【小学館】
『「言霊の国」解体新書』

井沢元彦著 



 たとえば、今書店のあいだで大きな問題となっている「万引き」の問題について考えてみる。
 もっとも、これはすでに答えがはっきりしている問題だ。「万引き」はれっきとした犯罪行為であって、万引きをした者は刑法の定めるところによってしかるべき処罰を与えられるべきである。それが法治国家としての正しいありかただろう。にもかかわらず、こうした問題に対して必ず起こる反論が、「たかが万引きくらいで」というものである。

 まったくもってその常識を疑う発言であり、他人を思いやる想像力が決定的に欠けているとしか思えない考え方だ。彼らはたとえば、自分の家の中にあるものが他人の手でちょっと「万引き」されたとしても、「たかが万引きくらいで」と考えて放っておくのだろうか。だとしたらただの馬鹿である。常識ある人間なら「自分のものが盗まれた」と思うはずなのだ。所有の概念がしっかりとした経済が成り立っている社会において、自分が所有権をもっていないものを勝手に持ち出したりすれば、それは「窃盗罪」という犯罪に該当する。そしてそれは、自分の家のなかにあるものであっても、書店の店頭に並んでいるものであっても変わりはないはずである。

 なぜこんな奇妙なことが起こってしまうのか――私自身が出版業界ではたらく身であるがゆえに、こうした問題にはどうしても敏感にならざるをえない部分があることは認めるが、それだけでは説明のつかない何かがあるはずなのだ。そして、本書『「言霊の国」解体新書』を読んだとき、こうした疑問がきれいに氷解するのを感じた。それは、私たちが「言霊」というものに今もなお縛られている民族だからである。

「言霊」とは、文字どおり言葉に宿る精霊のことだ。その思想によれば、言葉にされた事柄は、そのまま現実のものとなってしまう。たとえば「雨が降る」と言えば、本当に雨が降ってくる、というものだ。「そんな馬鹿な」とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、たとえば結婚式のときに「切れる」とか「わかれる」といった言葉を慎むのは、その不吉な言葉が現実となることを恐れているからに他ならない。じっさい、結婚したカップルが今後別れるとすれば、その原因は当人たちにあるはずで、「別れる」と言った人間の意志とは無関係であるはずだ。だが、日本という国ではしばしばそれが通用しない。

「万引き」の問題に戻れば、私たち日本人は、「窃盗」を「万引き」と言い換えることによって、「窃盗」が持つ罪の意識を軽減させようとしていると言える。そもそも「万引き」という言葉の語源は「間引き」だと言われている。つまり、より良い作物を育てるため、不必要なものを取り除くという意味が「万引き」にはあって、だからこそ日本人は「たかが万引きくらい」という考え方をしてしまう。だが、いくら表面を言いつくろってみたところで、窃盗は窃盗だという事実は変わらない。

 本書の著者は、そうした「言霊」の思想がもつ表現上のごまかしについて、おそらく誰よりも鋭い視線をもっている人である。そしてそれゆえに、著者の主張はいたって単純明快でもある。まとめれば、以下の数行に集約されるものだ。

1.日本は法治国家であるから、憲法に書かれていることは守らなければならない。
2.憲法、しいては国や国民を他国の脅威から守るためには、自前の軍隊がいる。
3.日本の自衛隊はれっきとした軍隊であり、その存在を憲法で認める必要がある。
4.そのために、憲法第九条の改定が必要不可欠である。

 ここまで書評を読まれた方は、こうした意見をどのように受け止めるだろうか。あるいはとんでもない右翼思想だととられる方もいらっしゃるかもしれないが、それは大きな誤解だと言わなければならない。それどころか、著者ほど真の自由と民主を理解している人もそうそういないだろう。本書を読んでもらえば、それがよくわかることと思う。言ってみれば、本書に書かれているのは、上述の主張が国際的な視野からみてどれだけ正統な、あたりまえのことであるか、そしてそれに対する私たち日本人の感覚や主張が、国際社会の場から見てどれだけ非常識きわまりないものであるか――著者の言葉でいえば、どれだけ言霊思想に毒されているか、小学生でもわかるように説明している本なのだ。

 いわゆる「護憲派」「平和勢力」あるいは「革新政党に属する人々」――この人たちは主張に細かい差異はあっても、とにかく、日本が軍備を持たず海外派兵もせず金だけ出して憲法第九条を守り続ければ、平和が実現するという「信念」にこり固まっている。
 本当に、おめでたい人たちである。

 著者の主張の根幹にあるのは、軍隊をもつこと自体がどうかということではなく、軍隊は国の維持に必要なものとして、それをどのように運営していくのがいいのか、というものである。もちろん、すべての国が軍隊を放棄すれば平和は実現できるだろう。だが、現実はそうではない。世界のあちこちで紛争がつづき、核の脅威だってまだ取り除かれていない。そしてそもそも軍隊とは、他国を侵略するためのものではなく、自分の国を守り、国際平和に貢献するためのものである。であれば、日本もまたしっかりとした軍隊をもち、国連軍なり海外派遣なりに協力することで、国際平和に貢献すべきであるし、またそうするだけの力も義務も、今の日本はもっている。著者にしてみれば、自衛隊を海外派遣してはいけない、と主張する者たちは、自分の国だけが平和であればいい、と考えているエゴイストであり、いざ自国が危険になったときだけ他国の軍隊に頼ろう、というお調子者でしかない。そして、それは非常に説得力にとんだ主張である。

 れっきとした軍隊であるにもかかわらず、あくまで「自衛隊」と呼び、憲法の外にあるものとして扱い、そのことで「日本は軍隊をもたない」と安心する――著者が言う「言霊」とは、じつはそうした私たち日本人の大半が陥っている欺瞞のことを指している。そしてそれは、結婚式のしきたりなどを考えても、この日本に根強く残る病巣である。以前紹介した小室直樹の『数学嫌いな人のための数学』において、数学の充分条件と必要条件の理解が最大の問題であると書かれていたが、その根幹にも、ジョークをジョークと理解できない日本人の言霊思想が関係しているのかもしれない。

 私にとって長く疑問だった靖国問題についても、著者の考えをあてはめると見事にその構造が浮かび上がってくる。日本のこの平和は第二次世界大戦の戦死者たちによって築かれたものであり、彼らの犠牲を無駄にしないためにも、平和憲法はなんとしても死守しなければならない――おそらく、靖国神社参拝の裏にはこのような、いっけんすると納得のいく思考があるのだろう。だが、もし北朝鮮が攻め込んで日本を占領してしまったら、憲法を守るもクソもなくなってしまう。それではまったくもって本末転倒である。

 日本が軍隊を持ったとして、それがアメリカのイラク派兵のように他国の軍事介入に利用されることがないのかとか、憲法を改定するとして、具体的にどのような条件をつけるべきなのか、といった点についてとくに触れられておらず、その点で不満が残るものの、本書を読んでいると、今の日本の現状がいかに危険きわまりないものかを認識するという意義のほうが、はるかに大きいと言える。そして、たとえ軍隊をもつことになったとしても、日本もまた民主主義国家である以上、長い目で見れば国民の選択は政治に反映されるはずである、という著者の信念をみるに、もしかしたら著者ほど民衆の力を信じている人はいないのではないか、とさえ思えてくるのである。(2004.11.01)

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