【早川書房】
『マルドゥック・ヴェロシティ』

冲方丁著 



 人がときに自分のもつ力をことさらに誇示したくなるのは、人がそもそもちっぽけで弱々しい生き物であるからだろうか、とふと思うことがある。

 力というものは、それが暴力といった直接的なものであれ、あるいは権力といった間接的なものであれ、他人に対して優位に立つためのものだという大前提がある。拳銃を手に入れた者は、いずれそれを撃ってみたいと思うかもしれないし、あるいはその殺傷能力をたしかめてみたいとさえ思うかもしれない。力無き者はこのうえなく無力だが、何らかの力があれば、それまでできなかったことができるようになるし、それ以上のことさえ成し遂げることが可能となる。力を正しく使うということは、たとえば拳銃を所持しながら、人を殺傷するという本来の力以上の成果を示すために、その力を振るうということであり、その意思をもちつづけるという覚悟でもある。

 だが、それ以上に大切なのは、自分がそもそもちっぽけで弱々しい人間であることを忘れてはならないということだ。それを忘れてただ力を振るうための存在になりはてたとき、人は「正義」というきわめて抽象的なもののために大勢の人を殺戮することさえ肯定できるようになってしまう。抽象名詞としての「人」ではなく、個々人としての「人間」であるということ――本書『マルドゥック・ヴェロシティ』は、前作『マルドゥック・スクランブル』以前の物語であり、前作ではバロットとウフコックの宿敵として登場したボイルドが主人公の作品であるが、それゆえに、バロットとボイルドのたどった道筋を比較せずにはいられないものがある。なぜボイルドは、最終的にパートナーであったウフコックから拒絶されることになったのか、そしてそれ以前に、なぜウフコックはボイルドをパートナーとして受け入れたのか。その鍵を握るものがあるとすれば、それは人を抽象名詞としての「人」と見るか、個々人としての「人間」ととらえるかの相違に他ならないからだ。

「ウフコック……俺は、何が起こっているのかもわからないうちに、殺されることには我慢ができない。どうしても駄目だ。昔、俺は味方に対してそれをした……。しかし、俺は、それを受け入れられない」

 上述のセリフは、ボイルドが被験者として収容されていた軍事研究の実験施設が、戦争の終結にともなって証拠隠滅のための部隊に襲撃されたときのものであるが、この言葉の背景には、かつてボイルドが犯した罪――覚醒剤服用による興奮状態のもと、戦場で友軍を誤爆するという過去が深くかかわっている。彼は回復不能の敗残兵として、なかば軍から遺棄されるような形で研究所行きに同意し、しかしそこで出会ったウフコック――ほぼ万能に近い兵器への変身が可能な、知能を持つ金色のネズミとのパートナーシップによって、その忌まわしい過去に耐えてあらたなキャリアを積む道を得た。擬似重力発生装置の移植により、重力の壁をつくって敵の弾丸を弾いたり、壁や天井を自在に歩き回るといった能力を身につけ、さらに無睡眠活動の被験者として生涯眠らなくて済む肉体へと改造された。ウフコックとのパートナー関係は、いずれ戦場に投入されるさいのパートナーとしてあらかじめ決まっていたものではあるが、ウフコックが真にボイルドを受け入れ、兵器としての自分を託す決意をさせたのは、上述のセリフのなかにふくまれる、魂の叫びを聞き入れてからのことだ。

 ボイルドの心のどこかで、自身の死を、過去に犯した罪の清算の機会として待ち望んでいるところがあった。だが、軍からの「廃棄処分」という形でそれが現実のものとなったとき、彼は逆に生きたいと願った。それは軍人としてではなく、ボイルドという個人の生への渇望でもあった。そして個人としての「人間」の生のために、兵器としての自身の有用性を求めるという『マルドゥック・スクランブル』におけるウフコックの基本精神は、本書のなかにおいてもきちんと生きている。もちろん、このときはまだはっきりとした形としてあったわけではない。だが、結果として殲滅部隊を退け、研究所の三博士のひとりであるクリストファーによる提案――マルドゥック市に出て、その異能の力を必要とする者のために惜しみなく使うための独立機関設立の提案を受け入れたときから、少しずつウフコックのなかで育っていったものでもある。

 人命保護のために法的には禁じられている科学技術の使用が認められる緊急法令「マルドゥック・スクランブル-09」は、そもそもボイルドをはじめとする研究所の被験者たちの、その異能の力の発揮場所を求めるために成立したものであるが、そこで彼らが敵として対峙しなければならなかったのは、言ってみれば「マルドゥック市」そのもの――人々の欲望渦巻く巨大な抽象という点を挙げておく必要がある。もっとも、直接的にボイルドたちが戦う相手として、「カトル・カール」と呼ばれる暗殺者集団が存在し、彼らとの異能力バトルが白熱する本書であるが、古くからのギャング団や彼らと手を組んでいる企業、あるいは連邦検事や市警といった公的組織など、大きな権力をもつ存在によって生命が脅かされている個人としての「人間」を守るための独立機関という構想は、目に見える敵を叩きのめすという戦いよりもはるかに複雑なものがある。

 クリストファーを発起人とする「09」機関は、大きな力をもちながら、それを特定の組織や社会の維持のためではなく、あくまで弱い立場にある個人を守るために振るうというある種の理想だ。それは当初、うまく機能していくように思えた。ボイルドたちは自身の有用性のために証人保護の依頼をこなし、そのはたらきに対して正当な報酬を得るという仕組みが噛み合い、その地位を着実に確立していった。だがマルドゥック市は、さまざまな人間の欲望を飲み込んで大きくなっていったある種の「怪物」であり、「09」機関の理想とは対極にあるものだ。そして理想とは、そもそも数々の矛盾をかかえたものであり、「09」機関もまた組織としての存続の危機に陥ったときに、組織を守るために個人を犠牲にするべきなのかという矛盾と直面しなければならなくなる。

 暗黒の聖域――醜い妄想/ぞくぞくする快感/罪と懺悔の喜び。
 それらをウフコックに知られたくなかった。
 自分から、どんな匂いがするかなどと。
 言って欲しくはなかった。それだけは。

 前作の書評において、私はボイルドというキャラクターについて「自分の生に価値を見出せなくなった者」という評価を与えた。しかし本書を最後まで読み進めていくとわかってくるのだが、彼はウフコックの求める理想――個々人の救済、弱き者の側に立つ武器であろうとする意思の土台となった人物であり、結果としては「09」機関を守ったことになる。だが、そのことで彼は「09」機関のかかげていた理想、そしてウフコックの意思を裏切ることになってしまった。まさに『マルドゥック・スクランブル』において、バロットが「失ったもの」と「手に入れたもの」の真逆を生きたキャラクターなのだ。そんなふうに考えたとき、ボイルドという登場人物の奥深さ、その心引き裂かれるような思いにあらためて驚嘆せずにはいられない。

 人体改造によって眠ることのなくなったボイルドは、夢をみる代わりに断片的なビジョンを見る。自身がひたすら虚無のなかへと落下していくイメージ――罪深い過去を振り返り、過去にとらわれたボイルドが、それを振り払うために虚無へと加速していく過程、そしてその果てに炸裂することになる爆発が何を残すことになるのかを、ぜひたしかめてもらいたい。(2010.04.04)

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