【メディアワークス】
『冥王と獣のダンス』

上遠野浩平著 

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 上遠野浩平という作家にとって、超能力――あきらかに人間であることを超える力というのは、いったいどのような意味を持つと考えているのだろうか。そして、そのような力を行使することのできる人間に、どのような想いを抱いているのだろうか。

 たとえば、宮部みゆきの『クロスファイア』に登場する、念力放火能力の持ち主である青木淳子は、自分のことを「装填された銃」と呼び、その力を、警察では裁けない、凶悪な犯罪を繰り返す少年グループの「処理」のために使いつづけていた。彼女は自分の持つ力の大きさを自覚し、その力をけっして他人にはさとられないよう、自分の感情をコントロールし、表面上はあくまで普通の女として普通に日常生活をおくっていた。そしてもっとも重要なのは、彼女が孤独であること――異端な存在としておのれの信念を貫きながらも、その自己完結した世界から抜け出せなかった、ということなのである。

 上遠野浩平の代表作である一連の「ブギーポップ」シリーズでは、統和機構の刺客として、じつにさまざまな能力を持つ人物が登場するが、彼らの精神が孤独であり、それゆえに統和機構の思惑よりも自分の信念や欲望に忠実であろうとする点は『クロスファイア』と基本的には変わらない。だが、著者の「能力」に対する想いは、そこで完結するのではなく、常に「現状の突破」という方向に向けられている。今のこのどうしようもなく閉塞してしまった現実を変えるための力――そのテーマをより前面に押し出した結果として生まれたのが、本書『冥王と獣のダンス』である。

 その世界では、ふたつの勢力が泥沼の戦争を何百年にもわたって続けていた。
 ひとつは<奇蹟軍>、ひとりで数個大隊に匹敵すると言われる能力者――奇蹟使いを最大の戦力としながら、その個数の絶対的な不足のために積極的に打って出ることができない勢力。もうひとつは<枢機軍>、旧時代の遺物である自動生産プラントによって作られる兵器群によって、数では圧倒的有利を保ちながら、しかしその生産力の限界ゆえに消耗を恐れ、いつも中途半端な戦果しか上げられない勢力。お互いにその支配体制に問題を抱えながら、しかしお互いの存在を認めることができず、お互いの尻尾を噛み合うような、むなしい消耗戦をつづける二大勢力。

 そして<奇蹟軍>には、その昔、<枢機軍>の侵攻によって故郷を滅ぼされたことがきっかけで「奇蹟」に目覚めながら、その能力を嫌い、あくまで戦略兵器として虚無的に戦いつづける十七歳の少女、<根こそぎ>の夢幻が、<枢機軍>には、幼い頃に軍に売られ、それ以来、奇蹟的な勘によって軍の危機を救うものの、かえって無能な上層部からにらまれることになり、このまま終わることのない戦争をつづけることにどうしようもない無力感をいだく一兵士、トモル・アドがいた。

 そんなふたりがある日、戦場で思いがけず果たすことになる邂逅――そしてその日は同時に、<奇蹟軍>の超級将官である兄妹が、<枢機軍>への亡命を求めた日でもあった……。

 簡単に言ってしまえば、本書は恋愛小説――お互いに敵どおしであるにもかかわらず、惹かれずにはいられなかった少年と少女の恋を描いた小説だと言うことができるだろう。だが、それは同時に、ふたつの勢力によるはてしない戦争のなかで、何を望んでも叶わない、どうしようもないと思っていたふたりが、はじめて本気で現状を変えたい、変えられるかもしれない、という期待を抱いた瞬間でもあった。実際、トモル・アドは、もう一度夢幻に会いたいという一心で、亡命してきた<奇蹟軍>のリスキイ兄妹に食いつき、結果として彼らを統率する独立遊撃小隊の隊長として任命されることになるし、一方で夢幻の方は、トモルと出会って以来、寝室に何日も閉じこもったまま、考えることはトモルのことばかり、あげくのはてには、自分の恋心をトモルの超能力による攻撃のせいだと勘違いする始末。戦場では圧倒的な破壊能力を行使する超級将官である夢幻もまた、年齢相応の恋をしたりする普通の女の子としての一面を見せる演出などは、著者らしい心憎さであるが、そんなふたりの揺れ動く心は、ある意味たんなる戦略兵器として利用されることを拒み、自分たちに与えられた超能力を「現状の突破」のために、より発展させていくべきだと考えるリスキイ兄妹にも通じるところがある。

 <奇蹟軍>のなかで、何らかの奇蹟を使うことのできる者は、一様に超級将官という称号が与えられる。超級将官、スーパーアドバンスト、人間を「遥かに飛び越している」者――普通の人間ではけっして望めない、巨大な能力を得てしまった者が、例えばリスキイ兄妹のように、このはてしない戦争を終わらせ、新しい世界を創造するという高尚な考えを持つのは、むしろ自然な流れであると言える。だが、彼らはまた、自分たちの能力――大気を、大地を操る力を、戦争の道具として以外にどのように使うべきなのか、まったくわかっていない、というのも事実である。だからこそ、リスキイ兄妹は、トモルに隠された能力「運命の流れを見る」能力に「現状を超える」可能性を見いだすことになる。妹のアノー・リスキイの能力によって、旱魃つづきの土地に湖が生まれたというエピソードは、まさにそれを端的に示すいい例だろう。

 だが、当のトモルはあくまで普通の人間として考え、行動することをやめようとしない。軍人が嫌いなのに無理やり軍人にさせられ、身分にけっしてこだわることなく、誰とでも自由にタメ口をたたくミルトを見て、彼はふと考えるのだ。

 もしも人間に可能性があり、過去のものを越えるスーパーアドバンストの資格があるならば、それはこのミルトのような勇気と伸びやかさこそがそのものなのではないか、とトモルはふとそんなことを考えた。自分にあるかないか定かではない能力などではなく――

 お互いに惹かれ合いながらも、なかなか自分自身の現状を突破できないでいる夢幻とトモルは、はたしてどんな形で再会することになるのか、今度は敵どおしという立場になったリスキイ兄妹と夢幻は、やはり戦うことになってしまうのか、そして、そのときトモルは、どちらの味方をするのか――それぞれが、それぞれのやり方で、それぞれの信念や考えのもと、「現状の突破」のために戦いつづける人々を描いた本書は、冥王と獣の壮絶で息苦しい舞踏会に、どのような決着をつけることになるのだろうか。(2000.09.05)

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