【新潮社】
『凶笑面』

北森鴻著 

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 すでに理由は忘れてしまったのだが、以前実家に帰省したさい、近くの(といっても隣町になるのだが)図書館の郷土コーナーで、その土地に古くから伝わるおとぎ話や民間伝承などを調べてみたことがあった。私の実家とは石川県加賀市になるのだが、そのとき調べたもののなかに、白山と立山が背くらべをした、というものがあったのを覚えている。ふたつの山の頂上に板を渡して、中央から水を流せば、どちらの山が高いかがわかるというしくみだが、このとき、水が白山側に流れてきたのを見た白山側の人々が、板の下に石を積み上げたため、水は立山のほうに流れてしまった、という内容だった。
 白山とは石川県の山、立山とは富山県の山である。どちらも全国的に有名な山のひとつであるが、こうした民間伝承をたんなる古い言い伝えで終わらせるのではなく、たとえば昔、石川県民と富山県民とのあいだに大きな確執や争いごとがあったのではないか、という仮説を立て、その証拠を現地のフィールドワークで固め、じっさいにそこで何があったのかをたしかめる、これがようするに民俗学というものなのだろう。ちなみに、私はあまり意識していないのだが、北陸三県(石川、富山、福井)の人々は、お互いに相手の県民とは、あまり仲が良くないらしい。

 民俗学という学問は、こうした民間伝承ばかりでなく、その土地の信仰や習慣、風俗、技術など、生活と結びつくあらゆるものを含んだ、とらえどころのない学問だと言ってもいいだろう。だが、そうした民俗学的な要素が、人々の生活と直接結びつくものであるがゆえに、しばしば隠された歴史の真実を語ることが多いのもたしかだ。本書『凶笑面』は、その妥協を許さない言動で学会からも「異端」として畏怖されている美貌の民俗学者、蓮丈那智と、そんな彼女に振り回されっぱなしである助手の内藤三國のコンビが、現地調査に向かった先々で奇怪な殺人事件にまきこまれていく、という短編ミステリー集であるが、手元に残ったわずかな資料をたよりに、失われてしまった歴史の謎を解明する、という意味で、民俗学は非常にミステリーとしての要素が多い学問だということが、本書を読むとわかってくる。

 たとえば、本書のタイトルにもなっている「凶笑面」では、長野県北佐久郡のある家で見つかった禍々しい笑い顔のお面の調査に向かったところ、その依頼人である骨董業者の安久津圭吾が密室になった倉のなかで殺害されるという事件に出くわすことになる。骨董業者、民俗学者、その倉の持ち主といった人々の思惑が交錯するなか、いったい誰が、どのようにして彼を殺害したのか、という、ミステリーではおなじみの謎にくわえ、その事件の発端になった笑い顔のお面が、過去どのような経緯でもって作成され、使われることになったのか、という民俗学的な謎をも提示している。「鬼封会」では、岡山県の山奥に伝わる伝統行事「鬼封会」が、それまで全国各地で確認されている「修二会」のパターンを踏襲していながら、それらとはあきらかに異なる要素が組み込まれていることへの謎があり、「不帰宿」では、東北地方にある家の、奇妙な構造の離屋で、その昔おこなわれていたという神事の謎があり、そのそれぞれが、どちらも現実におこる殺人事件と密接なかかわりをもっている、という物語構造になっているのだ。

 ミステリーにおけるこうした謎の二重性は、たとえば高田崇史の『QED 百人一首の呪』などでも見られるたぐいのものであるが、本書に仕掛けられた民俗学的な謎に対しては、当然のことながら民俗学的なアプローチが必要になってくる。私が前述した白山と立山の背くらべに対する考察も、ただ想像するだけであれば誰にでもできることだが、そこに民俗学的な知識をもって裏づけされるかどうかで、その信憑性が大きく変化するのは言うまでもないだろう。本書のなかにはざっと挙げてみても、鬼の解釈、異人論、廃仏毀釈運動、陰陽一対、女の家、だいだらぼっち、「古事記」をはじめとする日本神話の知識などなど、じつに多彩な知識によって民俗学的な謎が裏打ちされており、その情報量は圧巻というほかにない。それにくわえて、探偵役となる蓮丈那智の人物造形がある。

「民俗学とは想像力の学問です。この発想には根拠がないだとか、こうした考えは幼稚だとか考える前に、まず自分の仮説を証明することを考えること。そして証明に必要なのは、一にも二にもフィールドワーク以外にはない」

 この文章が、なにより蓮丈那智という民俗学者の本質を如実に物語っている。彼女は多くの知識や諸学説に触れながら、けっしてそうしたものに依存することがない。現地へ向かい、自分の脚で歩き、自分の目で見、自分の手で触れてたしかめる。それ以外の曖昧なものや、いかにも知ったふうな言い回しはけっして受けつけず、また自身の個人的感情にさえ左右されない、ある種の冷徹さを備えた蓮丈那智は、まさに事件現場から誰も気がつかなかった些細な事柄を見つけ出し、持てる知識を総動員して新たな事実へと結びつける探偵という役どころそのものである。本書には彼女のほかに、何人かの民俗学者やそれに類する人たちも登場するが、彼らが自説の壮大さ、美しさに強くこだわるのに対し、蓮丈那智はなにより自分が目にしたものの真実だけを見据えようとする。だが、そうした彼女の人物造形は、ただ蓮丈那智というキャラクターを探偵役としてふさわしいものにしたい、という意図だけではない。

 たとえば、知っている人もおそらく多いであろう「座敷わらし」という妖怪は、もともと飢饉のさい、口減らしのために間引きされた百姓の子たちの怨霊から生まれた妖怪であり、そこには東北地方の厳しい自然環境と、そこで生き抜くためにせざるを得なかった「間引き」という非道なおこないと、その後ろめたさが隠されている。そして、本書の短編集のなかに出てくる民俗学的な謎もまた、正史ではけっして語られることのなかった裏の歴史、言ってみれば人間の心に巣食う闇の部分をはらんでいるのだが、そうした闇の部分、けっしてすべての人が見たいと思ったわけではない真実を、あえて白日の下にさらけ出すという役目を負うためには、おそらく「性差も年齢差も、障害のひとつに取り上げる価値もない、些細な要素」とみなし、「古くから伝わる因習の鎖であっても平気で引きちぎることのできる」精神的強さをもたせる必要があったのだろう。

 もっとも、いろいろ難しいことを書いてしまったが、ごく個人的な意見を言わせてもらえれば、事あるごとに蓮丈那智に振り回され、彼女が学生たちに出した破天荒な卒業試験の採点に四苦八苦したり、限られた研究費を無視して行動してしまう彼女に代わって、なんとか研究費用を捻出しようと胃に穴が開くような思いをしたりする助手の内藤三國くんの前途がおおいに気になるところだったりする(笑)。(2004.01.11)

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