【東京創元社】
『乱れからくり』

泡坂妻夫著 



 小さい頃、忍者屋敷というものにひとかたならぬ興味を示した覚えがある。一見するとただの壁なのに、くるりと回転して別の部屋への通路となるどんでん返しや、天井裏の隠し部屋へと通じる秘密の階段、人が乗ると音が鳴る廊下など、さまざまな仕掛けやからくりが施されている忍者屋敷は、どこか非日常の雰囲気をかもし出してして、男の子がよく憧れる「秘密基地」に似たようなものを、当時の私はその中に見出していたように思う。ちなみに、私の故郷である石川県には、通称「忍者寺」と呼ばれる寺(正式には「妙立寺」という)があるのだが、左右の扉がそれぞれ別の通路につながっていたり、落とし穴が用意されていたりと、まさに「忍者寺」と呼ばれるにふさわしい数々のしかけが今でも残されている。

 からくりと言うと、大抵の人は玩具の仕掛けを思い出すのではないだろうか。日本の茶運び人形をはじめとするからくり人形たちは、まさに人を驚かせたり、楽しませたりするためにつくられたものであるが、こうした玩具のからくりと、忍者屋敷のからくりとは、そのつくられた目的が対極に位置している、という点で興味深いものがある。忍者屋敷のからくりは言うまでもなく、外部からの敵の侵入を阻止し、排除するためのものだ。そういう意味では、からくりこそ、光と闇、善と悪を兼ね備えて生まれてきた人間の姿を、もっとも色濃く映し出しているものだと言うことができるだろう。

 本書『乱れからくり』そのものは、典型的なミステリーの形を踏襲した作品であるが、その鍵となるのは、そのタイトルからも察せられるように「からくり」である。じっさい、本書に登場する馬割家が代々経営している「ひまわり工芸」は玩具の会社であり、その製作部長の馬割朋浩から、妻の素行調査の依頼を受けた宇内舞子と、彼女がただひとりの社員でもあった「宇内経済研究所」に採用されたばかりの勝敏夫は、それをきっかけにして、万華鏡にしかけられた小さなものから、「ねじ屋敷」と呼ばれる奇妙な邸宅にある迷路に隠された大規模なものまで、じつにさまざまな「からくり」と接することになるのだ。まるで薀蓄のように物語中に差し挟まれる玩具やからくりの歴史など、ちょっとしたネタ本としても楽しめる本書であるが、何よりもまず読者を驚かせるのは、舞子たちに仕事を依頼した馬割朋浩が、なんと隕石との衝突によって死亡してしまうという、まるでB級映画を観ているかのような物語の展開であろう。

 隕石との衝突――およそミステリーのように、虚構内のリアリティーには人一倍気を使うはずのジャンルにおいて、もっともリアリティに欠けると思われる事件を、あえてその冒頭に置いた著者の意図を考えたとき、それはけっきょくのところ、本書の中心を成す「からくり」をよりいっそう引き立てるためのものではないか、と思われるのだ。

 朋浩の死後、馬割家を襲う不可思議な連続殺人の大きな特徴は、そのいずれもが、殺人に手を染めた犯人の痕跡がまったく見つからない、ということである。物語では、その捜査線上に朋浩の妻である真棹が浮かんでくることになるのだが、真棹=犯人という構図が、「からくり」を鍵としたミステリーとしては面白くない結果であることは、ミステリー通の読者であれば容易に想像のつくところだろう。

 今回の殺人事件の裏には、なにか大きな「からくり」がある――その思いこみが、朋浩の死を、それ以降の連続殺人と結びつけ、読者を解けない謎の中へと放りこんでしまうのである。朋浩の死を単独で考えたとき、それはどんなに奇想天外な死であっても、「事故死」であるということだけは間違いのないことであるにもかかわらず、そこに何らかのトリックがあるのではないか、と思わせてしまう著者の、マジシャン顔負けの誘導術は、見事と言うほかにない。

 それにしても、本書全体を覆うこのレトロな感覚は何なのだろう。もちろん、本書の発刊が昭和52年、ということもある。そして本書の基本である「からくり」自体、コンピュータ全盛の現代において、すでにレトロな時代の産物であることもあるだろう。だが、それ以前に発刊された作品で、まったく古臭さを感じさせない作品は、いくらでもある。物語の過程において、未亡人となった真棹に、勝敏夫が恋慕の情を抱いたり、邸宅の庭にある迷路の地下に秘密の抜け穴があったり、といった展開は、まさに私たちが「古臭い」と感じずにはいられない、ともすると「陳腐」という名のもとに片づけてしまいがちなものであることは確かなのだが、同時にそのレトロ感が、逆に本書の「からくり」というテーマを、より魅力的なものとするための一要素として機能していると言うこともできるのだ。

 本書の中で紹介されている薀蓄のひとつに、17世紀にレーゲンスブルクの機械学者の手による「自動チェス棋士」というものが出てくる。これは、人形がまるで人間のようにチェスの相手をする、というものであるが、じつは機械の中に人間が入り、人形を動かしていたというオチがあったという。今で言えば詐欺行為にもあたるこうしたトリックは、しかしそこに人の意思が介入することで、完全な自動人形にはけっして持つことのできない「人間臭さ」を感じさせる話でもある。それはどこか、人の心をホッとなごませるものがないだろうか。本書の謎がすべてあきらかにされたとき、私はそんなふうに思った。

 自動ドアと言えば、今では珍しくもないものだが、古代エジプトにも、原理こそ異なるものの、自動ドアがあったという。神官の祈りとともに、自動的に開かれる神殿の扉――本書はそうした懐古趣味を盛りだくさんに詰めこんだ、レトロを売りにした作品だと言っていいだろう。(2002.03.21)

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