【中央公論社】
『言壷』

神林長平著 



 コンピュータ技術の発達により、パソコンだけでなく電化製品レベルにまでマルチメディアが普及しつつある今日において、オンライン小説というものが、たんにペーパーレスな小説として、もしくはてっとり早く自分の作品を大勢の人に見せて意見を求める手段としてのみ存在するものでないことは、いくつかのオンライン小説のサイトをまわってみれば明らかであろう。それは小説というジャンルの、新しい表現方法である。本という媒体とは違い、ブラウザソフトでは映像も音も利用できるし、話の筋をいくつも作っておいて読者に選ばせたりもできる。せっかくある機能だ、利用しない手はない。それで小説が今以上に面白くなるのなら、それはそれでけっこうなことだ。

 本書『言壷』に書かれている未来の世界では、オンライン小説(ここではニューロベルズとか電送小説とか呼ばれている)を書くのに、ワーカムという万能著述支援用マシンが使われている。ワーカムは作者のあいまいな考えを言葉で表現できるよう、徹底して支援してくれる。何が書きたいのかを逐一尋ねてきて、作者の考えをまとめさせたり、ワーカム自身がヒントや例文を提示してくれたりする。そうして出来上がった小説を、ワーカムを端末とする文芸通信ネットワークに発表したり売り出したりすることもできるのだ。文章を書く者にとって、もはや必需品となりつつあるワーカムだが、ワーカムで書かれた文章は、その強力な著述支援機能のゆえにどれも似通ったものになってしまい、作者はあくまでアイディアで勝負しなければならなくなる。つまり、

 「私を生んだのは姉だった」

という文章を文字どおりの意味でワーカムに表現させることができない。小説の表現で勝負することができないのだ。本書で書かれているのは、あくまで言葉だけで勝負したい、言葉の持つ力のみで読者を、しいては世界そのものを変容させたいと考える少数の作家たちの、ワーカムに対する挑戦の記録だと言うことができよう。

 神林長平という作家はSF作家としても一流であるが、本書のように言葉そのものをテーマにした小説を書くことでもよく知られている。不完全な道具であるがゆえに、語り手の意識を離れて思いがけない力を発揮する言葉というものは、世界が矛盾で満ちているのと同じように、矛盾した存在だ。だがワーカムは、言葉をできるだけリアルなものに近づけようと試みる。言葉そのものの力とワーカムの力がぶつかりあって起こる軋轢によって、本書に書かれた物語が徐々に奇妙なズレを生じさせていくさまは、さすがだと言うほかない。

……かつて、コンピュータというものがあり、ヒトが生む言葉を文字に変換する能力を持つ機械があった。紙に書かれた文字とはまた違う。コンピュータ自身が見つめれば訂正できるような、文字というより、呪文だ。そう、呪文だよ。言葉を文字に似たコードに変容させたものだ。(中略)それを読む者は、呪文だけを読むことになり、言葉の実体はわからないわけだ。そのような言葉に似た存在が増えていって、書いた本人にも自分がそんなことをいったかどうかわからない状態になった。

 ポケベルや携帯電話が急速な勢いで普及しようとしている。ポケベルは文字、携帯電話は声、というふうに、言葉は数年前から本人を離れて断片化する傾向にある、と新聞に書いてあったのを思い出す。パソコンの電子メールなども、これと似たようなものだろう。コンピュータが駆使する呪文としての言葉は、私たちにどのような影響を与えるのだろうか。最近、伝言ダイヤルやインターネットを利用した犯罪が世間をにぎわせているが、それを考えると、本書に書かれている世界をたんなる物語として片づけてしまうわけにはいかないような気がしてならない。(1999.01.14)

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