【幻冬舎】
『偽憶』

平山瑞穂著 

背景色設定:

 同じ一冊の本であっても、それを読む人によって読後感や感想が異なってくるのはよくあることだが、ときにその内容までもが微妙に食い違うことがあるのは、人間の主観性を考えるうえで興味深い事象である。この場合、大抵はどちらかの記憶違いということになるのだが、自分ではこれこそが真実だと思い込んでいた自身の記憶が、じつは現実と異なっていたというのは、その記憶の古い新しいに関係なく私自身も何度か体験している。非常に印象深い記憶として残っていた小説中のあるシーンについて、じつはそのシーンのいくつかの部分が過剰に美化されていたり、じっさいにそんなシーンが存在しなかったりといったことは、私の読書体験のなかで何度も発生していることだったりする。

 人間の五官がとらえたものを、いっさいがっさい大脳が処理対象として判断していたのでは、大脳は早晩パンクしてしまうし、日常生活すらままならなくなる。たとえば、眼球がとらえた映像は、その大半が記憶に残ることなくノイズとして切り捨てられる。ゆえに、私たちは眼球という感覚器官がとらえたものについて、そのすべてを認識しているわけではない。私たちが意識する記憶というのは、当然のことながら何らかの形で自身の大脳が認識しようとするからこそ発生するものだ。だが逆に、認識に主観がともなうがゆえに、記憶として印象づけられたものが本当に客観的なものであるかどうかという疑問も生じることになる。認識した情報が強烈なものだった場合、その情報をありのままに受け取ることを大脳が拒否すれば、そこには必然的に記憶の改ざんが発生するということだ。

 過去の思い出は知らないうちに美化されたり、余分なエピソードを付加したりしていくものであり、じつのところ曖昧であてにならないものだったりする。本書『偽憶』は、そんな私たちの記憶をテーマとしたミステリーだと言うことができる。

「簡単ではないですね。だって、十五年前ですよ。相生さんだったらどうです。十五年前のことをすらすらと思い出せますか?」
「思い出せることと、思い出せないことがあると思います
――(中略)――中には、今でもまるで昨日のことみたいにありありと覚えていることも」

 大手電機メーカーに勤める疋田利幸の携帯電話に、見知らぬ電話番号からの着信が入った。鷲尾樹――中学のときに同級生だったものの、当時も良い印象をもたず、卒業後もずっと疎遠だったはずの彼からの唐突な電話は、疋田を戸惑わせるに充分なものであったが、その電話の内容は、さらに輪をかけて彼を戸惑わせるものだった。それは自分を含む五人について、ある故人の遺産を相続する権利が発生しており、ついては遺言執行人となっている弁護士の相生真琴という人物宛に、近日中に開く予定の説明会への出欠を知らせてほしい、というものだった。故人の名は山浦至境。疋田はかつて、彼が一度だけ主催したサマーキャンプに、小学六年のときに参加したメンバーのひとりだったが、どうやらそのキャンプに参加した者全員が相続対象者として選定されているらしかった。

 最終的には、山浦至境の隠し遺産扱いとなっている31億円という、驚愕の金額があきからにされる本書――しかも、その遺産を受け取ることができるのがたったひとり、ある条件を満たしていることが判明したひとりだけだということになれば、読者の関心は当然のことながら誰がその遺産獲得レースの勝者となるのか、という一点に絞られる。じっさい、対象者五人のなかのひとりは、なんとしても自分こそがその選ばれた人間にならなければならないという思いに囚われており、そのためにいろいろと画策しようという動きを見せたり、何人かで協力して遺産を山分けしようという提案が生まれたりと、ちょっとしたコン・ゲーム的な様相を呈する場面もあるのだが、本書の本質はそこではなく、あくまで「記憶」にこそある。

 本書における主人公のポジションにあてはまる登場人物は、疋田利幸で間違いない。にもかかわらず、本書は遺産相続対象者である五人についてわざわざ主観を行き来させ、それぞれの考えや立場をあえて語らせるという構成で物語を進めている。むろん、遺産獲得のための絶対条件として、十五年前のサマーキャンプでの出来事をできるだけ詳細に思い出す必要があり、それゆえに「記憶」というテーマとつながってくるのだが、それ以上に重要なのは、このような構成をとることによって、それぞれのサマーキャンプに対する印象の違いを強調することができるという点だ。五人のサマーキャンプに対する印象はそれぞれ異なっており、またそれぞれが記憶しているシーンやその信憑性についてもまちまちである。同じひとつの事柄であるはずなのに、それを記憶する人によって印象や細部、さらには時間軸といったものが異なっていることを表現していくことは、人間の記憶の曖昧さ、脆弱さを強調することにつながる。

 サマーキャンプに参加した者のうちのひとりがすでに他界しているという事実、その人物――志村宏弥に対する五人の印象が、とにかく変わった奴だという点で一致していること、当時、いかがわしいダイエット法を勧める団体の代表で、どうにも怪しい雰囲気のあった山浦至境や、そんな人物と相生真琴との関係など、いかにもミステリーらしい伏線を用意している本書であるが、あくまで「記憶」を焦点としている以上、その記憶のありようを左右する人間の意志もまた、この作品の大きなテーマのひとつとなっている。じっさい、本書に登場する疋田をはじめとする五人の同級生は、現状の生活においてさまざまな問題や不満をかかえており、なんとかしてその現状を打破するきっかけを探している。31億円という大金は、その現状を変えるに充分な力であると同時に、人の判断を狂わせ、道を踏み誤らせるに充分な力でもある。だが、人間の意志を間違った方向へと導いてしまうのは、けっして巨額の金だけでないことを、本書の結末は物語っている。

 本書のタイトルとなっている「偽憶」は、そのまま「偽りの記憶」という意味だが、このタイトルが指し示すものは、思いのほか多岐にわたり、それゆえに意味深でもある。意識するしないにかかわらず、主観による補正がかかってしまう人間の記憶――その「偽憶」がはたして、登場人物たちにどのような結末をもたらすことになるのか、ぜひともたしかめてもらいたい。(2011.08.27)

ホームへ