【幻冬舎】
『月曜の朝、ぼくたちは』

井伏洋介著 



 すでに起こってしまった過去にあまりに囚われてしまうのは、人生をよりよく生きていくうえで生産的なことではない、という思いが私のなかにはあるのだが、今の自分のありようが、綿々と続く過去の集積物であることを考えたとき、過去を無視してただ先へと突っ走っていくことが、かならずしも正しいとはかぎらない、という思いもある。たとえば、私にとっての大学時代というのは、まだ私が真面目に小説家になることを夢みていた頃と密接にかかわる時期であるのだが、小説家になることはもちろん、小説を書くための才能すら決定的に欠けていることに気づいてしまった今の私にとって、その時代はできれば「なかったことにしたい」とさえ思うほどの黒歴史と化している。

 ただ、どれほど「なかったことにしたい」と願っても、一度起きてしまった過去を修正することは誰にもかなわない。逆に、過去にあったことの不変性というものがひとつの強みであるとするなら、純粋で幸せだった過去の記憶が、その人にとっての生きる糧となっても不思議なことではない。ただ、それは来るべき未来よりも過ごしてきた過去のほうが長い老齢の方だからこそ有効なのであって、まだまだ人生の先がある青年にはふさわしくない。今回紹介する本書『月曜の朝、ぼくたちは』は、まるで長年すっぽかし続けてきた同窓会に参加するような、妙に照れくさい読後感をおぼえる作品である。

「里中さん、自分に厳しすぎる気がします。いつも自分はだめだって責めているみたいです。だから、もっと自分にやさしくなってください。そうすればきっと素直な気持ちを伝えられると思います。――」

 本書は六人の男女による群像劇形式で物語が進められていくが、この六人に共通しているのは、彼らがかつて明教大学経済学部のゼミ生であり、大学時代という過去の思い出を共有することができる仲であることだ。もっとも、卒業から七年が経った時点で、それぞれの歩む道は遠く隔たったものとなっているのだが、ゼミのリーダー格だった来生明大の号令のもと、同じくゼミ仲間だった八木誠二が開いたレストランバーの開店パーティーで再会したとき、その隔たりが目に見える形となってお互いの心を揺さぶることになる。

 群像劇形式、というふうに書きはしたが、この六人のうちでもっとも主役に近い人物がいるとすれば、それは里中正樹となるだろう。ゼミの先輩の勧めで信用金庫から人材派遣会社への転職をはたしたものの、その押しの弱い優柔不断な性格ゆえに思うように成果をあげることができずにいる彼は、開店パーティーの席でかつての恋人だった新名栞と再会する。だがその席で正樹が知ったのは、彼女が宝飾店大手の御曹司からプロポーズを受けており、近く婚約するだろうという話だった。

 以来、正樹の心には、まるで過去の思い出に逃避しようとでもするかのように、栞の面影が住み着くことになる。そして、このかつての恋人たちの心境――もっとはっきり言うなら、正樹と栞との恋愛感情の行方がひとつの大きな軸となって物語は展開していくことになるのだが、少なくとも彼の栞に対する思いは、単純な恋愛感情や未練といった言葉で置き換えられるようなものではない。大学時代における栞との思い出は、たしかに愛し合っていたのだという心地良いものであると同時に、正樹の親友だった男への不誠実と裏切り行為という、まさに「なかったことにしたい」過去と密接に結びつくものでもあるのだ。

 若さゆえの純粋で、なんの打算もない素直な気持ち――だが、そんなかつてのゼミ仲間たちは、けっして学生のころと同じような気持ちでいることを許さない。亀田直太郎のように、いつか起業すると思いながらも、そのための努力をしないままいまだにフリーターの身に甘んじている者がいるいっぽうで、夢をかなえてレストランバーを開業した八木や、銀行のバンカーという出世頭となっている北沢利賢のような者がいる本書は、かつて同じ場所にいたはずの者たちの変化――ときに残酷とさえ思えるほどの格差を強調せずにはいられない。だが、いっけん社会のなかで成功しているように見える者たちにしても、けっしてすべてが順調というわけではなく、ままならない世の中の不条理を相手に、悪戦苦闘としているというのが実情だ。

 そう、大学を卒業し、彼らはともあれ社会人となった。だがその社会のなかで、まるでサイズの異なる服を着せられているかのような、なじめない気持ちをかかえたまま今にいたっている彼らは、社会人として、あるいは何らかの企業に属する者としての打算や思惑と、かつては素直に出せたはずの自身の正直な気持ちとのあいだで大きく葛藤し、どうすればいいのかわからなくなってしまっている。本書の特長は、そうした個々の揺れ動く心を、物語の過程のなかでさりげなく象徴している点だ。たとえば栞にとって、宝飾店の御曹司である小笠原と婚約するというのは、社会人としての打算という側面が強い。だが、かつての素直な自分の心は、今も正樹のほうに向いている。八木の開店したレストランバーにしても、開店という行為そのものはきわめて前向きでありながら、その内装はかつて学生だった彼らが時間をつぶしていた喫茶店の装いを取り入れており、心情的には過去を向いていることの象徴として機能している。

 いつのまにか、過去の思い出を現実逃避の手段としてしまっている者たちが、逃避ではなく前に進むための糧として過去と向き合い、自分なりに受け入れたうえで生きていく――そんなある意味面倒でやっかいな人たちの優柔不断ぶりは、見ていてイライラさせられはするのだが、そのことをむやみに否定しようとも思わないのは、そこにまぎれもない若さゆえの青春の要素があるからに他ならない。それは本書のなかで、栞の婚約者候補として、あるいは利賢の得意先として、物語を進める重要な立場にいる小笠原という人物が、誰もがうらやむほどの地位と財産を約束された身でありながら、ただひとつ、彼らのように純粋に心の内をさらけだすような仲間を共有する過去をもてなかったという一点をもって、満たされなさをにじませるような人物として書かれていることからも見て取れる。

 過去は変えることができない。だが、変えられないという事実を重荷としてではなく、自分を形づくる本質として受け止めることができたとしたら、そのとき人ははじめて、過去を素直に振り返ることができるようになるのだろう。そしてそれは、あるいは私たちが思っているほど、悪いものではないかもしれないのだ。(2012.10.15)

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