【東京創元社】
『体育館の殺人』

青崎有吾著 



 まったくもってあたり前の事実として、ミステリーにおける探偵の役割とは、作品のなかで引き起こされた事件の謎を解明することである。だが、これまでそれなりにミステリーを読んできて気がついたのは、ただ単に謎を解くだけでは探偵としての役割をはたしたことにはならない、ということである。たとえば殺人事件の場合、何の前置きもなく探偵がおもむろに真犯人を名指ししたところで、読者はもちろんのこと、真犯人として名指しされた登場人物も納得はすまい。ミステリーにおける真犯人というのは、その容疑から遠いところにいる意外な人物であることが定番であるが、それゆえに、その意外な人物こそが真犯人であるという論理的説明が必要となってくるからである。

 探偵がいかにして謎の真相にたどりつくのかは十人十色であるが、仮に直感や超常的能力によって物事の真実を見抜くことができたとしても、それはミステリーで言うところの「謎を解く」ことにつながるわけではない。そもそも探偵というキャラクターが登場した時点で、構造的に謎は解き明かされるというのがミステリーだ。であるなら、ミステリーにおける「謎解き」で重要なのは、徹底的な論理と整合性によっていかに読者を圧倒することができるか、という点にかかってくると言える。今回紹介する本書『体育館の殺人』という、おそろしく凡庸なタイトルの作品には、そんなミステリーの謎解きの美学とでも言うべきものが、たしかに存在する。

 神奈川県立風ヶ丘高校の旧体育館。殺人を彩るにふさわしい異様も、狂気も、怪奇も、猟奇も、ここには、この体育館という場所には何もない。間取りや装飾だって特殊性は皆無で、むしろ究極的に単純である。
 こんなところで事件が起きても、ミステリアスな「殺人」は成り立たない。
――(中略)――はずだった。

 登場人物のひとりによって、上述のように評される今回の事件であるが、なぜか幕の下ろされた旧体育館ステージの、その幕を上げてみたところ、その中央演台の脇に男子生徒の他殺死体が発見されるという展開は、文字どおりミステリーにおける事件の幕開けという演出を意識していて興味深い。そして本書を読み進めていくとすぐに気がつくことであるが、この作品が探偵による「謎解き」をメインとするミステリーであること――それこそ、「読者への挑戦状」に象徴されるような本格ミステリーの位置づけを印象づける構造をあえてとっている。

「謎解き」に必要なヒントを作中にすべて提示し、作中の探偵と読者を同じ土俵に立たせたうえで、読者自身にも「謎解き」というゲームを楽しんでもらうものを、狭い意味での「本格ミステリー」と考えたとき、本書の位置づけがそこにあてはまるというのは上述したとおりであるが、じっさいに謎解きに挑戦するゲームとして「本格ミステリー」をとらえる読者がどの程度いるのか、という点は、いつも私を悩ませる命題のひとつである。少なくとも、私自身のこれまでの読書スタイルを振りかえったときに、「本格ミステリー」をあくまで物語の一形態として読んでいるというのが常だ。というのも、とかく探偵に必須な鋭い観察力や深い洞察力といった能力が自分に欠けているというのは、本人が一番よく知っている事実であり、もとより作中の探偵との謎解き合戦に勝てるはずもないからである。

 ゲームとしての「本格ミステリー」を楽しめない読者が、それでもなお「本格ミステリー」を読む理由として出てくるのは、けっきょくは物語の面白さという点になると考えているのだが、ではその「面白さ」とは何なのかと考えていくと、そのひとつの到達点として、探偵役をになう登場人物が、その作中においてどんなふうに活躍してみせてくれるのか、というのが挙げられる。これはそのままキャラクターの魅力というふうに言い換えても大差ないのだが、こうした傾向の一端を象徴するのが、西尾維新という作家の登場だろう。そのデビュー作『クビキリサイクル』からはじまる「戯言シリーズ」は、当初こそミステリーの体裁をとってはいたものの、シリーズを重ねるにつれてミステリー色は薄まり、どちらかといえばキャラクター同士の能力バトル系へとシフトしていく流れをもっていた。そしてそれらのシリーズに限らず、西尾維新の作品の魅力というのは、物語のなかににじみ出る独特のケレン味と、キャラクターの印象深さという点に集約されていると言っていい。

 本書の場合、探偵役として登場するのは裏染天馬という高校生だ。校舎の一角に住み着いているという噂や、極度のアニメオタクであるという設定、そのくせ前期中間テストで全教科満点という離れ業を成し遂げたりする彼のキャラクター性は、それだけでも強いインパクトを放つものであるが、なにより彼がもっとも輝いているのが探偵として事件の謎解きに挑んでいるときであるという点こそが、本書の大きな特長となっている。本書では殺人事件として警察関係の登場人物も出てくるわけだが、高校生が探偵役となったときに、犯罪捜査のプロである警察に対していかに遜色のないところを見せることができるかが問題となってくる。いくら頭がよくても所詮は子どもだ。そんな高校生が探偵として警察と渡り歩くためには、それ相応の理由づけが必要となってくるのだが、本書では純粋に彼の推理における徹底した論理性を突きつけることによって、そのハードルをクリアしているのだ。

 もっとも、ここで言うところの「論理性」とは、あくまで本格ミステリーの世界における論理性であることを忘れてはならない。そして本格ミステリーにおける論理性とは、こまかい部分の整合性やリアリティとの兼ね合いといったものがどうこうというよりも、むしろいかに読者を圧倒させる推理を展開するかという点――奇しくも裏染が自身の推理を「パフォーマンス」と呼んでいるが、そうした探偵として胸のすくような活躍をいかに展開していくか、という点に集約されていると個人的には思っている。

 それまでただの描写だと思っていた箇所さえも、じつは謎解きにおける伏線のひとつだったという裏染の推理の見事さが、そのまま物語としての面白さにも直結しているという本書、はたして生粋のミステリー好きの方々がどのような感想をもたれるのか、という個人的な興味もふくめ、ぜひ一度読んでみてほしいところである。(2012.12.16)

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