【東京創元社】
『長い日曜日』

セバスチアン・ジャプリゾ著/田部武光訳 



 インターネットの普及にともなって、私たちはこれまでと比べてはるかに多くの情報に、比較的少ない労力で接する機会にめぐまれているわけだが、そうした雑多な情報を収集することと、そのなかから何が本物の情報なのかを見極めることとは、かならずしも等価で結びついているわけではない。むしろ、情報過多ともいうべき現代のほうが、取捨選択すべき情報が多い分、真実を見出すのがより困難になってきている、という見方もできなくもない。

 いついかなる時代においても、物事の真実を見極めるのはけっして容易なことではないし、本物の情報を手に入れるためには、やはりより多くの労力をかけなければならない。そして、仮に目指す真実を突き止めることができたとしても、その真実がかならずしも探究者をはじめ、人々を幸せにするわけでもない。真実を追究するのに必要となるであろう、膨大な時間と労力――単純に比較ということを考えたとき、真実を追い求めるという行為はたいてい、得るもののほうが小さかったりするものであり、それゆえに人々は、真実の追究などといったことを忘れるか、あるいはどこかで妥協点を見出して自分を納得させ、日々の生活へと戻っていくものでもあるが、もし、それでもなお物事の真実を追わずにはいられないとするなら、そこにはそれだけの深い事情がある、ということになる。

 人は人間である以前に動物であり、そうである以上、とりあえず生きていくために必要なことをしていかなければならない。そう考えたとき、たとえばミステリーにおいて、探偵役となる登場人物が殺人事件の犯人を追うという行為は、じつはきわめて人間臭い物語をその内に秘めているのだと言うことができる。

 そうして、今や一本の線だけが彼女の手の中に残っていた。ほうぼうで切れて、つなぎ目だらけだったが。――(中略)――その線を、マチルドはつかまえていた。ぎゅっとつかまえて放さずにいた。それをたどれば、マネクの姿が消えた迷路のような塹壕地帯へ彼女も入って行ける。

 本書『長い日曜日』に登場するマチルド・ドネーは、1917年1月8日の日曜日、「ビンゴ・クレピュスキュル」と呼ばれる戦場の最前線で何が起こったのか、その真相を追っていた。第一次世界大戦の最中だったその日、彼女の婚約者であるマネク・エチュヴェリィが、他の四人のフランス兵とともにその塹壕地帯で処刑されたという知らせを受けたのがきっかけだった。同じくその戦場にいたある中尉に詳しい話を聞いてみると、戦線離脱のためわざと怪我を負った自軍の兵士のうちの五名を、縛ったまま戦線の最前線にいる敵の前に放り出したというのだ。そして、その五人のうちに生存者がいるのではないか、という噂も。婚約者を理不尽な戦争で失い、失意の底に沈んでいたマチルドは、その噂にわずかな望みをたくし、当時そこで起こったことの真実を求めて奔走することになる。

 奔走する、と書いたが、マチルドは幼いころの事故がもとで下半身が動かせず、車椅子生活を余儀なくされている女性である。本来ならただ泣きくれるしかないか弱く、ハンディーを背負った女性が、婚約者の生死をはっきりさせるため、本来の負けん気を発揮して事の真相を追い続ける本書の内容は、まさにそのタイトルが示すとおり、問題の日曜日に起こった出来事を明らかにしていくための長い長い道のりを描いたものである。ただでさえいろいろなことが混乱していた戦時中の、それもあきからに非人道的な処刑がなされたとされる出来事の真相――考えれば考えるほど手の届きそうもないほど深い場所にある真実への道を、それでもなお歩まずにはいられないマチルドの強い信念、婚約者が、もしかしたら生きているのではないか、という一縷の望みにかけずにはいられないその想いの強さは、それだけで読者の心をとらえずにはいられないものを持っている。

 じっさい、マチルドはわずかな手がかりを元に、当時マネクとともにいたフランス兵たちの知り合いや、その戦場に居合わせた兵士の生き残りたちを探し、ひとりひとりに話を聞き、あるいは手紙を出し、あるいは情報提供を求める広告を出したり、探偵を雇ったりと、考えられるすべてのことを行ない、その結果処刑前にそれぞれが書いた手紙の写しをはじめ、少しずつ情報が集まってくるが、土曜日や月曜日に起こったことははっきりしても、肝心の日曜日のことがなかなか見えてこない。当時、マネクの様子がすでに尋常のものではなかったこと、五人の兵士のひとりが履いていた、ドイツ軍のブーツのこと、そして手紙の中に含まれている暗号のこと――本書の大きな特長は、マチルドの目的があくまで婚約者マネクの生死をはっきりさせることであるにもかかわらず、そのために必要なことが、問題の日曜日に何が起こったのかを明らかにすることであり、それゆえにマネクとともに死んだとされる他の四人のフランス兵の身の上についてもきちんと物語のなかに絡めてくる点である。

 アンジュの名付け親であるパオロ夫人と、彼の情婦で行方がわからなくなっているティナ、孤児だったブノアのことをよく知る司祭、フランシスの妻、そしてクレベールがよく行っていたバーの主人と、彼が戦場でおもいがけず出会い、仲直りしたというビスコットという兵士――物語が進むにつれて、これらの登場人物たちとの関係が複雑に絡み合い、それぞれがたしかにそれぞれの生活をもち、それぞれの人生を生きていたことがわかってくるのだが、同時にそれは、マチルドとマネクとの関係と同じく、戦争によって理不尽に壊され、狂わされてしまった人々の生活でもある。そしてそれは、戦争が終わったあとも長くつづく苦しみにもつながっている。戦争がもたらす悲劇は、けっして戦場で大勢の人間が殺し合いをすることだけではなく、生き残った人間たちの運命さえも――それも、悪い方向に変えてしまうことにこそある。そんなメッセージが浮かんできそうなほどのたしかにリアリティーと緻密さが、本書のなかにはある。

 物語そのものは、マチルドが真相に近づくにつれて、ますます婚約者の死が決定的なもののように思えるような情報ばかりが提示され、一時期はマネクもふくめたその兵士たちの墓さえ発見されるにいたるのだが、最後の最後には思いもかけない事実が読者を待ちかまえている、とだけ言っておく。物語のそもそものはじまりから、すでに望みの薄いものであるだけに、まさに良い意味で読者を裏切ってくれる本書の、その物語構成の巧みさと、さまざまな情報や人々の運命を物語のなかにつなげていく緻密さは、まさに脱帽ものである。そして、だからこそ本書のラスト――ある意味本書の冒頭にもつながっていくラストが感動的なものとなるのである。

 人は誰もが大きな悲しみをはねのけて生きていけるほど強い心を持っているわけではないし、仮にそうであったとしても、それでも受けた心の傷を癒すのに長い年月が必要となる。だが、もしその悲しみの真相がどのようなものであったのかがわからないままでは、その傷を癒すことさえできない。マチルドの真実を求める長い長い道のりのはてに、はたしてどのような結末が待っているのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2006.09.17)

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