【徳間書店】
『共犯マジック』

北森鴻著 

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 その人にとっての幸福、あるいは不幸というのは、どのようにして決められるものなのだろうか。

 私は占いや風水、運勢といったものはまったく信じない人間であるが、それはけっきょくのところ、その人が感じる幸福や不幸の基準が多分に主観的なものであり、また短い期間でとらえたときはたしかに不幸な出来事にしか見えない事態であっても、もっと長い期間であらためてその出来事をとらえたとき、それがきっかけとなって別の何かが好転していた、ということがよくあるのを知っているからである。そして、同じようなことが、たとえば宝くじに当選するといったラッキーな出来事に対しても言える。大金を得た、という意味単独で見れば、それはたしかに幸運ではあるが、そのことが必ずしもその人の幸せにつながるかといえば、かえって多くのしがらみを生み出してしまい、結果として以前より不幸な立場になっていた、ということもある。

 人は誰でも幸せな生活をおくりたいと願うものであるし、不幸なことはできるかぎり避けて通りたいと思っているものだ。だが、私たちが生きるこの世界は不条理なもので、ときにその人にとっては理不尽きわまりない出来事に巻き込まれてしまうことがある。問題なのは、そのことに対して私たちがどうとらえるのか、ということの一点に尽きる。何が幸福で、何が不幸なのか、などというものは、最終的にはその人の気の持ち方ひとつで容易に裏返る程度のものでしかない、ということなのだ。

 占いとは、本来大きなパラドックスを抱えている。たとえば火難の卦が出たとしよう。彼の人が最大限の注意をもってことに望み、火難を回避できたとしたら、この卦は果たして当たったことになるのだろうか。逆はさらに深刻である。いかな努力を払っても火難に遭ったとしたら、果たして予言の存在価値をどこに求めればよいのか。

 本書『共犯マジック』には、「フォーチュンブック」なる本が登場する。「元はアメリカのヒッピーたちの間で爆発的に流行った、著者も由来もよくわからない」というこの占い書は、予言の範疇を超える的中率で、人の不幸のみを予言することができるというもので、1966年に日本でも刊行されてから、その不幸を避けるために自殺する若者が急増、結果として書店組合で販売を自粛せざるを得なくなった、といういわくつきの代物である。物語は、長野県松本市内にある書店で偶然「フォーチュンブック」を手に入れた、六人の男女が陥ることになる不幸の連鎖作用ともいうべき出来事を書いたものであるが、いっけんするとそれぞれが独立したミステリーとして成立しているように思える、全部で六話の短編のなかで起こる事件が、じつはその裏ですべて「フォーチュンブック」がからんでいる、ということで共通項をもっている。

 それぞれの話のなかで登場人物は、あるときは「フォーチュンブック」の特性から殺人事件の犯人を特定し、あるときは死んだ人間の心情を推理していく。あるいは失われた記憶を呼び戻す鍵として「フォーチュンブック」が機能するときもある。だが、本書がただたんに、「フォーチュンブック」がらみの話だけを寄せ集めたものでしかない、と考えるのは早計だ。本書の大きな特長は、まさにその「フォーチュンブック」がもつ悪魔的な力――じっさいには何の科学的根拠もない「人の不幸のみを予言する」という魔性の属性を、ほかならぬミステリーという手法で表現しているという点に尽きるだろう。

 考えてみれば、占いや予言といった要素と、ミステリーにおける謎解きという要素とは、けっして相容れるようなものではない。むしろそれぞれが対極に位置するようなものですらあるが、本書を読み進めていった読者は、次第に「フォーチュンブック」が撒き散らす不幸の種が、想像以上に人間社会の奥深くにまで入り込んでしまっていることに気づくことになる。帝銀事件、ホテルニュージャパン火災事故、横須賀線爆破事件、500円硬貨偽造事件、そしてグリコ・森永事件――本書のなかには、ある意味昭和を象徴する大きな事件がいくつも絡んでくるが、その裏に見え隠れする「フォーチュンブック」が指し示すのは、より深く、より大きな事件の影であり、しいては人間の心の中にひそむ暗い闇の部分でもあるのだ。

 以前に読んだ京極夏彦の『姑獲鳥の夏』のなかで、京極堂が「呪い」の本質について語る場面がある。「呪い」とは、じっさいに人に呪いをかけて不幸にするのではなく、「呪い」をかけたという事実を相手が認識することによって、はじめて機能する、という解釈である。ようするに、人は「呪い」をかけられたから不幸になるのではなく、不幸な出来事にあって、はじめてそれを「呪い」だと判断するのだ。

 であるとすれば、人の不幸ばかりを予言し、それを的中させていく「フォーチュンブック」という存在は、人の心をことさら不幸な局面へと向けさせてしまう、言ってみればそれ自体が人間の悪意の総意ということになるのではないだろうか。そういう意味で、本書のタイトルである『共犯マジック』というのは、たんにそれぞれの話の登場人物が、意図しないままにより大きな犯罪に対する共犯者としての役割を負わされている、ということばかりでなく、「フォーチュンブック」という悪意に一度ならず心を染めてしまった者たち、しいては「フォーチュンブック」という運命に束縛され、そして結びついてしまった「仲間たち」という意味合いをも秘めている。

 占いというのは、けっきょくのところその人の捉え方次第でいくらでも解釈することができるものでしかない。もし仮に、占いというものに罪があるとすれば、それは占い自身の罪ではなく、人の弱さゆえの罪である。人は誰もが、大きな不幸を幸福へと変換できるほど強いわけではない――人々の弱さが引き金となって湧き出してくる、人間であるがゆえの心の闇を吸い取って、「フォーチュンブック」はこの先、どれだけ多くの事件に絡み、そしてそれにかかわる人々をあまさず不幸にしていくのだろうか。(2004.11.07)

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