【新潮社】
『日々の泡』

ボリス・ヴィアン著/曾根元吉訳 

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 たとえば、人が心の底から喜びにひたっているとき、その気持ちを「嬉しい」などという簡単な言葉で言い表わしたりはしない。また、心の底から悲しみにうちひしがれているとき、わざわざ「悲しい」などと訴えたりはしない。

 人間の感情を表現する言葉は数多くあるが、激しい感情の動きというのは、しばしばそうした言葉の枠をはみ出してしまうものだ。小説を書く、というのは、そうした人間の感情をなんとか差別化しようとあがく行為でもあると思うのだが、言葉によってすべてを表現していく小説の世界で、真の意味での差別化――つまり、誰にも真似することのできない、独自の世界観を構築するのに成功した作品は、けっして多くはない。人間というのはたいてい、現実の常識という縛りから抜け出ることができないし、たとえ抜け出ることができたとしても、世界観の破壊ではなく、世界観の再構築にまで昇華させた作品を書き上げることは、容易なことではないからだ。

 そういう意味で、本書『日々の泡』という作品は、まぎれもない独自の世界を構築することに成功した、稀有な例だと言うことができるだろう。それは一見すると、ごく普通の現実世界の中を淡々と生きる人たちの幸福と不幸を描いているようでありながら、物語のあちこちに垣間見える非現実的要素――まるで、大袈裟な比喩表現がそのまま現実と化したかのような、奇妙で不思議な要素によって、まずは裏切られてしまうのだ。

 粗塩をふりかけたバスマットから無数のシャボン玉が吹き出し、陽光が真鍮のカランにぶつかって衝撃音を発し、ハツカネズミたちがその光にあわせて踊り出す。蛇口をひねれば水の代わりにうなぎが顔を出し、扉を閉めれば官能的な音を響かせ、スケートリンクでは人々が次々と衝突事故おこしてバラバラになったり、スピードの出しすぎで壁にぶつかったスケーターが、漫画のように壁にはりついたままになったりする――そんな、めくるめく幻想の世界で、若くてハンサム、しかも金持ちでもあるコランが、自由に青春を謳歌し、純粋な恋愛をはぐくんでいく。文学好きの親友であり、思想家ジャン=ソオル・パルトル(言うまでもなく、ジャン=ポオル・サルトルのパロディだろう)の熱烈な支持者でもあるシックと、そんな彼を情熱的に愛するアリーズ、コランの家の優れた料理人であるニコラとその恋人のイジス、そしてコランの最愛の想い人、クロエ――良き友人たちに恵まれ、お金に関して何ひとつ不自由することなく、こころゆくまで恋愛を楽しみ、人生の夢を追いかけることができるコランたちの生活は、まさに輝かんばかりの理想を具現化した姿である。

 だが、多くの祝福に包まれて結婚をはたしたコランとクロエの幸福は、長続きはしない。結婚してしばらくすると、クロエが不可解な病に犯されてしまう。胸の内に睡蓮の花が咲いてしまうという、不条理としか言いようのない病気――そしてそれを機に、すべてが坂から転げ落ちるかのような没落がはじまる。資金はどんどん減っていき、それと呼応するかのように、家の中が少しずつ縮んでいく。光溢れていた台所から徐々に輝きが失われ、ニコラが急激に歳をとっていく。そしてシックのパルトル狂いは歯止めがきかなくなり、絶望したアリーズはその思想家の殺害を決意する。クロエの治療のために働かなくてはならなくなったコランだが、労働は厳しく、なかなか思うように賃金をかせぐことができない――前半の輝くばかりの理想的青春像とはうって変わり、急転直下のような没落、不幸の連続、そして大切なものが次々と失われていくという転落ぶりは、まさに劇的でさえある。

 本書は「20世紀の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と評されているが、それは何も、コランたちを襲う不条理な不幸の、圧倒的な転換ゆえではない。世の中には、これよりもっと悲惨な不幸というのがごまんとあるはずだ。本書の物語をして「悲痛」と感じさせるものがあるとすれば、それは、ときにふざけているかのようなブラックユーモアで翻弄する幻想のなか、幸福の絶頂にあるときも、不幸のどん底にいるときも、常に純粋な愛に生きようとするコランの姿であり、彼をとりかこむ幻想が茶番めいてくればくるほど、その純粋さは強調され、だからこそ哀しさもいや増していくのだ。

 本書は恋愛小説、ということになっているが、到底そうした括りで収まるようなものではない。コランたちを襲う不幸のほとんどが、当人にまったく非がない、という意味では、世の中の不条理に対する憤りや反発めいたものを感じさせるし、めくるめく幻想の数々を考えるとファンタジーでもあり、労働や機械といった、人々の自由を奪うものへの風刺的なものや、ブラックユーモアといった要素が渾然一体となって、ひとつの独自の世界を構築しており、それはたとえば、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のような世界を彷彿とさせるのだが、何より印象深いのは、最初のほうでも述べたことだが、物語の劇的な変化とは対照的に、登場人物たちの様子はむしろ淡々として、話の流れに大きな起伏もなく進んでいく、という点ではないだろうか。

 登場人物たちの感情といったものは、本書にはほとんど表現されていない。だが、彼らをとりまく非現実的な環境が――恋人たちを包む甘い匂いのする雲や、台所ではじける太陽の光や、教会のなかで皮肉な顔を向けるキリスト像が、何よりも雄弁に彼らの気持ちを語っていると言えるだろう。彼らの生きる世界は、たしかに虚構のひとつでしかないのかもしれないが、虚構だからこそ描くことができる真実というものが、この世にはたしかにある。現実世界の常識にとらわれない世界において、掛け値なしの感情を――既存の言葉に縛られることのない感情を表現しきった本書の価値は、あまりにも大きいと言わなければなるまい。(2002.07.31)

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