われる場所があって、そこには多くの魔物がいると。
 魔物に喰われた人間は、跡形も残らないのだと。

 額に「332」の焼印、手足には溶接されて外すことのできない鎖というミミズクのこれまで置かれていた環境が、相当に劣悪なものであったことを想像するのは難しくない。生きていくにはあまりにも壮絶で、また誰にもまともな人間として扱われてこなかった彼女の心は、自分が人間であるという意識を保ちつづけることをとうの昔に諦めてしまっていた。自分のことを家畜だと平然と言い、自分の身を守ることに頓着せず、怒りや悲しみといった人間らしい感情の麻痺したミミズクは、そういう意味ではとても人間とは言えない状態ではあったが、ただひとつ彼女を人間として繋ぎとめているものがあるとすれば、それは魔物に喰われたいという「こだわり」だと言える。そして、それはとりもなおさず、この世から跡形もなく消え去ってしまいたいという倒錯した願いの表れでもある。

 いっぽうの夜の王は、魔物の王であってそもそも人間ではない存在だが、本書を読んでいくと彼がもともとは人間、それも、ある国の王子であったという過去が語られる。自身にはどうにもできない理由で人々の迫害の対象となった彼が、先代の夜の王に選ばれて魔王となったのは、人間に絶望したからに他ならない。夜の王もまた、ミミズクと同じく人間であることを捨ててしまった者であるが、にもかかわらず、人間が嫌いだという「こだわり」だけは持ちつづけている。そして、それはとりもなおさず、魔物となってなお人間としての心を完全に消し去ることができないでいる、彼の歪んだやさしさの表れでもある。

 ミミズクと夜の王、このふたりに共通しているのは、自分が人間ではないという思い込みだ。そしてこの場合、重要なのは「人間ではない」という部分ではなく、むしろ「思い込み」の部分である。表面上、人間として生きることに倦み疲れ、あるいは嫌悪した結果、人としての心をとっくの昔に放棄したというポーズをとりながら、いっぽうで何かに対する「こだわり」という、きわめて人間的な部分を捨てきることができずにいるという歪み――物語を展開していくのは常に、そうした歪みから生じるものであり、そうである以上、本書のテーマもおのずと見えてくることになる。

 ところで、ミミズクはともかくとして、夜の王はそもそも魔物であって、人間としての属性を彼に当てはめることは無意味なのではないか、という疑問が当然のことながら生じてくることになるのだが、彼が魔物の王であるという性質は、この物語においてさほど大きな意味をもつものではない。そしてそれを言うなら夜の王にかぎらず、後に物語にからんでくる国王にしろ、聖騎士アン・デュークやその妻で「聖剣の巫女」たるオリエッタにしろ、本書に登場する人たちの誰もが、ひとりの人間である以前に、何らかの肩書き、ひとつの「記号」として生きることを強いられているところがある。そしてそうでありながら、誰もがそれぞれのいだく「思い込み」ゆえに、完全な「記号」として生きられないというきわめて人間的な不器用さを物語のなかで露呈していく。

「行け。獣を称する娘。お前にはもう、ここにいる理由がない」

「どこにも行かないのも、自由の選択肢の中の一つではなくて?」

 本書は人間性の回復の物語である。それは、ミミズクの生い立ちやその性質を見ればおのずと見えてくるものであり、そこを中心に物語は進んでいくのだが、そのテーマは本書のほぼすべての登場人物にもあてはまるものでもある。それは、自分に否応なく与えられた役割、「記号」としての自分から解き放たれて生きる、ということ――本書はそうした複数の想いが重なり合った結果、ひとつの物語として紡がれていくという巧みさがあり、それが読者のカタルシスを刺激するという構造をもっている。かぎりなく不器用で、だがかぎりなく一途な想いに突き動かされていく者たちが、はたしてどのような物語を織り成していくのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2009.05.25)

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