【講談社】
『クビツリハイスクール』

西尾維新著 



 たとえば、なぜ人を殺してはいけないのか、なぜ自殺してはいけないのか、なぜ幸せにならなければならないのか、なぜ人の命は尊いのか――こうした設問に対して、あなたはこれまでにどれだけ切実に悩み、考えてきただろうか。

 私はべつに、自分がこうした設問について、小さなころから考え、悩んできた、などと偉そうなことを言うつもりはないし、その答えをすでに見いだしている、などと言うつもりもない。私はどちらかといえば、はっきりとしたひとつの答えがほしいと思うほうであるし、もし答えがあるのであれば、面倒くさいことは抜きにして、てっとりばやく教えてほしいと願うぐうたらな人間でもある。そして、こうした設問については、たとえば算数の解答のように、誰にでも納得できる解答が用意されているわけではなく、おそらくそれぞれが試行錯誤して、自分なりの答えを見つけるという、その過程にこそ意味があるものだろうと思っている。近道はない。裏技もない。必勝法もない。あるとすれば、過去の哲学者のごとく、思索することのみ。だからこそ、上述のたぐいの疑問をぶつけてくる者に対しては、「そんなの自分で考えろ」と突っぱねるしかないのだろう、ととりあえずは結論づけている。私にできるのは、おそらくその程度のことなのだ。

「でもあなたに、それに匹敵するような理由があるんですか? あたし達がこんな学園でこんなことをしていることに対して、正面から構えられるだけの理由があるんですか?」

 本書『クビツリハイスクール』の語り手である「いーちゃん」こと戯言遣いの「ぼく」は、人類最強の請負人である哀川潤になかば拉致されるようにして、とある学園に侵入させられることになる。澄百合学園、京都郊外にある名門進学女子校。目的は、その学園の生徒である紫木一姫を無事に連れ出してくること。例によって例のごとく、自分から物事にかかわるようなことはなく、あくまで状況に流されるがままに女装までさせられた「ぼく」ではあるが、いっけんするとなんてことのない依頼に、あの哀川潤がからんでいる以上、そう簡単に事が成し遂げられるはずもなく――はたして、依頼人の紫木一姫は簡単に見つかるものの、彼女が逃げ出そうとしている澄百合学園が、世間一般の学園のイメージからはあまりにもかけ離れた異常な場所であり、自分がまたもやっかいな状況に巻き込まれてしまったことを知ることになる。

 はたして、戯言遣いは紫木一姫をつれて、学園から脱出することができるのか? というのが、とりあえずの本書の目的となるのだろうが、そのシリーズの最初から、一種異様な状況と異様な登場人物によって物語を織り上げてきた著者の作品が、そのままストレートに物語を進めていくはずもなく、それはシリーズの第三弾となる本書においてもそのまま適用できる法則であるが、私がこの作品のなかでひっかかりを覚えた部分が、上述の引用文である。

 表向きは、あくまでお嬢様学校。だが中に入ってみると、そこはきわめて特殊な技術、たとえば「知らない人を見たら気配を消して後ろから近付くこと」といったことを教え込んでいる訓練所のような場所だった、という設定で、もちろん、そんな特殊な学園が堂々と成立しているからには、その裏にはそれなりの役割や理由、目的といったもの、つまりはその学園の確固とした存在理由があるはずである。上述のセリフは、紫木一姫の脱走を阻止しようとする学園生徒のひとりが「ぼく」に対して放ったものであるが、それは他ならぬ戯言遣いに対するものであるからこそ、意味をなすものだと言える。

 これは、著者のシリーズをとおして言えることだが、語り手の「ぼく」は、ミステリーでいうところの「探偵役」を担うべきポジションにいるにもかかわらず、決定的に探偵とはなりえないキャラクターである。いや、おそらく「ぼく」は物語のなかで、どのような役割をも担うことのない立場にその身を置くことができるのだ。それを彼の性質と呼ぶべきなのか、それとも能力として位置づけるべきなのか、今の時点では断定はできないが、ともかく、この常軌を逸した学園の中に放り込まれた「ぼく」は、その性質なり能力なりの戯言を駆使して少しずつ学園の確固たる存在意義にゆさぶりをかけ、解体していくことになる。

 おそらく、本書にテーマと呼ぶべき枠組みがあるとすれば、それは意味と無意味、目的と無目的の対立構造だろう。学園という「意味」と、戯言遣いという「無意味」。だからこそ本書は、哀川潤というこのうえなく強力な存在がいながら、物語の主導権が決定的に彼女に偏ることなく、シリーズのなかでもっとも戯言遣いが目立った活躍をしている作品として完成していると言えるのだ。そう、哀川潤が登場する理由が、それこそ本書に仕掛けられた密室殺人にかろうじて意味をもたせるためのものにすぎなくなってしまうくらい、ここでは戯言遣いの存在が際立っているのである。

 謎は謎のまま、秘密は秘密のまま――そして、部外者はあくまで部外者のまま。何かが変わったようでいて、じつは最初とほとんど何も変わらない物語。それは、たとえ密室殺人のトリックが明らかになったとしても、今の時点ではまだゆるぎないものであるようだ。(2005.08.21)

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