【幻冬舎】
『奇跡のリンゴ』
−「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録−

石川拓治著 



 以前読んだ本岡類の『夏の魔法』は、小規模ながら本州で完全放牧を実践している牧場が舞台の物語である。人間側の効率や生産性のため、生涯の大半を畜舎のなかに閉じ込めて牛を飼わざるをえない日本の牧場のやり方とは、べつの道を――けっして平坦ではない道を突き進んでいる物語の登場人物は、少なからず人間と自然との関係という問題を読者に突きつけてくるものであるが、なかでも印象深かったのは、牛の出産シーンの部分だった。

 乳牛として特化することを人間によって強いられた種であるホルスタイン種の出産は、人間の手助けがなければ完結しないという。それは、自然のなかにおいてはけっしてありえないことであり、家畜としての牛という動物が、すでに人間の手によって自然から切り離された、いびつな存在であるということの証でもある。人によっては、それこそが人間の築いてきた文明の誇りだと思うかもしれない。たしかに、そうした牛たちのおかげで、私たちはいつでも栄養豊富な牛乳を飲むことができるし、私とて文明の恩恵なしでは生きられないことは充分認識している。だが、そうした人間の管理によって自然の生態系から大きく外れていくような行為を、ある意味で恐ろしいと感じてしまうのは、はたして私だけなのだろうか。

 実を言えば、現在我々が食べているリンゴのほとんどすべてが、農薬が使われるようになってから開発された品種だ。つまり、農薬を前提に品種改良された品種なのだ。――(中略)――リンゴという果物は、農薬に深く依存した、現代農業の象徴的存在なのだ。

 本書『奇跡のリンゴ』は、当時絶対に実現不可能だと言われていた無農薬のリンゴ栽培を成功させた農家、木村秋則の記録を書いたドキュメンタリーだ。NHKの番組「プロシェッショナル 仕事の流儀」で取りあげられて以来、異例の反響を呼んだ彼のリンゴは、切ったまま二年間放置しても腐ることなく甘い香りを放つという。まさに「奇跡」と呼ぶにふさわしいそのリンゴが、いっいたどのような過程を経て育つことになったのか、そしてそんなリンゴを育てた木村秋則という人物は何者なのかを紹介した本書は、その内容だけでもじつに興味深いものであるが、それ以上に私の興味を惹いたのは、彼のリンゴを食べた人間や、彼のドキュメンタリーを観たという人の、まるで人生そのものが変わったとでも言わんばかりの反応の数々である。

 ひとつのことに夢中になると、そのことに徹底的にのめりこんで、他のいっさいが目に映らなくなるという木村秋則が、三十年以上にわたってとりくんできた無農薬リンゴ栽培――その過程はけっして平坦なものではなく、文字どおり「地獄の坂を転げ落ちる」に等しいものがあったことが本書からは読み取ることができる。だが、そうした彼の苦難を実感するためには、なにより無農薬でリンゴを栽培することがどれだけ困難のことなのかを理解する必要がある。なにより、私たちは「無農薬」という名で売り出されている野菜や果物を目にする機会が増えているし、そもそも無農薬栽培といえば、農薬や化学肥料を使わずに育てればいい、という程度の認識しかない。

 本書はそうした読者の思い込みをただすため、ただたんに木村秋則のドキュメンタリーを書くだけにとどまらず、リンゴ栽培そのものから――そもそもリンゴという果物がいつ頃から栽培されていたのか、その歴史をきちんと説明したうえで、今私たちが接するリンゴが、農薬がなければまともに育つことすらできない、きわめて人工的な産物であるという事実を突きつけていく。それは、ホルスタイン種の出産が、人間の手を介さないと成り立たないという事実と同じくらい、ある種のいびつさを読者に認識させることでもある。

 ある事物を普通だと思うか、それともいびつだと思うかで、世のなかの見方が大きく変わっていく。木村のなかで、ふとリンゴ栽培に農薬を使うことがいびつなもの、自然に反することのように見えた。ゆえに農薬を使うことをやめた。だがリンゴは、農薬ありきではじめて生長する、きわめて人工的な植物だ。農薬という保護を失った彼のリンゴの樹は、あっというまに害虫や病原菌におかされ、次々と立ち枯れていく。それは、動物園の中で生まれ育った動物を、野性に返すのと同じくらい、いやそれ以上の困難をともなう行為だったのだ。

 木村が無農薬リンゴ栽培を真に自然なことだと気づき、その方法論をどのようにつかんでいったのかは、ぜひ本書を読んでたしかめてもらいたいところであるが、じつのところ、本書を読んだとしても、誰もが彼と同じように無農薬でリンゴが栽培できるというわけではない。重要なのは、無農薬リンゴ栽培の方法ではないし、そもそも著者自身、その方法論をきちんと説明できているわけではない。おそらく、木村秋則の語る「農業」の本質を、人間の生み出した言葉ごときで表現すること自体、おこがましいと言うべきものなのだ。そしてそれは、何より著者自身が一番よくわかっている。だからこそ、本書はたんにひとりの農家のドキュメンタリーであることを超えて、人が自然というものをどのようにとらえ、正しく生きるとはどういうことなのか、といった哲学的な問いにまで発展していくことになる。

 明日のことを思い煩うのも、生に執着するのも、つまりは人の知恵の働きだ。その知恵を働かせて、人は欲望をかなえようとする。――(中略)――その繰り返しの中で、人は文明を発展させてきた。つまり文明の歴史とは、人類の欲望の肥大化の歴史でもある。

 木村秋則が実践した無農薬リンゴ栽培は、つまりこうした人間の知恵を否定することの実践でもある。人間の知恵がまったく無意味だと知って、なおその道を突き進まなければならないとき、人は何を思い、どのような行為におよぶのか――木村秋則の農業に対する姿勢は、きわめて「自然」であることを思い知らせてくれる。そしてその正しさこそが、彼に接した人たちの反応の正体でもある。私たちははたして、彼のような境地にいたることができるのだろうか。非常に大袈裟なことかもしれないが、それによって私たち人類の今後が決まってくるように思えてならない。(2011.04.26)

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