【筑摩書房】
『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』

木村晋介著 



 私はこれまで多くの小説やミステリーを読んできたが、その結末が予想できたり、事件の犯人やそのトリックを事前に見抜いたりはおろか、その設定における不自然さや矛盾に気づくことすら、ほとんどできたためしがないと言っていい。これは自慢でもなんでもなく、むしろこうしてインターネット上に書評めいた文章を載せている立場の者としては、その洞察力のなさを恥じるべきことなのだが、逆に、そのおかげで虚構である物語をより純粋に楽しむことができているのかもしれない、と本書『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』を読み終えて、ふとそんなことを思った。

 本書は現役の弁護士である著者が、おもにミステリー小説を相手どって、弁護士生活で培った専門知識と経験をもとに、その矛盾や欠陥を徹底検証していくという内容の本であり、高村薫の『マークスの山』や東野圭吾の『容疑者Xの献身』といった、日本で話題となったミステリーをはじめ、レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』や横溝正史の『犬神家の一族』、エラリー・クイーンの『Xの悲劇』などなど、古今東西の話題作、名作について、あきらかにおかしいと思われる点を容赦なく指摘していくところこそが、大きな読みどころとなっている。さすがに法律の専門家であり、また犯罪に対する警察の捜査方法にも詳しいだけあって、私が読んだときにはまったく気がつかなかった場面や展開について、そんなことは現実にはありえないし、またあってはならないことだと断言するその調子はきわめて論理的であり、またそれゆえに説得力のあるものとなっている。

 こんなふうに本書を紹介すると、いかにも上から目線の、偉そうな本という印象をもたれてしまうかもしれないが、じっさいに読んでみると、特撮やロボットアニメの世界を科学的に検証するという『空想科学読本』シリーズを髣髴とさせるユーモアがある。何より好感がもてるのは、自分はあくまで法律の専門家であって、小説やミステリーを評価する立場にあるわけではない、という姿勢を崩していない点だ。つまり、本書は取り上げた作品そのものを貶めるわけではなく、あくまで現実の法律知識と照らし合わせたうえでの矛盾点を指摘することを念頭に置いているのだ。じっさい、本書はミステリーだけでなく恋愛小説やロングセラー、古典的名作といったジャンルについても触れているのだが、そうした、著者の専門知識があまり役に立たない作品に対しては、ごくふつうの読者として感動しているし、「完敗」を認める回数も圧倒的に多い。

 おそらく、本書でとりあげられた作品にかぎらず、ミステリーには現実のリアルと突き合わせたときの齟齬や矛盾点が、大なり小なりあるのだろう。それは著者が指摘しているように、物語の展開上その矛盾を無視せざるを得なかったのかもしれないし、たんに作者が認識不足なだけなのかもしれない。だがそれとは関係なく、私はそれらの作品について、あくまで虚構の読み物として楽しむことができている。そんなふうに考えたとき、ミステリーにおいて真に必要なものは、現実世界と寸分たがわぬ徹底的なリアルさや、謎解きの矛盾のなさとかいったものではなく、むしろいかに上手に読者を物語世界に引き込み、良い意味で騙してくれるか、という点のほうが大きいように思える。それは、タネも仕掛けもあるマジックを、いかにもな演出で披露してくれるマジシャン的な才能の有無が、案外ミステリーの成功の大きな鍵なのかもしれないということであり、奇しくも本書がそのことを証明してくれているというのが興味深い。

 興味深いのは、殺害方法はいとも簡単なのにいずれの殺人もえっと驚くような偽装工作が行われることだ。――(中略)――しかもそれだけド派手な演出が堂々と行われながら、それが真犯人のアリバイを消すためだったのは、たったの一回だけ。

(『犬神家の一族』にケンカを売る)

 こうなると、専門知識があるということが、ミステリーを読む上ではむしろ邪魔になってくるとさえ言える。じっさい、著者自身「本の雑誌」でこうした企画に挑むまでは、ミステリーはもちろん小説全般についてほとんど興味がなかったというが、そこにはこれまで数々の事件を弁護し、並の創作よりもよほどリアルかつ意想外な法曹関係の記録に触れてきた著者だからこそもちえる信念である。そして、古今東西のミステリーに「ケンカを売る」という名目で書かれた本書であるが、そのなかで圧倒的なリアリティを感じさせる文章があるのもまた、著者自身が体験し、考えたうえで迸り出る言葉である。とくに、本書のために書き下ろされたという「『名もなき毒』にケンカを売る」については、人が犯罪を犯すことについて、そしてその加害者を弁護することについて、今も結論の出ない問いに悩み苦しむひとりの人間としての著者が描かれており、それだけでも本書を読む価値は充分にあると言えよう。

 事実は小説より奇なり、という言葉があるが、そのことを確信し、またそれを裏づけるような職業に就いている著者が、たとえば『冬のソナタ』を読んで感動の涙を流す――それを思うと、あらためて人間の想像が生み出す物語というものの力について、再認識せずにはいられない。ミステリーに対してケンカを売るという名目の本書であり、またその目的を充分にはたしているのはたしかであるが、その一方で人の心を動かし、またその琴線に触れることができるものを、小説はたしかにもっているという確信も与えてくれる。もし機会さえあるなら、本書のなかで一刀両断にされてしまったミステリーについて、あらためて読んでみたいものである。(2010.12.20)

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