【早川書房】
『マークスの山』

高村薫著 

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 山に登ること、それは、地球の重力にひたすら逆らって、自分の身を高く、より高く持ち上げていくこと――私が山登りを経験したのは子どもの頃、ボーイスカウトの活動の一環で登った程度のものであるが、遠くから眺めるにせよ、自分の足で踏みしめていくにせよ、山というものが、私たちのふだん生活している地表とは違った、まるで異世界のような雰囲気をたたえていることくらいは何となく理解できる。豊かな自然の恵みに溢れている山、しかしそれゆえに、自然の厳しさと真正面から向き合わなくてはならない山――古来から日本人は、山そのものを御神体として崇める風習があったが、地上を「下界」と呼ぶ山の世界には、いったいどんな神秘があるのだろうか。そして人々は、なぜ山に惹かれていくのだろうか。

 本書『マークスの山』に書かれているのは、平たく言うなら、ある凶悪犯罪者と、それを追う刑事たちのドラマであり、非常に手の込んだ本格ミステリーだ。だが、本書の舞台の大部分が東京であるにもかかわらず、物語の深遠で息づいているのは、まぎれもなく「山」だと言うことができるだろう。それは、けっして実在する山――大自然の象徴としてふだんの私たちが意識している山だけを指すわけではない。本書が描くのは、人間が人間であるところの理性や英知といった、文明が生み出した秩序を吹き飛ばし、私たちの心の奥底に潜んでいる暗い情念を引きずり出す圧倒的なエネルギー、人間の、生物としての本能を剥き出しにしてしまう、神秘と狂気の入り混じった「山」でもあるのだ。

 都立大裏の住宅地で、元ヤクザの死体が発見された。何か特殊な道具で頭に穴を穿たれて絶命した元ヤクザは、警視庁の古株がかろうじてその名を覚えていただけの、世間から忘れ去られて久しい人物だった。合田雄一郎をはじめとする捜査第一課七係の面々による懸命の捜査にもかかわらず、出てきたのはさまざまな疑問や不審な点ばかりで、犯人にはまったく近づけないという有様であった。そんななか、今度は王子で法務省の検事が惨殺される。先の死体と同じく、頭に穴をあけられて。
 はたしてこのふたつの殺人事件は、同一犯による犯行なのか、だとすると、元ヤクザと高級官僚を結ぶ線は何なのか、犯人の目的は何で、そして凶器は何なのか? 後に恐るべき連続殺人事件へと発展していく今回の事件の裏には、十六年前に南アルプスで起こったふたつの事件の影が見え隠れしていた……。

 本書の大きな特長をひとつ挙げるとすれば、その物語構成の綿密さ、用意周到さ、几帳面さ、ということになるだろうか。十六年前に甲府の山中で起きた、土木作業員による登山者撲殺事件、たったひとりの子どもを残して全員が死亡した一家心中事件、精神病院で起きた看護士の殺害事件、そして三年前に同じく甲府の山中で発見された白骨死体――いっけん、何の関係もなさそうに思える過去の事件とその主要人物をひとつひとつ丁寧に提示したうえで、著者は本編で展開される連続殺人事件を、犯人側、警察側、そして表立ってはほとんど出てこない、犯人が脅迫している者たちの動きや心理を、それぞれ丹念に描き出していく。なにもかもがバラバラだった要素が、捜査によって新たに発見される手がかりや事実と、合田たちの地道な思考錯誤によって、少しずつそのつながりを見せはじめ、ラストの山場で一気にその全容が明らかにされるという物語の構成は、まるでそれ自体がひとつの登山であるかのような爽快感を読者にもたらすことは間違いないが、それ以上に驚愕すべきは、まるで警察関係者ではないか、と思わせるほど緻密に描かれた警察組織に代表されるような、徹底したリアリティ志向ではないだろうか。

 どこか厭世的で、何かというと手柄を横取りしたり、責任を他人になすりつけたりする警察組織も、そんな組織に属して他人のプライバシーを法という名の権力で暴き出す側にいる自分自身も嫌いでいながら、それ以外の選択肢もとらずに刑事をつづけている合田をはじめ、自尊心が強く、意地を丸出しにしながらも地道な努力をけっして厭わない若輩の「蘭丸」こと森義孝や、他人の異常心理に陰湿な興味を示す「ペコさん」こと吾妻哲郎など、どこかひとクセありそうな七係の連中による捜査の様子ひとつとってみても、例えば捜査本部の会議における死体の検案書の読み上げから、カン(敷鑑、土地鑑)捜査の報告、どのような聞きこみを行ない、どのような情報や遺留品が見つかり、捜査線上にどのような人物がひっかかり、彼らがどこで何をしていたかの調査にいたるまで、最大漏らすことなく書ききっているのだ。そして、素人なら見逃してしまいそうな遺留品のちょっとした特徴や、聞きこみ捜査における証言者のちょっとした言葉遣いやしぐさなど、非常に乏しい情報からいくつもの情報を探り出し、あらゆる方面から推理を働かせていく刑事たちの思考に、たとえば本格ミステリーの王道ともいえる、たんに名探偵の引きたて役としてのへっぽこ刑事の姿は微塵も見られない。おそらく、想像を絶する調査と資料収集によって得られたであろう情報を、しかし情報そのものに飲まれて物語を逸脱させることなく、読者に提示してみせることでかもし出されてくる圧倒的なリアリティには、ひたすら物語世界を現実世界に近づけ、そのことで見えてくるまぎれもない人間そのものに迫ろうとする著者の、執念のようなものさえうかがえる。

 日々雑多な事件を見て鍛えられてきたはずの神経が、ちょっとしたことで軟化し、揺らぎ始めるのはいつものことだった。警察の関与しない領域の深さを覗いて戸惑い、無為に足が止まる。――(中略)――加害者も被害者も捜査員も、誰も救われる者がないのが犯罪だと、水戸街道を歩きながらひとりごちた。

 現実に極限まで近づいた物語は、それだけで現実が持つ醜悪さや痛みを、生のまま読者に差し出す。上層部による資料隠しといった妨害や無言の圧力、警察内におけるキャリアとノンキャリアとの越え難い確執、所轄間での牽制、事件記者によるスッパ抜き、そして犯罪そのものが見せつけるドロドロの人間関係――実際、捜査の過程においてさまざまな困難に遭い、ときに自分の無力と無為に打ちのめされながらも、それでも犯人逮捕のために地道な努力をつづける合田たちの姿は、醜いものにまみれていながら、どこかで私たちの心を打つものがあるのもまた事実だ。そして、そんな俗世間とは正反対の位置に、厳然とたたずむ「山」――それは、人々をときに狂気に陥れ、凶悪殺人者「マークス」の脳裏に巣食う「暗い山」であり、同時に人々に、自分のちっぽけさと自然の包容力を思い知らせる、溢れんばかりの光に満ちた「明るい山」でもある。

 人はなぜ山に登るのか――ボーイスカウトを卒業して以来、山には登っていない私にはとうてい届くはずもない疑問であるが、その心に「暗い山」と「明るい山」を抱えた私たち人間の認識を超えた何かがあるのだとするなら、それは自然の叡智そのものである「山」にこそあるのではないか、という思いに今はとらわれている。(2001.01.31)

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