【マガジンハウス】
『愛をください』

辻仁成著 



 ふだんは口ベタで、人と話をしたり、自分の意見をきちんとまとめて口に出したりすることが苦手な人でも、文章を書かせるととたんに饒舌になり、鋭い意見や指摘を寄せてきたりすることがよくある。かく言う私も、人と面と向かって話をするのはあまり得意な方ではない。常に相手の態度や、ちょっとしたしぐさといった雑多な情報に晒されると、それだけで手一杯になってしまい、何を言えばいいのかわからなくなってしまうのだ。だからこそそのようなコミュニケーションを好む人もいるだろう。だが私のように、その人と別れてからしばらくして、「ああ、あのときこんなふうに答えればよかった」と後悔ばかりしている人も確かに存在する、ということを忘れないでほしいと思う。

 自分の手で文章を書きつづる、という行為は、ある程度時間の束縛から自由になれる、書きなおしや修正ができる、という点で、自分の気持ちや想いをより深く掘り下げることができるものであるが、そうした実際的な効果を抜きにしてもなお、書き言葉には書き手の心を素直にする、不思議な力があるような気がしてならない。昨今はワープロやパソコンの普及によって、わざわざ鉛筆やペンを使って文章を書く機会がずいぶん減ってしまったが、キーボードを叩いて文章を「打つ」という行為と、文章を「書く」という行為には、そもそもの思考体系が大きく異なっているのでは、と最近とくにそう思うようになってきている。

 本書『愛をください』に書かれているのは、手紙やはがきにしたためられた言葉たち――しかも、非常に特殊な関係で結ばれることになったある男女のあいだで交わされた文章である。そして、その一番最初に載せられている手紙の冒頭には、いきなり「拝復」とある。この手紙の書き手となっている遠野李理香は、小さい頃に親に捨てられ、それ以来、星の光児童養護施設でけっして幸せとは言えない生活を強いられてきた女性だ。
 愛情がいったいどういうものなのかも知らず、周囲のどんな人にもけっして心を開こうとせず、世の中のすべてをひねくれた目でしか見ることのできなかった李理香のもとに突然舞い込んだ一通の手紙には、不思議なことに、彼女のまったく知らない男性の名前があった。

 ちょっとミステリアスで少し気味の悪いその手紙――しかし、その内容は非常に親しみのこもった、やさしい雰囲気に溢れたものだった。しかも、何度も自殺未遂を起こした李理香の心を、まるですべて見透かしたかのようにつかんでいる。この手紙の主は、いったい何者なのか、いったい自分をどうするつもりなのか? 疑問と不審を抱きつつも、彼女は返事をしたためる。そして、物語がはじまる。

 李理香が最初に抱いた疑問の答えは、すぐにその手紙の相手――本書の中で取り交わされる手紙のもうひとりの書き手である長沢基次郎から、同じく手紙という形で返されることになるわけだが、このような書簡形式の小説を読むときに、私たちがどうしても想像をめぐらせてしまうのは、あくまで手紙の中だけで展開していく世界とは別に存在している、手紙の外側の世界だ。それは、李理香の立場で言うなら、文通相手の長沢基次郎がどのような人物なのか、ということになるだろう。基次郎は、手紙の中で彼の精一杯の誠意を李理香に示した。だからこそ文通がはじまったわけであり、彼が提示した約束――けっしてお互いに会わないこと、そして手紙の中では真実だけを書くことというルールが成立することになったわけでもあるが、それでもなお、読者は手紙の内容が本当に真実だけを伝えているのか、という疑問から解放されることはない。また、基次郎が手紙の中でしきりに示す、人間の愛や幸福をひたすら信じようとさせる内容には、あるいはちょっとした反感さえ覚える人もいるかもしれない。そういう意味では、私たちもまた、真実や愛を信じることのできない李理香と似たようなものだと言えるのではないだろうか。

 手紙のやりとりを通じて、ふたりがお互いに少しずつ打ち解けあい、親密さを増していく様子がその文面から伝わってくる、という点では、あるいはダニエル・キイスの『アルジャーノンの花束を』的な面白さもあると言える。ときにはその親密さが、ちょっと鼻につくようなところがあるかもしれないが、それでもなお、嘘や欺瞞に満ちたこの世の中で、真実だけを書くことの意味は大きい。実際、李理香は文通をはじめてから、孤児院を卒業し、保育士としての道を歩きはじめることになるのだが、その過程でさまざまな悲しいことやつらいこと、嬉しいことを経験しながら、彼女は少しずつ人を信頼し、人を愛し、何より自分が孤独であることから癒され、幸せになることを許していけるようになっていく。そして、基次郎が隠しつづけてきた、文通をつうじて本当にやりたかったこと、その行為の中に秘められた真実に気づいたとき、李理香が得た癒しが、そのまま私たち読者の癒しとなっていることにも気づく。基次郎が手紙の中で綴ってきた、幸福を信じ、人を愛することの本当の意味を、大きな感動をともなって理解することになるだろう。

 そう、少しだけ種明かしをすると、ふたりがやりとりしてきた手紙の中には、嘘が混じっている。だが、それはけっして人をだましたり、傷つけたりするためにつかれた嘘ではないのだ。

 ある時、こう考えたのです。本当のこと、というものはあるけれど、本当のことというのは、誰かに喋ったとたん、本当のことではなくなってしまい、いつか消えてなくなるものではないか、と。

 真実を言い合うだけではなく、真実を正しい方向に変化させられる関係でなければダメなんじゃないかな。僕たちの間に嘘がないのはいいけれど、本当だけがいつも正しいわけではない。本当の中にも間違いや奢りや勘違いや筋違いというものがある。

 それまでひたすら「本当のこと」を隠しつづけ、文通をとおして誠実に自分の真実を語ることを知り、そのことでひねくれた心を癒し、幸せを信じることができる人間に成長した女と、たったひとりの女性の幸せを心の底から願い、それゆえに真実をひたすら覆い隠すことを決意した男の、手紙のやりとりだけで語られる物語――そこには、私たちもまた本当は信じたいと願いながら果たせない、幸福のひとつの形がある。(2001.01.20)

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