【新潮社】
『アニマル・ロジック』

山田詠美著 



 人間の血管の中に潜む、ウィルスだか細菌だかよくわからない生物が一人称で語る、しかも相当頭がいいらしく、人間の言語を理解し、人間顔負けの論理的思考をめぐらせるだけでなく、もたれかかったり、笑いころげたり、真剣な表情を浮かべたりと、かなり人間臭いしぐさまでする。この小説を批判するのは簡単だ。「そんなウィルスだか細菌だかよくわからない生物が、こんなに人間臭いはずがない」と言えばいいのだ。
 だが、そう言うとおそらくヤスミンにこう切り返されるだろう。「あら、まるで彼らが下等で私たちが上等な生き物であるかのような言いぐさね」と。そして、自分たちが知らないうちに、ずいぶん偏見的なものの見方をしていたことに、ふと気づかされる。
 本書『アニマル・ロジック』は、ようするにそんな小説なのだ。

 舞台はニューヨーク。「自由の国」という代名詞を持ちながら、いまだ根深い人種差別から逃れられない国の大都市に生きる、美貌の黒人女性ヤスミン、そして彼女の血液の中を棲み家とする上述の生物(本書では「ブラッド」という名が付けられる)の目を通して、さまざまな人間ドラマが繰り広げられていく。
 白人、黒人、黄色人、ゲイ、レズビアン、富豪、貧乏人……ヤスミンの友好関係はじつに多彩だ。そしてそんな中にあって、彼女はあらゆる意味において自然体でいる。他人と付き合うとき、好きだと思うとき、そしてセックスするとき、ヤスミンは黒人だから、白人だから、という意識とは常に無縁のところにいる。彼女は自分が黒人であることを知っているが、それ以前に「ヤスミン」という一個の生物であることを知っているのだ。

 人は弱い生き物だ。弱いゆえに群れをなし、群れをなすことで差別化する。本書はニューヨークの話だが、こうした差別はアメリカだろうと日本だろうと、およそ人間の集まっている場所であればどこにでも存在する。だが、ヤスミンにはそれがない。少なくとも、彼女がセックスするときに、そこにポルノ的感覚や、感傷的ロマンスや、文学的崇高さを当てはめたりはしない。そんなヤスミンの様子に、知識人を自称する者たちはけっしていい顔をしないだろう。だが、ヤスミンにとってはどんな人間もあくまで人間であり、それ以上でも、それ以下でもない。重要なのは彼女にとって、それが気持ちのいい存在であるかどうか、なのである。

 望んだ子供を作るためだけの性が望まれた行為なら、それを行なう人々は、より純粋な動物へと近付いて行くことだろう。しかし、自分たちを、そんなにも綺麗な世界の住人と思えるのなら、それはどうかしている。しっかりと見詰めるべきだ。人間、あらかじめ動物の純粋を諦めた種族である事実を。

 意識するしないにかかわらず、私たちは必ず頭のどこかで何かに対して偏見を持っている。ヤスミンのように、人を好きになるのに比較することから自由でいられる、というのは、たぶん人間以外の動物であれば、ごく自然なものなのだろう。ヤスミンとブラッド、人間と、ウィルスだか細菌だかよくわからない生物。このふたつのどちらが優れているかなど、誰にも答えられないし、そんな問いそのものが無意味である。
 人間もまた動物であること――私たちの中にある「アニマル・ロジック」に、もう少し真摯に目を向ける時代が来ているのかもしれない。(1998.12.30)

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