【幻冬舎】
『嫌われ松子の一生』

山田宗樹著 



 作家のなだいなだは、作家であると同時に精神科医でもあるが、彼が書いたエッセイのなかで、昔治療した「優等生」患者のことを語っているものがあって、それがひどく印象に残っている。
 その患者はアルコール依存症で何度も入退院を繰り返していたが、小学校から大学までずっと優等生を通してきた、いわばエリートであった。患者としても優等生で、なぜ彼が外に出ると一日ももたないのか、と疑問に思っていたところ、その患者は、他ならぬエリートであるがゆえに、自分で選んで、自分で決断することができないのだ、となだいなだに語ったという。

 私自身も、学校に通っていた頃はいわゆる「優等生」だったクチなので、そのアルコール依存症の患者がかかえるジレンマは他人事ではない。人より勉強できることが、人間として優れているわけではないことは百も承知ながら、それでもなお「優等生」であることのプライドにしがみつく――逆に言えば、それしかしがみつくものが存在しないがゆえに、この世にはさまざまな価値観があることに、どうしても目を向けることができなくなっているのだ。そうこうするうちに、自分が本当は何がしたいのか、何が好きなのか、といったことさえわからなくなり、自分を見失っていくことになる。それは、ある意味とても怖ろしいことだ。

 今回、なぜこのような話を枕にもってきたのかと言えば、本書『嫌われ松子の一生』に登場する川尻松子が、まさにその「優等生」の典型として描かれているからだ。しかも彼女の優等生ぶりは、そもそも父親に認められたい、という欲求から来ているものである。

 物語のなかで、川尻松子は何者かに殺害された被害者としてまず登場する。九州から東京の大学に進学して二年目になる川尻笙は、ある夏の日に突然父親の訪問を受け、そこではじめて川尻松子という伯母の存在を知ることになる。三十年以上も前に失踪したあげく、殺人事件の被害者としてその生涯を閉じた伯母――父親に彼女が住んでいたアパートの後始末を頼まれた笙だったが、たった今までその存在すら知らなかった松子に何の感慨ももてない笙とは異なり、その恋人である明日香は、なぜか松子に同情的な態度を示す……。

 はたして、川尻松子はなぜこのような死に方をしなければならなかったのか。冒頭に殺人事件があり、その犯人が誰なのかが最終的にあきらかになる、という意味では、本書はミステリーとしての形式をとってはいるが、そこに描かれているのは、川尻松子の視点で書かれる過去の記憶と、その伯母の生涯をできうるかぎり調べようと決意した、川尻笙の視点で書かれる現在とを重ね合わせることで徐々に浮かんでくる、ひとりの女性の、けっして平坦とは言いがたい放浪と遍歴の記録である。それは、事件の犯人とその殺害方法を追求する、謎解きを中心とするミステリーではなく、なぜ事件を起こしてしまったのかを追求する、動機を中心とするミステリーに近いものがあるのだが、そもそも人が人を殺したり殺されたりする理由について、もし完全な動機づけを求めるのであれば、それはけっきょくのところその人の一生を追いかけていくほかにない、ということでもある。

 美人で頭もよかったが、父親の期待に応えたい一心で、自分の意思を無視して国立大の文学部に進み、中学の国語教師としての道を歩みだした松子。その中学の校長に受けたレイプ未遂事件、そこから生まれた確執がもとで、修学旅行中におこった盗難事件の責任を負わされた松子。惚れた男のために懸命に尽くしながら、結果として何度も男たちに裏切られ、捨てられてしまう松子、ソープランド嬢として働いていた松子、覚せい剤に手を出した松子、人を殺してしまい、八年近くも服役しなければならなかった松子――まるで坂道を転げ落ちるかのように、次々と不幸に見舞われながらも、それでもなお人としてのささやかな幸せを求めて苦闘しつづけた松子の生き様は、たしかに壮絶の一言に尽きるものがある。だが、何より松子にとって不幸だったのは、「優等生」であるがゆえに自分自身を見失い、誰かに尽くし、愛されているという実感をもってしか自身の幸福を確かめることができなかった、という点なのだ。

「松ちゃんは、何か考えてないの? 自分の将来のこと。夢」
「夢……わたしの夢」
 わたしは考えた。一所懸命に考えたが、思い浮かばない。笑みをつくった。

 笙が松子の起こした事件の判決文を読んで悟ったように、彼女はソープランド嬢にしろ、美容師にしろ、そして男性関係にしろ「不器用なほど真正面から、ぶつかっていった」。何かに対して全力で取り組むことができる、というのはすばらしいことではあるが、その努力が空回りするだけで、自分自身の夢や希望をかなえるために何の役にも立っていかないとすれば、これほど悲しいことはない。松子の自己完結的な思考や、周囲に目をやるだけの余裕をもたない、どこか切羽詰ったような生き方は、人として愚かなだけでなく、周囲にいる人たちに多大な迷惑を振りまいてさえしまう。それゆえの「嫌われ松子」というタイトルであり、私もできれば彼女のような人とはかかわりを持ちたくないとさえ思ってしまうのだが、それでもなお、松子のその一生をまのあたりにしたときに心に占めているのは、どうしようもないやるせなさと、けっして答えの出ることのない疑問である。なぜ、松子はあれだけ懸命に幸せを探し求めながら、不幸な死を与えられなければならなかったのか――もちろん、本書には明確な答えが書かれているわけではないが、ひとつだけ言えるのは、現在と過去が対比的に書かれているのと同じように、松子と明日香というふたりの女性もまた、ひとつの対比されるものとして描かれている、ということである。そしてそれは、けっきょくのところ、まぎれもない自分自身とどこまで向き合うことができたかどうか、という点に収束していくことになる。

 人の心は移ろいやすく、どんなに深い愛情もけっして不変ではない。けっして揺らぐことのない信念、けっして衰えることのない愛情――「優等生」であることは完璧主義者である、ということでもあるが、およそ人間の感情に完璧なるものなど存在するはずがないのだ。それを担うことができるのは、おそらく宗教でいうところの神のみであろう。完璧な愛情を探し求め、完璧な愛情をもちつづけようとしたがゆえの不幸が、そこにはある。(2004.11.26)

ホームへ