【河出書房新社】
『また会う日まで』

柴崎友香著 

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 言葉というのは、たんに人間にとってのコミュニケーションの手段や情報伝達の道具というだけでなく、漠然としている物事に対してきちんとした形を与え、見えないものを見えるようにするという力をもつものでもある。たとえば私は、ウェブ上に書評を公開している者のひとりだが、本を読んでいるときはじつにさまざまな思いや考えが渦巻いているものの、そのまま放っておけば、たんにとりとめもない思考の残滓としていずれは忘れ去られてしまうのが大半だった。書評を書くという行為、そしてそのために意識して考えるという行為は、そうした思考の残滓をしっかりとした自分の考えとして定着させることであり、じっさい書評を書くことを意識することではじめて気がついた事柄がいくつもあったという実感がある。

 そういう意味で、読書をしたときの考えが言葉としてまとまるというのは喜ばしいことではあるのだが、同時に言葉にすることで、それ以外に感じ取っていた思考の残滓の多くを切り捨ててしまうことにもなる。本来であればもっと複雑で微妙なものであったはずのものが、より単純な形をもつ――それは長所にもなれば、短所にもなることであるが、こと人間の感情や心理という分野において、安易な言葉で置き換えしまうことに抵抗を覚えるという人は、けっして少なくはない。

 他の人には思わなくてわたしといるときにだけ感じるなにかが、鳴海くんにもあったのか。だけど、言葉にして聞いたら、その瞬間から、ずっと感じてきたことが、それらしい言葉で適当な形になってしまうと思うのは、単なる感傷みたいなものかもしれない。

 有給休暇を利用して大阪から上京してきた女性の一週間を淡々と綴った作品――本書『また会う日まで』の内容を要約すると、まさにそんな感じになる。東京には高校時代からの友人や会社の東京営業所で知り合った知人がいて、一人称の語り手である仁藤有麻はそんな彼らのもとを転々としながら、趣味である写真をとったり、昔話に花を咲かせたりするのだが、よくよく本書を読み込んでいくと、今回の上京の一番の目的としてあったのは、岩井鳴海の存在であることが見えてくる。

 こんなふうに断定的に書いてしまうと、まるで有麻が鳴海に対してなんらかの恋愛感情をもっているかのように思ってしまうかもしれないが、本書は一貫して、そうした女性が男性に対して感じている好意的な気持ちについて、安易に恋愛感情と結びつけることを注意深く避けているところがある。そもそも彼女が鳴海のことを意識するようになったのは、上京直前に出席した友人の結婚式の席上で、たまたま彼の名前が挙がったからに他ならないし、有麻の上京はそれ以前から決まっていたことでもある。そして彼女は本書のなかで、男友達の家に普通に泊まったりするのだが、そのことで何か間違いが起こるなどと思ってはいないし、彼女を泊めるほうも、そんなことははなから期待していないふうである。

 若い男女が同じ屋根の下、一晩をともにすれば、それだけで男女間特有の性的イベントが発生する、いや、そうした出来事が起こらないほうがどうかしている、という風潮は、今も根強く残っている。それはまるで、男女という性差のある者どうしの人間関係が、「恋愛」によるもの以外にありえないと強要されているかのようで、なんとも堅苦しく感じてしまうのは、はたして私だけだろうか。本書における有麻の鳴海に対する感情は、ともすると誰かの一言で「恋愛感情」という言葉を与えられ、そのせいで当人もそれが恋愛であることを意識させられてしまうものであるのかもしれないが、はたしてそれが本当の意味での恋愛と言えるのかというと、答えは「ノー」だ。

 世間で広く通用している「恋愛」とは、どういう感情を表すものなのか、という根本的な疑問が、本書にはある。だからこそ本書における男女関係は、そうした既存の言葉にあてはめることのできない、複雑で微妙な距離感を演出するという一点において突出しているし、その表現の巧みさについても突出したものがある。こうした仄かな男女の関係を描いた作品は、たとえば絲山秋子の『袋小路の男』や、川上弘美の『溺レる』など、いくつか挙げられるが、本書の場合、語り手である有麻自身が、いわゆる「恋愛」と、自身の内にある鳴海への思いの相違について、わりと意識している向きがある。それは、凪子という女性が登場するとより顕著なものとなるのだが、それは凪子と鳴海との関係が、有麻と鳴海との関係以上にわけのわからないものであるからに他ならない。そこにあるのは、微妙で安定していないがゆえの「安心できない」という気持ちだ。

 高校の修学旅行における心理テストのエピソード、あるいは有麻の写真という趣味――いずれも、曖昧なものをはっきりとした形にする、という意味では共通するものがある。そしてそれは、まぎれもなく彼女も望んでいることではあるのだが、それはかならずしも自分が相手にとっての恋愛の対象でありたい、という願望と結びつくわけではない。むしろ、安易に結論を出すのではなく、自分もふくめた周囲を背景として描き出すことで見えてくるものを大切にしたいという思いのほうが強い。

 純粋に物語という意味では、本書では目に見える形で物事が大きく進展することはない。だが、たとえば「恋愛」という言葉で表現してしまうことで切り捨てられてしまう、人と人との関係におけるかすかな変化のきざしが、そこにはある。はたしてあなたは、そのかすかな変化のきざしをどのように受け止めるだろうか。(2011.06.20)

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