【角川書店】
『恋愛中毒』

山本文緒著 



 恋は盲目、とは、本当によく言ったものである。

 人はたったひとりで生きていくにはあまりに脆く、弱い存在だ。だからこそ誰かに認められたい、必要とされたいと思うものだし、逆に自分が好きだと思った人に対して、自分こそが特別な人でいてあげたいと願う。恋愛というものに関して人に自慢できるほどの経験を持っているわけではないが、人を愛するということは、同時に自分自身を愛することであり、そうである以上、恋愛がある意味で独善的な色あいを帯びてくるのは避けられないことだと言える。相手のすべてを知りたい、その人を独占したい、自分だけを見ていてもらいたい――だが、当然のことながら、相手も同じくものを考え、自己を主張する人間であるからには、どんなに相手のことを理解したいと思っても完全に理解してあげることなどできないし、自分の気持ちを100パーセント相手に伝えることができるわけでもない。自分と相手との間には差異がある、ということを知るのは、恋愛を成就させるのに重要な要素のひとつなのである。

 他人をまったく愛せないよりは、愛する心を持っているほうが良いに決まっている。だが、他人を愛する、という自分の気持ちにあまりに執着しすぎると、相手だけでなく自分自身をもかんじがらめに縛りつけてしまい、身動きひとつとれなくなってしまう。本書『恋愛中毒』に書かれているのは、人をあまりに愛しすぎてしまうがゆえに、自分を含めたすべてを不幸にしてしまった女性の物語である。

 水無月圭子には、離婚歴があった。それまでずっとうまくいっていたはずの夫といつのまにか疎遠になり、夫の心が完全に自分から離れて修復できないところにまで来たあげくの離婚だった。それ以来、二度と結婚はしない、男を好きになることも捨てて、ひとりで独立して心静かに生きていこうと決意した水無月は、郊外のアパートで一人暮しをし、弁当屋のアルバイトをしながら数少ない翻訳の仕事をこなす、という生活をおくっていた。だが、思いがけず芸能人であり作家でもある創路功二郎と出会い、まるで捨て犬でも拾うかのように「ウチの事務所ではたらけ」と誘われたとき、心静かに暮らそうと決意していたはずの水無月の心は、ぐらぐらと揺れはじめていた……。

 すでに二度の結婚を経験し、若くて美しい妻がいるにもかかわらず、何人もの愛人をもち、しかもそのことを隠そうともしない、大胆で常識はずれな創路に惹かれ、彼の言うところの「羊ちゃん達」のひとりという扱いでも構わないから、彼のために尽くしたい、と考える水無月の心情は、ごく普通に読み進めていく限り、多少古風な感じはするものの、女性であれば誰もが感じてしかるべき恋愛感情のように思える。また、自分がもはやそれほど若くはなく、恋愛や結婚に対して以前ほど期待もしていない、と冷静に自分の感情を見据えることのできる、自制心をもった女性であるようにも思える。それゆえに、本書のラストで明らかにされる水無月の戦慄すべき素顔には、きっと読者も驚かされてしまうに違いない。だが、あらためて本書を読み返してみると、水無月の行動の、どこか尋常ではない様子が、創路功二郎の圧倒的な存在感の影に隠れるようにして、しかしはっきりと描かれていることに気がつくはずである。

 そう、たとえば水無月は、自分のことを小心であると言い、実際に創路のなかば強引な頼みに引きずられるようにして、彼の後をついていき、犬のように彼の用事が終わるのを待っている。そこにはひどく自己主張の少ない、言われたことをただ黙々とこなしていく、行儀の良い子どものような水無月の姿がある。だが、そのくせ創路のもっとも古株の愛人である中野美代子を懐柔するために何時間も彼女の店の前で待ち伏せしたり、両親がいないことを確認したうえで実家に戻り、必要なものだけをこっそり持ち出したりしている。また、創路の若奥様の面倒を押しつけられて「無理矢理ガムテープのようなもので胸から引き剥がされたような激しい痛みが走った。それはたとえではなく本当に痛くて、私はしばらくそこにうずくまって」しまうように、物事をやたらと大袈裟に考え、しかもそのことで本当に体の調子を崩してしまうほど、強い思い込みをもってしまう。

 あまりにも強烈な思い込み――もし水無月に普通でないところがあるとすれば、その一点にこそあると言うことができる。そしてこのような人たちにほぼ共通して言えるのは、自分と同じだけの思い込み、自分が捧げているだけの愛情を、知らないうちに相手にも要求してしまうことなのである。

 お前は結婚している時奴隷だった、と昨日荻原は言っていた。そうかもしれないと今私は思う。――(中略)――黒いものを白だと言って味方してあげるのが私の務めだと思っていたし、今でもそう思っている。甘やかすことが愛しているということだ。そうでなくて、どう他人と区別をつけることができるだろう。

 自分にとって、何の関心も引き起こさない、いわゆる「その他大勢」のことを他人と言うのであれば、自分にとって特別な感情、しかも強い感情を引き起こさせる対象が「恋人」ということになるだろう。だが、強い愛情がときに容易に憎しみへと変化してしまうように、愛憎関係は表裏一体であり、相手に関心をもっている、という意味でふたつは等しいものでさえある。だからこそ、「他人」よりもいっそう相手の心に踏み込んだ恋人どうしが、ときに相手を憎み、喧嘩してしまうのは、よりいっそう相手のことを深く知るうえで大事なことなのである。水無月の恋愛感情には、相手との衝突、という要素がすっぽりと抜け落ちてしまっているのだ。

 相手を甘やかすことが愛情であると彼女は言う。ならば、肝心のその相手が、甘やかされることを拒否したとき、相手に逆らうことのできない彼女の感情は、いったいどこへ噴き出してしまうことになるのだろうか。

 私たちの人生は、けっして恋愛だけで動いているわけではない。私たちは他人に依存したいと思いながらも、けっして全体重を相手にかけたりはしない。本書のタイトル『恋愛中毒』というのは、その体重のかけ方がわからなくなってしまうことなのかもしれない。(2000.07.24)

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