【中央公論新社】
『海賊モア船長の遍歴』

多島斗志之著 



 海洋アドベンチャー、という心踊る言葉を聞いて私がまず思い浮かべるのは、潜水艦ものである。科学技術の発達は、ついに人類を月に運ぶまでに到り、その勢いはさらに遠くの惑星にまで届かんばかりであるが、深海世界に関しては、今もなお人跡未踏の部分が多く残されているという。そんな海底を自由自在に行き来できる潜水艦を操り、まだ見ぬ深海の謎を追い求める、というシチュエーションは、私にとって非常に魅力的な要素に満ち溢れたものであるのだが、本書『海賊モア船長の遍歴』を読むにつけ、いわゆる大航海時代――多くの男たちが巨万の富を求めて大海原へと船を漕ぎ出した時代であり、まだ世界地図に多くの空白が残されていた神秘の時代であり、人類のあくなき欲望の産物である植民地と、奴隷制度と、ヨーロッパの国々による血なまぐさい覇権争いの時代――の物語も、潜水艦ものとはまたひと味違った面白さがあり、そういった意味で楽しく読むことのできる作品であると言えよう。

 もっとも、本書の舞台となるのは、大航海時代からさらに百年ほど後の十七世紀から十八世紀にかけて。航海術と造船技術が確立され、すでに開拓された航海ルートを通っての東西貿易がさかんになりつつあった時代であるとともに、そんな貿易船に積まれた品々をねらう海賊たちが跋扈していた時代でもある。時のイギリス国王ウィリアム三世から海賊討伐の委任状を授かったキッド船長は、三本マストの中型帆船『アドヴェンチャー・ギャレー』――三十四門の大砲を備えた軍艦並の装備に加え、非常のさいにはオールによる人力走行も可能な機動性を兼ねそなえた武装船を駆って、いざ海賊討伐へと繰り出すわけであるが、その途中でおこなった人員補給のさいに、この船に乗り込んできたのが、タイトルにも出ているジェームズ・モアであった。キッド船長率いる『アドヴェンチャー・ギャレー』はその後、数奇な運命をたどって自ら海賊行為をはたらく海賊船と化してしまうのであるが、本書はこのモアがいかにして海賊の船長となり、大海原狭しと暴れまわることになるかを描いた物語である、と極論づけることができる。ただ、このモアという人物、私たちが思い描いている海賊船の船長――冷酷無比な荒くれ者、といったイメージとは、ちょっとばかり異なっているのだ。

 もともと東インド会社の所有する船の航海士としてその未来を約束されていたモアは、しかしその最初の航海で海賊に襲われたあげく、会社からは海賊一味との内通を疑われて解雇、さらに結婚したばかりの妻ナタリーの不可解な死にみまわれる、という不幸を経て今に到るわけだが、航海士として第一級の腕を持つ彼は、海賊となってからもその見事な操船指揮能力を発揮して、困難と思われる局面からの略奪を成功させたり、絶体絶命のピンチを切り抜けたりすることで、徐々に乗組員の信頼を勝ち取っていくのである。また、船長や操舵士といった役職は表決で選び出す、後遺症の残る怪我を負った者には補償金を支払う、逆に敵前逃亡は極刑に処す、といった厳格な掟を定めるなど、けっして暴力や恐怖によって船を支配するという形をとらないモアのやり方は、そこらへんの腐った上流階級の人間たちよりも、はるかに紳士的な行為であると言える。また、モアの他にも、文武両道の伊達男<男爵>や、不死身の<幽霊>、寡黙な鍛冶屋の<プラトン>や陰気な<ドクター>など、ひとくせもふたくせもありそうなキャラクターが多数登場し、物語のほうも、あるときは海賊討伐艦隊の罠に陥ったり、あるときはムガール帝国の姫君を人質にとってちょっとしたロマンスが展開したり、さらには秘密結社「薔薇十字団」の謎に迫ったりと、まさに波乱万丈を地で行くような展開となっていて、読者をけっして飽きさせることがない。

 義賊、という言葉がある。弱きを助け、強きをくじく――日本で言うならさしずめネズミ小僧といったところか――ため、あえて悪を貫く輩のことを、敬意をこめて呼ぶ言葉である。むろん、海賊という家業はれっきとした略奪行為に違いないのだが、降伏したものには手を出さない、分け前はほぼ平等にわける、といったモアのやり方は、ただの悪党というよりは、むしろ義賊に近いものを感じる。

 大航海時代に大海原を荒らしまわった海賊たち――その象徴でもある、髑髏旗をかかげた海賊船は、少なくとも堂々と違法行為をはたらいている、という点で、妙にすがすがしい潔さを感じさせるものである。表面ではあくまで紳士を気取りながら、その裏では裏切りや盗賊行為を、法の保護のもと安全におこなっている人間がはびこっているのは、何も大航海時代だけではない。そんな腐りきった連中にくらべれば、海賊たちの存在は、まだしも正当だと思えてならない。

 もし、本書を読んで何か感じるものがあるなら、それはきっと、あなたのなかにも義賊を尊ぶ気持ちが残っているという証拠なのだ。(2000.01.10)

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