【光文社】
『禍家』

三津田信三著 



 ミステリーという要素とホラーという要素は、いっけん不可解なように見える謎について思索し、たったひとつの解答を導き出すという論理性と、人智では推し量ることのできない怪現象やオカルト的なものを、あるがままに展開していくという非論理性という意味では両極端なものであり、このふたつを結びつけ、かつその両者の特性を両立させるというのは、けっして容易なことではないのだが、それゆえにこの両者が見事なまでに噛みあっている作品に出会うというのは、それ自体がとんでもない僥倖だと言っても過言ではない。三津田信三という作家の作品は、まさにその稀有な条件にあてはまる作家のひとりであるが、今回紹介する本書『禍家』は、ホラーとしての要素を前面に押し出していながらも、きわめて論理的な視点をもちこんでいくことで、ホラーとしての要素がもたらす理不尽な恐怖、わけのわからないものを克服し、乗り越えていこうとする人間の強い意思の力を表現していこうという意図を見ることができる。

 両親を突然の交通事故で亡くした棟像貢太郎は、小学校を卒業した春休みに、祖母とともに新しい町の新しい家に引っ越すことになった。都心から離れた武蔵名護池の盂怒貴町四丁目――だが、はじめて来たはずのその町並みに、貢太郎は既視感めいたものを覚える。そうした既視感が、たいてい良くないことの前兆だという彼の言葉どおり、引っ越してきた家のなかで貢太郎は身の毛もよだつような怪奇現象を体験することになる。

 貢太郎の背後にひたひたと忍び寄ってくる禍々しい気配、妙なことを口走る小久保家の怪老人、人の手が入るたびに不吉なことが起こるため、町の誰もがその存在を無視している鎮守の森、四つもある幽霊屋敷と、その要因となった過去の事件、そして家のなかで貢太郎が次々と目撃する怪現象――そこにあるのは、小学校を卒業したばかりの貢太郎の視点、というものを差し引いたとしても、いささかやりすぎともとられかねないほどの、オカルト一色の物語展開だ。だが同時に、それらの怪奇現象はまぎれもなく貢太郎が感じとったものでありながら、同じ家に暮らしている祖母はそうした怪現象とは無縁のままでいる、という事実がある。

 ある特定の人物のところにばかり生じる怪現象、というのも、ホラーものによくある展開のひとつであるが、本書の場合、そうした怪現象は怪現象として、幻覚でもなんでもない、たしかに体験したものとしたうえで、ではなぜ貢太郎だけなのか、そしてその怪現象が何を意味するものなのか、という方向に物語がシフトしていく。そしてそのシフトの転換点として登場するのが、同じく子どもである生川礼奈である。

「ほら、そういうものって、見る人によっては違って映るかもしれないでしょ。だから信じないというより、あまり目にしたものにこだわらない方がいいような気がして――」
「なるほど。もっと肝心な部分に注意を向ける必要があるってことか」

 誰にも頼るもののなかった状態から、何より貢太郎の体験を頭から否定することなく耳を傾けてくれる生川礼奈の協力のもとに、貢太郎は自分が住むことになった家もまた幽霊屋敷と呼ばれていたこと、しかしなぜ幽霊屋敷と呼ばれるようになったのか、そのもととなる要素については町の誰もが口をつぐんでいるということなどを知ったふたりは、過去に何か凄惨な事件があったのではないかと考え、図書館で過去の新聞を調べるといった行動をとるようになる。そして、それまで数々の怪奇現象を受動的に体験するばかりで、得体の知れないものに翻弄されてきた貢太郎が、しだいに自ら行動を起こし、怪現象の正体に目を向けていこうとする物語の流れこそが、本書の大きなテーマのひとつである。

 恐怖というのは、それが理解できない、正体不明だという要素によるところが大きい。わからないものに対して、私たち人間は対抗するすべをもたない、というのがその最大の理由なのだが、だからこそ私たちは、わけのわからないものに対して、なんとかその正体をつきとめようと試みる。日本のさまざな妖怪が誕生した背景には、まだ科学技術がそれほど発達していなかった時代に、人々が理解できない現象に対して名前をつけ、なんとか自分たちの生きる世界のなかに押し込めようとした結果であるが、そういう意味では、人間の歴史というのは、自分たちに立ちはだかるさまざまな恐怖を克服していく歴史でもあった。

 本書において貢太郎の周囲で起こる怪現象――それこそ、彼を追って尋常でない長さまで伸びてくる老婆の腕や、首無し女といったオカルトめいた存在に対して、ただ怖れるだけではなく、そこに目を向け、その正体を知るべく行動を起こすというのは、まさに人間が人間であるがゆえのものである。それも、自分ひとりだけではなく、自分以外の理解者の力を借りたうえでの行動、ということで、人と人とのつながり、その関係性がもたらす人としての意思の強さを、私たちは本書のなかに感じとることになる。ホラーという要素を基調に、そのなかに謎解きのための伏線をうまく隠蔽していくという手法は、前回紹介した『首無の如き祟るもの』のなかにも見られたものであるが、本書のミステリーとしての要素は、貢太郎の過去という「正体不明のもの」を、たしかなものとして白日のもとにさらしたうえで、それを克服していくという人間ドラマを色濃くするものでもある。

 恐怖を克服するための人間の歴史は、一面では人類の英知の歴史でもあるが、ひとつそのとらえかたを間違えてしまうと、人間を愚かしい行動へと暴走させる危険性をはらんでもいる。そういう意味で、人間の歴史は愚かさの歴史、その繰り返しをなかなか克服できないということの歴史であるとも言える。はたして貢太郎が、この禍々しい家のなかで、何を垣間見ることになるのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2008.08.01)

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