【白水社】
『バーナム博物館』

スティーヴン・ミルハウザー著/柴田元幸訳 



 たとえば、池上永一の『シャングリ・ラ』のなかに登場するガラクタ都市「ドゥオモ」。およそ建築基準など知ったことか言わんばかりに、無法者たちが好き勝手に改築、増築を繰り返した結果、階段を上に登っていたのにいつのまにか地下にいたり、開かない扉や行き止まりの通路があったり、板を差し渡しただけの橋がかかっていたりと、ともすると自分の現在地さえあやふやになるような複雑で入り組んだ構造を成す都市であるが、住むのにはけっして快適そうではない、こうしたカオス的な建築物に惹かれるという方は、きっと私だけではないだろう。なぜなら、そこには無秩序であるがゆえに、人々の想像力が入り込む余地が生じるからである。整然としたものはたしかに美しいし、また便利でもあるが、あまりに秩序だっているがゆえに予想外の事柄を想像するのは難しい。

 もちろん、想像力というのは、たとえば他人の気持ちを思いやったりするためにこそ使われるべきであるし、また想像と妄想とは似て異なるものでもある。だが、いっけんすると無駄なもの、何のために存在するのかよくわからないようなものに、何かしらの意味を見出そうとするのは、人間が人間であるがゆえの心の作用でもある。想像上の動物や幻獣、魔法や呪い、異世界、神秘の力を秘めたアイテム――もともとは、未知のものに対する恐怖ゆえに生み出されたそれらのものは、しかし未知であるがゆえに、私たちの好奇心をかき立てるものがあるというのも事実だ。じっさい、私たちの世界は想像力によって広がっていったのだと言っても過言ではない部分がある。

 おそらく、ただ生きていく、自身の子孫を残していくというだけであれば、ときに自身の生存をも脅かしかねない想像力など余計なものだ。そのぶん、人間というのは他の動物にくらべて弱いとも言える。だが、何かを美しいと感じ、世界の広がりを読み取る想像力がなかったとしたら、はたして人間は今のような姿をしているだろうか。本書『バーナム博物館』は、表題作をふくむ十の短編を収めた作品集であるが、この表題作を本のタイトルにもってきたのはきわめて象徴的だ。なぜなら、本書の短編はいずれも、まさに奇想天外なものを展示してあるバーナム博物館そのもの、きわめて実験的で想像力をかき立てられる物語を収めた博物館のような様相を呈しているからである。

 言い伝えられるところによれば、ある玄関から正午にバーナム博物館に入り、かりに午後三時に同じ玄関に戻ってこられたとしても、もうそのときにはそこは外の街路に通じる出入り口ではなく、別の新しい部屋につながる口になってしまっているという。そしてその部屋のドアの向こうにも、やはりさらに多くの部屋、さらに多くの出入り口がほの見えているのである。(『バーナム博物館』より)

 どう見ても本物の魚の下半身をもつ人魚や、空飛ぶ絨毯に乗っている男、透明人間や魔法のランプなど、いかにも胡散臭く軽妙で、しかしこのうえなく魅力的なものばかりを展示する博物館のことを書いた『バーナム博物館』は、常に増改築を繰り返し、けっしてひとつの形にとどまることのない博物館でもある。そして、この全体の構造を把握することのできない、その運営方法も謎に包まれたこの博物館が、まさにその謎であるという属性ゆえに、たとえば翼のある馬や笑い鬼、囚われの巨人、湖中の都市、失われた大陸の宝といった、現実にはけっしてありえない――仮にあったとしても、このうえなく卑俗なものに見られるであろう不思議な展示物の存在を許している。およそ、リアルとは対極に位置する神秘や夢、幻想といったものを、どのようにして本物らしく、リアルに近づけていくか、というのが、本書に収められた短編に共通するテーマである。

 たとえば、『千夜一夜物語』のパロディーともいえる『シンバット第八の航海』は、じっさいには書かれていない幻の「八番目の航海」の物語をテーマとした作品であるが、その冒険の内容を書いたパートのほかに、バグダッドの邸宅にたたずんでいる老いた商人シンバットがひたすら回想するパートと、現実に存在する『千夜一夜物語』の内容について分析するパートの、全部で三つの物語の流れが入り混じるようにして話が進んでいく。全体として物語の筋というべきものはなく、ふとした瞬間に読者を現実から幻想の世界へと引きずり込もうとするかのようなこれらの短編は、しかしただたんに奇想天外な物語を提示するだけでなく、そのための演出にかなりのこだわりを見ることができる。『シンバット第八の航海』の場合、『千夜一夜物語』がそもそもシェヘラザードの物語る話であり、しばしばその語りのなかに登場する人物が、さらに別の物語を語り出す、という物語の入り子構造を解説したうえで、「八番目の航海」があったとしてもおかしくはない、という方向へともっていこうとする。

 幻想や不思議を物語るうえで、あくまで現実的、論理的なアプローチを差し挟むというのは、言ってみれば本書の常套手段でもある。『不思議の国のアリス』をモチーフにした『アリスは、落ちながら』は、アリスがひたすらウサギの穴を落ち続けていくという話であるが、そのいっぽうでそのシチュエーションを説明するための理屈についても言及しているし、とある盤上ゲームのことを書いた『探偵ゲーム』は、あくまでそのゲームを興じる人たちの現実世界と平行するようにして、もうひとつの物語、盤上ゲームの登場人物を中心にした虚構の物語が書かれていく。こうした、幻想や虚構と対比するようにして現実世界からの視点が設定されているのは、想像力の世界というものが、現実世界との対比によってよりいっそう現実味を増していく、という計算があってのことだと言える。

 しかし、何より本書が特長的なのは、細部に対する緻密さ、そのこだわりの深さだ。そして、虚構の世界を現実の世界のなかに再現しようとするかのようなその描写が、本書に収められた作品が短編でありながら、まるで長編を読むかのような濃密さを生み出している。

 子どもならではの想像力で、銀幕の裏側にある別世界を垣間見る『青いカーテンの向こうで』のような典型的なファンタジー風のものから、エリオットの詩を漫画のようにコマ割りし、それぞれのコマの様子を描写した『クラシック・コミックス#1』のような、極端に実験的なのまで、ホラー風味の『雨』のようなものから、ひとりのマジシャンの奇妙な生涯を書いた『幻影師、アイゼンハイム』のようなものまで、人間の想像力が生み出す世界の限界に挑戦するかのような短編を収めた本書は、それゆえに作品ごとに好き嫌いが分かれやすい作品集でもあるが、少なくとも本書のなかでは、まぎれもない現実といったものは、あくまで著者が織り成す華麗な――あるいは軽薄な幻想世界の付属物でしかない、という思いにとらわれてしまう。そしてそうした感覚は、私たち読者にとって、まるで幼いころに体験した夜の祭のように、妙な懐かしさをともなうものでもある。めくるめく非現実的世界に、おおいに幻惑されてもらいたい。(2008.06.19)

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