【集英社】
『思い出のとき修理します』

谷瑞恵著 



 私の好きな本のひとつに、『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』がある。出されたお題に対して記憶だけで絵を描くという企画をまとめたものであるが、じっさいに試してみるとわかるとおり、実物とは似ても似つかないスケッチができあがるのが常である。私などはこの本を読むたびについつい笑ってしまうのだが、この人間の記憶の曖昧さ、いい加減さというものは、ときにある人にとっては救済にもなっているのではないか、とふと考えることがある。

 言うまでもないことかもしれないが、過去に起こってしまったことを変えることはできない。一度口にした言葉を取り消すことはできないし、どれだけ望んだとしても人生をやり直すことは叶わない。であるなら、けっきょくのところ重要なのは、過去に何が起きたのかということよりも、その過去を当人がどのようにとらえ、受け入れていくかということに尽きる。過去がその人を縛る枷となるか、あるいはその人を飛躍させる踏み台となるかは、その過去を解釈する当人次第ということになる。

 ただ過去というのは、言ってしまえば人々の記憶だ。そして記憶というものが「いい加減」なものだというのは上述のとおりである。どれだけ衝撃的な過去であったとしても、時とともに詳細は曖昧になり、また主観によって無自覚に歪められたりもする。今回紹介する本書『思い出のとき修復します』を読んだときに、私がまず感じたのは、良くも悪くも人の記憶の曖昧さということである。そして曖昧であるからこそ、ほんのちょっとしたきっかけによって、そのとらえ方も変わっていく、あるいは変えることができる、ということでもある。

 壊れてしまった思い出を、修理なんてできるものなのだろうか。そもそも思い出は、壊れたりするものなのか。

(『黒い猫のパパ』より)

 全部で五つの作品を収めた連作短編集である本書の舞台となるのは、とある寂れた商店街。目につくのは閉じたシャッターばかりという典型的な「シャッター通り」と化した「津雲神社通り商店街」であるが、そんななかのひとつ「ヘアーサロン由井」への引っ越しを決めた仁科明里にとっては、特別な思い入れのある場所であった。そして、そんな彼女が引っ越してきて最初に知り合ったのが、はす向かいにある奇妙なプレートを掲げた店に住む青年、飯田秀司である。

 秀司が構える店は時計屋であり、彼はそこでおもに時計の修理をして生計を立てている。引っ越した当初、明里はその店が何を売っている店なのかわからなかったのだが、その要因となっているのが「おもいでの時 修理します」というプレートの文言である。じつはこのプレート、過去に「計」の文字が紛失してしまったものの、先代の店主だった秀司の祖父が意図的にそのままにしてきたという事情がある。

 つまり、直すのは「おもいでの時計」であり、店が時計屋ということであればなんの変哲もない文句なのだが、あえて「おもいでの時」としているところに、本書の特長がある。じっさい、物語は明里や秀司が商店街で起こるちょっとした不思議を、なんとか解決しようと奮闘するという内容となっているのだが、その発端となっているのが過去の思い出であり、またその思い出を修正したいという思いでもある。

 これは、思い出をやり直すためのデートなのだ。悲しかった思い出を、楽しかったことにしたいから。

(『茜色のワンピース』より)

 不思議を解決する連作短編集というと、いわゆる「日常の謎」系のミステリーを想像するが、本書について言うなら、ミステリーとしての要素はかぎりなく薄く、それゆえに本来であれば探偵役としての立ち位置にある飯田秀司も、明確に謎を解明するための行動に出るわけではない。さらに言えば、謎めいた「おもいでの時 修理します」についても、彼が何か特殊な能力を使って人の過去を修正したりするようなことはない。秀司はあくまで時計の修理屋、それも、他の人たち同様に修正したい「過去」をかかえている、ごくふつうの人間でしかないのだ。

 だが、そこに明里という新しい住人が入り込んでくる。彼女は過去の一時期をここで過ごしたことはあるが、およそ人の出入りの多くない、良くも悪くも時の止まったかのような商店街においては、ある意味で斬新な視点の持ち主でもある。そんな彼女が、飯田時計店の奇妙なプレートの文言に目をとめ、さらに「時計屋さんなら本当に、時計を直すように過去の思い出も治せるのではないか」とひそかな期待を寄せたりする。そう、物語の起点となるのは、いつも明里なのだ。そしてその背景には、彼女自身のかかえる、できることなら修正したい「過去」がある。過去を変えたいと願っているのは、他ならぬ明里自身であり、だからこそ彼女は、同じように過去を変えたいと願う人たちを放っておくことができない。

 もしも思い出が、生きている人に必要なものなら、それを繕うのも、奇跡や不思議な力ではなく、人にしかできないことなのだろうか。

(『季節はずれの日傘』より)

 過去は変えられない。それは残酷なほど強固な事実だ。だがその過去を注意深く解きほぐしていくことで、それまで見えなかったものが見えてくることがある。しょせん人間というのは「いい加減」な生き物であり、ある意味で自分たちにとって都合のいいものの見方しかできない、ということでもある。「シャッター通り」となった思い出の商店街で、しかし美容師として店を開こうとせずにいる明里と、もともと独立時計師を目指しており、またその才能も情熱も失っていないはずなのに、なぜか閑散とした商店街の時計店で細々と時計を修理している秀司――じつは、そんなふたりがお互いをどんなふうに思い、また過去を修復するという騒動の過程で、お互いの距離どのように縮めていくかというのが、本書のもっとも大きな読みどころだと言うことができる。人間が人間であるからこそ引き起こされた、ささやかな「奇跡」の形を、ぜひたしかめてもらいたい。(2014.07.30)

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