【早川書房】
『ミレニアム3』
−眠れる女と狂卓の騎士−

スティーグ・ラーソン著/ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳 



 人と対話をするときのもっとも根幹にあるべきものは、対話する相手が自分と同じ人間であるという認識である。私たちは基本的に、草や木に話しかけたりはしない。あるいは飼っているペットに話しかけるという方もいらっしゃるかもしれないが、それはあくまで一方通行のものであって、ペットが人間の言葉を解し、耳を傾けているという認識に立っているわけではない。相手が「自分と同じ」人間だという認識があるからこそ、私たちはその相手と対話をしようと試みる。そしてここで言う「自分と同じ」という認識とは、自分が相手に話すことをきちんと聞いてほしいと思っているのと同じように、相手の言うことについても真摯に耳を傾けるという姿勢であり、自分と相手が対等な立場にあることが大前提となってくる。逆に言えば、この前提がそもそも崩れていると、同じ人間どおしであってもまともな対話が成立しない、ということでもある。そして残念なことに、私たちの生きるこの世界において、こうした例は数限りなく存在する。

今回紹介する本書『ミレニアム3−眠れる女と狂卓の騎士−』をふくむ、一連の「ミレニアム」シリーズにおいて、登場するキャラクターはかなりの数におよぶのだが、あくまでリスベット・サランデルを中心とする人間関係という枠組みでとらえたときに、そこには単純なまでの二分化が成立していることに気づく。それはリスベットとの対話において、彼女をひとりのあたり前の人間として扱うか、そうでないかという違いであり、それはそのままリスベットにとっての、「良い」「悪い」という二極化で物事を考える性格にも反映されている。前作『ミレニアム2−火と戯れる女−』において、彼女が極めて高い知能を有していながら、成人してもなお無能力者扱いされ、特別代理人による管理を受ける身に甘んじなければならなかった理由の一端が明らかになるのだが、それは国家の一機関に属する秘密組織の周到な陰謀によって、彼女がまともな人間であることを否定されてきたということを意味しており、この事実によって、本書はリスベット・サランデルの奪われた人間性をめぐる戦いというテーマを固めるに到ったと言うことができる。そしてその中心にいたのが、彼女の父親であり、旧ソ連からの亡命スパイでもあるアレクサンデル・ザラチェンコだった。

 前作の最後に起こった、リスベットとアレクサンデル・ザラチェンコと直接対決は、両者とも重傷を負って病院に収容されるという結果となった。ジャーナリスト殺人事件の真相にたどり着いていた「ミレニアム」発行責任者ミカエル・ブルムクヴィストは、リスベットの無実を証明するために、ザラチェンコをめぐる国家規模の陰謀の全容を明らかにし、記事として完成させる決意を固めていたが、そのキーパーソンたるザラチェンコが病院内で射殺され、陰謀の証拠となる機密扱いの報告書が彼の手から奪われてしまう。その背景には、長年のあいだザラチェンコを匿い、国家を守るという大義名分のもと、さまざまな犯罪行為に手を染めてきた秘密組織・特別分析班の影があった。スウェーデンの公安警察内部をスパイするというこの組織にとって、今回の一連の事件は組織の存続を危うくするものであり、この危機を回避するためには、なんとしてもリスベットを社会的に抹殺してしまわなければならないと考えていたのだ……。

 こうして物語は、国家規模の陰謀というスケールの大きな話へと展開していくことになるのだが、その根幹にあるのは、あくまでリスベットを人間扱いする側とそうでない側との戦いという構図である。今回のリスベットは重傷を負った患者であり、その特異な能力をほとんど発揮できない状態にある。そしてジャーナリスト殺人事件の犯人という汚名はそそがれたものの、その過程で起こさざるを得なかった犯罪容疑で起訴されるという流れは避けられそうにない。敵はその裁判の場で、彼女が精神を病んでいる無能力者であることを再び証明し、精神病院に送り込むことを目的に暗躍をつづけるが、ミカエルをはじめとする真相の一端を知る者たちが、リスベットを助けるために戦う決意をする。敵は公安の一機関、プロのスパイ技術と潤沢な資金、そして何より国家のためというプライドをかけて犯罪行為に手を染める組織であり、これまでミカエルが追ってきた犯罪者集団とはわけが違う。リスベットはもちろんのこと、ミカエルもまた、ジャーナリストとしての優れた技術だけでは、到底太刀打ちできそうにない者たちを相手にしなければならないことを知ったうえで、どうするのが最善であるのかを考えざるを得なくなる。

「きみがそうしたのは、『ミレニアム』の見出しよりもはるかに大きな意味がこの事件にあると認識しているからだろう。今回の事件でのきみは、客観的な記者ではない。事件の展開に直接かかわる当事者なんだよ」

 リスベットの能力を認め、調査員として雇っていたミルトン・セキュリティーの社長ドラガン・アルマンスキーは、「当事者として目的を果たすには、助けが必要だ」とミカエルに語る。ここでいう「目的」とは、もちろんリスベットを助けるということであり、記事を完成させて「ミレニアム」の売上を伸ばすとか、自身の名誉とかいったことではない。今回の一連の事件において、ひとりの人間としてリスベットを助けたいと考える人たちが大勢登場するが、そのなかには彼女を重要参考人として追っていた警察もいれば、現役の公安警察も入っている。だが、彼らが所属している先がどこであろうと、自分たちが助けようとしているリスベットに対する態度は一貫している。彼女はれっきとした人間だという認識――その象徴としてあるのが、「友人だから」助けるというミカエルの言葉である。

 ひとりひとりの力はたかが知れているが、その小さな力がいくつも集まることで、国家権力さえも揺るがすことができるという本書の流れは、ラストを飾る法廷での対決を含めてまさに王道であり、胸のすくような展開でもある。だが、その小さなひとりの人間の力を束ねるために必要なものは、基本的に相手と対話を成立させるための必要なものと大差ない。ミカエルが結成した、リスベットを救うための集団「狂卓の騎士」は、言ってみればリスベットの奪われた人間性を回復するためのものであり、それは民主主義国家であれば、当然のものとして守られるべきものでもある。この人間としての自由を尊重するという姿勢と、それを守るための戦いは、本シリーズにおいて一貫したテーマとして流れているものでもある。

 リスベットがどうなふうに思っていようと、自分は彼女の友人であるというミカエルの意思は、何よりリスベット自身の気持ちや判断を尊重するという姿勢の表れでもある。そんな彼の思いに、リスベットが何を思い、どのような決着をつけることになるのか、ということも含めて、ぜひともこのシリーズの大団円を楽しんでもらいたい。(2010.08.31)

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