【徳間書店】
『ルー=ガルー』
−忌避すべき狼−

京極夏彦著 



 このサイトの書評をつうじて私が書いてきたことのひとつとして、未知のものへの恐怖というものがある。人は基本的に、自分に理解できない事象、わけのわからないものに恐れをいだく。もちろん、それは自身の無知ゆえに引き起こされるものであり、だからこそ人類は科学技術を発達させ、未知のものを秩序づけ、自分の領域に引き込むことで克服してきたのであるが、そうやって理解できた事柄は、じつにささやかな範囲のものでしかない。空を飛び、宇宙へと駆け上がり、情報網によって距離の概念すら克服しつつある人類であるが、彼らのまわりには依然として数多くの未知が横たわっている。

 たとえば、どんなに親しい友人知人であっても、たとえそれが自分の親族であったとしても、けっきょくのところ他人が心のなかで何を考えているのかを理解することはできない。ともすると、自分自身のことですらよくわからなくなってしまうのが人間というものであり、そういう意味では人間こそが最大の「未知」だと言うこともできる。だが、未知のものは恐怖の元でもある。それゆえに、人はときとして「理解する」ことを前提に理屈を無理やりひねり出すことがある。本当はわからないものであるにもかかわらず、あたかもそれが当然であるかのごとく事象を規定してしまう――じつのところ、そうやって積み重なっていった幻想が、人間社会の色合いを生み出しているところが多分にある。

 わからないものをわかったふうに思い込むのではなく、わからないものはわからないときちんと見定めるところから出発する――京極夏彦という作家の作品には、いずれもそのようなテーマ性があるのだが、本書『ルー=ガルー』は、とくにそのテーマ性が強く押し出されていると言うことができる。

「情報は置き換えられる。数字を拠り所に生きている連中は、数字に嘘があるとは思えないんだ。大昔の人間がいい加減な脳味噌信じてユーレイ見たように、今の大人は数字の間違いが許せないからユーレイを捻り出すんだ。だから辻褄さえあってれば誰も疑わない。」

 本書の舞台として描かれる近未来の日本は、データによる情報管理化が進んだ社会である。ネットワークに接続されたコンピュータや携帯用端末によって日常生活のさまざまなことを賄えるようになった社会は、これまで続いてきた学校教育という制度そのものを駆逐し、子どもたちは自宅のコンピュータを用い、自分のペースで学習するのがあたり前となっている。言い換えれば、彼らは基本的に他人と会うことがない。学校そのものがないためクラスメイトという概念もなく、せいぜい週に一度、各エリアのセンターで行なわれるコミュニケーション研修で顔を合わせる程度の接触しかしない。

 主要人物のひとりである牧野葉月は、そんな社会に生きる子どもたちの代表選手のような人物として書かれている。学習はもちろん、情報収集やコミュニケーションなどをすべて自宅のメインモニタか携帯用端末ですませてしまうため、ともするとモニタのなかこそが真実であって、その外にあるのは嘘の世界ではないかという錯覚にとらわれがちだ。とくに、彼女は無保護者児童であり、今は県会議員の養女として養われているものの、彼との接触も多いわけではない。それゆえに、彼女の住むエリアでも連続殺人が――自分と同じくらいの年齢の子が被害者となる殺人事件が起こっても、それはあくまで雑多な情報のひとつでしかなく、リアルな現実として彼女の日々の生活に介入してくるとは、夢にも思っていない。

 殺人事件が起こり、それにまつわる謎を解明し、真犯人が誰なのかをつきとめる――物語の骨子だけをとらえるならば、本書はきわめて正当なミステリーの形式を踏襲している。しかしながら、上述のように人と人との接触そのものが珍しいこととして扱われるような設定が前提としてある場合、「殺人事件」という要素は、情報化社会の対極、つまりはまぎれもないリアルとしての意味合いを強めることになる。じっさい、牧野葉月と連続殺人事件との接点は、本書冒頭の段階ではかぎりなく遠いものであるが、その距離を縮めるための過程に目を向けたとき、そのつくりこみの丁寧さ――理屈づけの巧みさが見えてくることになる。

 たとえば、登場人物のひとりである都築美緒は、十四歳にして大学院過程のカリキュラムを取得中という天才少女であるが、その才能をハッキングやデータ改ざんといった違法なことに使ったりする問題児でもある。そして彼女は、セキュリティとしては厳重なほうに入る葉月の家に、そのセキュリティの隙間を突くようにして入り込むだけでなく、自分がそこにいたという記録の書き換えすら成し遂げてしまう。このエピソードは、たんに美緒のキャラクターとしての特徴づけだけでなく、葉月のそれまでの思い込み――データとしての情報の信憑性を揺るがせるための演出にもなっている。美緒の古くからの知り合いで、無登録市民である麗猫もまた、データ上は存在しないにもかかわらず、葉月のエリアに生きて生活しているという意味で、彼女の価値観を揺るがせる存在である。

 本書はミステリーではあるが、明確な立ち位置としての探偵が存在しない。しいて挙げるなら、葉月の住むエリアで児童対象のカウンセラーを務めている不破静枝と、今回の殺人事件絡みで彼女と接点をもつことになる刑事の橡兜次ということになるのだが、彼らもまた、自分たちがこれまで接してきた少女たち――データを中心として知っているつもりだった彼女たちとはまったく異なる、生きた人間としての彼女たちの姿を引き立てるための役割のほうが大きい。情報としてのデータによって、すべてが管理されている社会――だが、それだけがすべてではないし、そこから漏れてしまうものもあれば、データ自体が偽物の可能性もある。その事実に気がついたときに、では本当の意味でのリアル、本当の真実がどこにあるのかという問いかけが生じることになるのだが、その先にミステリーとしての真相があり、そしてその鍵となる人物こそが、神埜歩未という少女である。

「人の心はこうして箱に入ってる。外から何が入ってるかは想像するしかない。――(中略)――何が書いてあったって、どんなラベルが貼られてたって――蓋は開けられないんだから、本当かどうか判らないんだ。」

 自身の主観から逃れられない私たちは、自分と同じものを他人も共有していると思いがちであるが、それは幻想にすぎず、だからこそ私たちは孤独であるとも言える。だが、その事実を受け入れたうえで、何を考え、どのような行動をとるのかは、それこそ人それぞれで、そこに正しいとか間違いとかいった概念は、本来は存在しないはずでもある。はたして、本書のなかで起こった出来事は――そして神埜歩未の存在は、あなたのかかえている幻想をどんなふうに揺さぶることになるのだろうか。(2012.01.04)

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