【講談社】
『マーダーゲーム』

千澤のり子著 



 小学生や中学生だったころ、じつにさまざまな遊びが流行っては廃れていったことを思い出す。携帯電話はもちろん、携帯ゲーム機もなかったような時代で、たいていは体育館でドッヂボールをしたりするのが主流だったが、そんななか、身のまわりにあるものをうまくゲームに取り入れて、勝敗を決めるような遊びは、とくに男の子のあいだでは人気だった。たとえば、ノック式ボールペンでスーパーカー消しゴムを飛ばして飛距離を争ったり、相手の消しゴムを机から落としたりといった遊びは、単純ではあったがなぜか熱中してしまう時期というのが私にもあった。

 この手の遊びで面白いのは、そのうち誰かがそれまでのルールとは異なる独自のルールを発案したり、まったく違う遊びを生み出したりすることだ。なかでも、ある絵の上手いクラスメイトが、当時人気のアニメのキャラクターを手書きのカードにしてバトルをするという遊びを持ち込んだときは、けっこうコアな人気をさらっていったものだが、そうした成功失敗はともかくとして、何かに触発されて自分でもゲームをつくりたい、そしてつくったゲームで誰かと遊んでみたいという欲求は、小さい頃に誰しもが一度は通る道だと言える。

 今回紹介する本書『マーダーゲーム』は、作中に登場する胡桃ヶ丘小学校に通う六年生のひとり、杉田勇人が考案したゲームの名前である。「マーダー」とは英語の「殺人」のこと。つまりは「殺人ゲーム」ということになるのだが、このいかにも物騒なゲームそのものが、本書の中心であると同時に、ある意味で本書のミステリーとしての流れを象徴するものとなっている。

「学校全体を使って、リアルで体験できる〈人狼〉っぽいゲームを、ぼくたちでやってみないか?」

 男女の体力差といったものが露骨になってくる小学六年生が、通信ゲーム機器といった機械にお金をかける必要もなく、誰でもリアルな体験であるかのように遊ぶことができる知的なゲーム――ということで、杉田が考えたマーダーゲームは、当然のことながら本当に誰かを殺すことが目的の遊びではないし、〈汝は人狼なりや?〉という、現実に存在するゲームが元となっている。〈人狼〉は、「村人」と「人狼」のチームに分かれて行なう推理ゲームのようなもので、「村人」側は、夜毎に村人を食い殺す人狼が誰なのかを暴き出し、「人狼」側は、村人に処刑されないよう嘘をつき通し、村人を全滅させるというのがおおまかな内容である。そして、ゲームというからには、厳密なルールが存在する。たとえば、「村人」が「人狼」と思われる誰かを処刑できるのは、一日に一人だけ、といったふうに。

 マーダーゲームの場合、参加者のなかからひとり「犯人」を決めて、ひそかにほかの参加者を「殺害」することになるのだが、この「殺害」という行為は、あらかじめ参加者全員から集めた自分の身代わりになるもの――「スケープゴート」を書いた用紙を犯人だけが手にし、犯人がその身代わりを所定の場所に置くことで成立する。用紙には、スケープゴートとそれを隠した場所だけが書かれていて、誰のスケープゴートであるかは書かれていないため、犯人ですら、被害者の申告がなければ自分が誰を「殺害」したのかわからない。

 決められた厳密なルールをもとに、犯人しか知らないこと、被害者しか知らないことといった情報を吟味し、犯人を割り出していくというマーダーゲームの展開を描く本書は、小学校内を舞台としていることも含め、意想外な着眼点や推理が用意されていてなかなかに面白いのだが、この作品の真骨頂は、何より「マーダーゲーム」の特徴とも言える「スケープゴート」の存在にこそある。

 一般的に、ゲームのなかではよくプレイヤーが殺される、という表現が使われる。〈汝は人狼なりや?〉にしても、人狼が村人を食い殺すと、殺された村人のプレイヤーは人狼を特定する会議には口出しができなくなる。「マーダーゲーム」の場合、ゲームのなかで殺されるのはあくまで「スケープゴート」として選んだモノであって、プレイヤー自身ではない。にもかかわらず、「スケープゴート」を殺されたプレイヤーが犯人を特定する会議に参加できなくなるというルールは〈人狼〉と同じである。極端な話、「スケープゴート」をわざわざ使わずとも、ゲームそのものを成立させることは可能なのだ。そんなふうに考えると、本書のゲームにおいてあえて使っている「スケープゴート」に、いったいどんな意味が込められているのか――あるいは参加者がどんな意味を見出すか、という点が重要になってくる。

 ある参加者は、このゲームをきっかけに自分の苦手とするものや弱点を克服し、本当の自分をさらけ出すきっかけになるかもしれないと思い、別の参加者は、自分の嫌いなモノを代わりに殺してくれる委託殺人みたいだと感じた。そしてその考え方の違いは、ゲームに対する姿勢にも影響してくる。こうした不確定要素のうえに、「マーダーゲーム」がゲームの範疇を超え、制御できない脅威となったとしたら、いったいどのような心理状況がプレイヤーのあいだに生まれることになるのか。

 ゲームがゲームという枠からはずれて、まぎれもない現実として影響をおよぼし始めるという恐怖――たんに「スケープゴート」がゲームとして犠牲になるのではなく、その「スケープゴート」が象徴する誰かを拡大解釈し、現実に殺害するような事態になったときの子どもたちが、いったい何を考え、どのような行動をとることになるのか、そしてすべての真相がどのようなものなのか、ぜひたしかめてもらいたい。(2012.02.11)

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