【ポプラ社】
『恋文の技術』

森見登美彦著 



 この書評をお読みの皆さまは、恋文というものを書いたことがあるだろうか。

「恋文」などと書くと、いささか古めかしく、ちょっとあらたまったもののように思えてくるが、ようするにラヴレターのことだ。ラヴレター、それは好きになった人に、自分の「好きだ」という思いを伝えるための手紙。だが、当然のことながらただたんに思いを伝えるだけがラヴレターの役目ではない。ラヴレターを出すという行為の裏には、好きになった相手に対して、今後恋人としてつきあってほしいという願望が常につきまとう。そしてその願望は、きわめて個人的なものであり、また一方的なものでもある。

 誰かのことが好きになるというのは、人としてごく自然なことだ。だが、そこから一歩踏み出して、その気持ちを相手に伝えるとなると、もはや個人的なものとして片づけられることではなくなってくる。何しろ、意中の人に自分の気持ちが知られてしまうのだ。良くも悪くも、お互いの関係は以前のままではいられない。人が誰かに「好きだ」と告白するとき、それは、その人の「好きだ」という気持ちになんらかの決着がつけられるときでもある。そしてどうせ自分の気持ちを告白するのであれば、相手がその気持ちを受け入れて、恋人として付き合ってくれたほうが嬉しいに決まっている。だからこそ人は、自分の思いを伝えるという行為に対して、それがもっとも効果的に相手に伝わるための方策を考え、あれこれと思い悩むことになる。今回紹介する本書『恋文の技術』は、そのタイトルからもわかるように、ようするにそういった作品なのだ。

 せっかくの機会だから、俺はこれから文通の腕を磨こうと思う。魂のこもった温かい手紙で文通相手に幸福をもたらす、稀代の文通上手として勇名を馳せるつもりだ。そしてゆくゆくは、いかなる女性も手紙一本で籠絡できる技術を身につけ、世界を征服する。皆も幸せ、俺も幸せとなる。文通万歳。

 教授の意向で能登半島にある能登鹿島臨海実験所に派遣されることになった京都の大学院生、守田一郎が、話し相手のいない寂しさをまぎらわすため、京都にいる知人友人と手紙のやりとりをする、というシチュエーションで物語が展開する本書は、一貫して彼の書いた手紙の文面のみで構成されている書簡小説であるが、なぜか友人の小松崎からは恋愛相談をさせられ、大塚嬢にはいいように恋心をもてあそばれ、作家の森見登美彦からファンレターの返事の書き方を教えてほしいと請われ、かつて家庭教師をしていた間宮君の失恋をなぐさめたりと、しなくてもいい苦労やトラブルを積み重ねていくという、ある種のユーモア小説としての側面が強い作品である。

「文通武者修行」と称して手紙を書きまくる守田の、とかくお調子者でいいかっこしいでありながら、嘘をつくのが下手くそで、なんとなく憎めないキャラクターっぷりがその文面からにじみ出てきており、それだけでも笑いを誘う本書であるが、インターネットによるメールや携帯電話といったツールがあたり前のものとして浸透しつつあるなか、あえて手紙という古風な方法でコミュニケーションをとろうと思った守田の真意がどこにあるのか、ということを考えたときに、彼の手紙にはとくに重要な用件や伝えるべき事柄が存在しない、というひとつの特徴を見出すことができる。

 じっさい、彼は複数の友人知人に対して同時に手紙を出したりしていることが、その手紙の日付からもわかるのだが、最初に出した手紙に書かれていることは、自分が京都から遠く離れた実験所に派遣されることになったことをはじめとする、自身の近況報告めいたものでしかなく、しいて要点をあげるとすれば、手紙を書くスキルを挙げるというきわめて個人的な宣言を、たとえば「恋文代筆のベンチャー企業を設立してボロ儲けをする」だの「どのような乙女をも、たちどころに惚れさせる恋文の技術を開発する」だのといった調子で書いている程度のものである。

 本当に重要で、緊急を要する用件であれば、より速くて確実な伝達方法がいくらでもある現代において、手紙を書くということは、逆に重要でもなんでもない事柄を伝えるためのツールとして文通をとらえているという側面が、本書にはたしかにある。それは、ある意味では書くほうも読むほうもたんなる時間の無駄でしかないはずなのだが、にもかかわらず、守田から手紙をもらった人たちは、かならずその返事を書いている。もちろん、そうしなければ物語は進まないし、守田の書いた手紙から、京都でどのようなことが起こっているのか、その全容が少しずつはっきりしてくるという本書の仕掛けを楽しむこともできないわけであるが、そういったとりとめのない言葉で誰かとつながっているという感覚は、あるいは私たちが考えている以上に大切なものであるのかもしれない。

 本書は基本的にバカな話で、たとえば小松崎のおっぱいに対する妄想をなんとかするために、おっぱいの画像をおもいっきり拡大した映像を見せるという暴挙を実行したあげく、その様子を片想いの女の子に見られてしまうという大失態を演じたりする作品なのだが、そんなある意味どうでもいい悩みに対して、それでもなんとかしようとよりバカなことをしでかしてしまう。そこには、きわめて人間臭いがゆえのあたたかさがあり、人と人とのとりとめのないつながりこそが、人を支えているのだということでもある。

 そして、そんな手紙のもつ要素とは対極に位置するものとして、同じ手紙である「恋文」の存在がある。上述したとおり、恋文には「自分の思いを相手に伝える」という明確な目的がある。そして本書を読み進めていくとおのずと見えてくることであるが、守田はとくに伝えることの何もない、とりとめのない手紙を書くことはできても、本当に伝えるべきことを手紙に書くことができないという悩みを抱えていたりする。この「本当に伝えるべきこと」とは、もちろんある女の子への恋情にほかならない。そして、そうした彼の思いについて考えたとき、そもそもなぜ守田が友人知人に宛てて手紙を書きまくったのか、その真意が見えてくることになる。

 たかが恋文、されど恋文、はたして守田はどんな乙女も籠絡できる「恋文の技術」を会得することができるのか。いや、それ以前に手紙を書きまくったことで巻き起こるさまざまな騒動を丸く収めることができるのか。たったひとりの愛しの女の子にラヴレターを書くという、ただそれだけのために起こってしまったさまざまな騒動の顛末を、ぜひとも楽しんでもらいたい。(2009.08.23)

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