【たる出版】
『マティーニ・イズム』

毛利隆雄著 



 私はあくまで一読書家であって、お酒にかんしてはけっして詳しいわけでも、また独自のスタイルをもつほど洗練された飲み方をしているわけでもなく、ともすると生ビールも発泡酒も同じような味に思えてしまうし、カクテルにいたっては甘い飲み口であればとりあえずOK、という体たらくなのだが、こと小説の世界において、とくにハードボイルド系の物語において、酒という小道具がその雰囲気づくりにひと役買っていることはよく知っている。レイモンド・チャンドラーのハードボイルドなどはその代表格であり、『長いお別れ』での「ギムレットには早すぎる」というセリフはあまりにも有名であるが、日本のハードボイルド系小説でも、たとえば今野敏の短編『マティーニに懺悔を』や、伊坂幸太郎の『グラスホッパー』など、カクテルの名前を冠した作品がいくつか確認できる。

 本書『マティーニ・イズム』は小説ではない。お酒が一滴も飲めないにもかかわらず、バーテンダーとしての修行を積んで数々の大会で輝かしい成績を残し、またカクテルの王様と言われるマティーニで独自のスタンダードを確立、今もなお多くの愛好家たちの舌をうならせているバーテンダー毛利隆雄の、四十年のバーテンダー人生とその想いを書き記した作品である。酒が飲めないのにカクテルがつくれるのか? という疑問は当然湧いてくるもののひとつであり、そうした疑問は本書を読むことで「だからこそ」という結論に落ち着くようになっているのだが、本書を読み終えた私がふと思ったのは、カクテルと小説というのは、思った以上によく似ているということである。

 本書のまえがきとして作家の北方謙三が文章を寄稿しているが、そこにも書かれているように、酒も小説も「人間の命にとって、必要ないもの」だ。生きていくうえで、とくになくても大きな問題になるわけではない嗜好品――しかし、この世に酒の種類は数限りなく存在し、それらのものを組み合わせてつくられるカクテルともなれば、さらにその数は増えていく。そしてそれとまったく同じことが、小説についても言える。長い時間をかけて名作の地位を得たもの、時代とともに忘れられていくもの、そしてあらたに生み出されていくもの――それぞれに味わいがあり、人によって好き嫌いがあり、その内容やメッセージが読む人に影響をおよぼしていく。酒がただのアルコール飲料であり、小説がただの文章の集積にすぎないとするなら、なぜこの世にこれほど多くの種類があり、また人々はそんな酒や小説を追い求めずにはいられないのか、という疑問が残ることになる。その答えをそのまま体現しているのが毛利隆雄というバーテンダーであり、また彼が書いた本書ということになる。

 北九州にある割烹の息子として生まれた著者が、客たちが酒に溺れて醜態をさらすさまに、酒を飲むこと、酒にかかわる仕事にことのほか嫌悪感をもっていたこと、王貞治選手にあこがれ、自身も野球少年だった著者が、日本のバーのルーツともいえる「東京會舘」ではたらくようになった要因として、野球という接点があったという著者自身の人生や、鮮やかなカラー写真とともに紹介される数々のカクテルのエピソードなど、いろいろな読みどころのある本書であるが、何より印象的なのは、文章のなかににじみ出てくるその人柄だ。バーテンダーとしては、もはや伝説と言われるほどの経験と技術をもちながら、「バー(酒場)のテンダー(番人・世話人)」という基本をけっして忘れず、何よりカクテルを飲みに来る客を喜ばせること、後輩となるバーテンダーの役に立てることを第一に考えて行動する著者の謙虚さは、バーテンダーとしてだけでなく、ひとりの人間としても真の意味で大人であることを感じさせる。そしてそれは、バーという大人の空間を世話する職業として、じつは何よりも求められているものであることが、本書から見えてくる。

 こうした実体験を通して感じる「自分探し」の“自分”とは、結局は“誰かに認めてもらえる自分”だったのではないかと今は思う。――(中略)――実際に、バーテンダーである僕に対して「助かった、うれしかった」と思ってくれる人が増えていくうちに、自分にできること、自分に求められていること、もっと頑張らなければならないことが見えはじめ、あるべき姿がしだいに立体的かつ明確になっていった。

 バーテンダーであることが好きというよりも、人と接するのが好きなんだろう、とつくづく思わされる本書であるが、それを裏づけるのが、そんな著者の人柄に触れて、彼を慕う人もまた多いという事実である。じっさい、本書は毛利隆雄の本であるのだが、彼が自身の本を出すにあたって、上述の北方謙三をはじめじつにさまざまな人々が、彼のために文章を寄越している。一杯のカクテルから、これほど多くの人たちとのつながりが生まれてくるというのは、著者の人柄あってのことだ。

 カクテルと同じように、小説もまた人の手によって生み出されるものだ。本を読むという行為は基本的に孤独な行為であるが、本を通じて人はその著者をはじめ、現実では味わえない広い世界を体験することができる。そして、いまやインターネットを通じて、同じように本が好きだという人たちと読書感想を共有したり、意見を交換したりといった新しいつながりが持てるようになっている。「感謝があれば、なんとかなる」というのが本書のサブタイトルであるが、本を読み、書評を気軽に発表できる場があるという今の状況を、私もまた感謝すべきだという思いがある。客が自分を育てた、と著者は語る。それはこのホームページにおける私の立場にも通じるものである。

 いみじくも北方謙三が看破しているように、「たかが酒、されど酒」の「されど」の部分に、著者はいる。とあるバーで出される、一杯のカクテル――その小さな世界に無限の広がりと、奥深い人とのつながりを垣間見せてくれる著者のカクテル、できれば私も一度は味わってみたいものである。(2007.10.30)

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