【新潮社】
『凍える牙』

乃南アサ著 
第115回直木賞受賞作 



 物語の世界――とくに、ミステリーと呼ばれるジャンルの世界では、日常茶飯事のように何らかの事件が起こり、そして人が死んだり、あるいは殺されたりしている。私たちがごく普通に生きていく限り、おそらく一生縁がないであろうと思われる、あるいは思いたいと願っている、殺人という、日常の中の非日常――現実の世界において、その非日常を日常のものとして意識している職業として、まず真っ先に思い浮かぶのが警察という組織である以上、物語世界で起きた事件においても、その事件を解決すべき立場として警察や刑事といった職業の登場人物が多く設定されるのは、ごく当然の帰結だと言えるだろう。そして、彼らのような法の番人たちを、どのような立場に置くかによって、その物語全体のイメージが大きく変わっていくがゆえに、犯人と同じく、けっしてないがしろにすることのできない、重要なキャラクターである、ということも。

 本書『凍える牙』もまた、ある尋常ではない殺人事件が起こり、警察がその捜査に乗り出す、という点では、ある種典型的なミステリーの構造をなぞった小説だと言えるだろう。深夜のファミリーレストランで突如燃えあがった被害者、得体の知れない野獣によって無残に咬み殺された死体――ちょっとした超常現象を思わせるこれらの興味深い事件内容とはうらはらに、本書の持つベクトルが指し示しているのは、犯人そのものではなく、それらを追う刑事の方である。

 これは別に本書に限ったことではないのだが、およそこうした種類のミステリーを読んでいると、刑事という仕事がいかにハードで、かつ報われることのないものであるかを痛感させられる。おそらく、現実の犯罪捜査も似たようなものだと想像することは難くないわけであり、そうであれば、物語にリアリティーを求めれば求めるほど、刑事たちの仕事は絵にならない、ということになる。ひたすら地道に足を使って情報を集め、どんなに人から嫌われても、事件解決のためにときには権力を行使してプライベートに踏み込んでいく。無駄足をけっして恐れず、大海の中の針を探すかのような根気を何日も維持していかなければならない――しかも、殺人事件ということになれば、彼らが目を向けなければならないのは、すでにもの言わぬ死人である。けっして楽しい仕事ではないはずだ。にもかかわらず、なぜ彼らは刑事であることを選び、かつ今もなお刑事でありつづけるのか。

 本書に登場するふたりの刑事、音道貴子と滝沢保は、ともに刑事という職業のために、充分に家庭を省みることができず、一生を誓った伴侶との離婚を経験しなければならなかった者たちである。とくに貴子のほうは、離婚後は別の相手を見つけることもなく、ただ寝に帰るだけの殺風景なマンションでひとり暮らしをつづけている。しかも、女であるという、ただそれだけの事実で、典型的な男性社会である犯罪課の中では異質な存在として浮かび上がってしまう。女房に逃げられる形となり、そもそも女は信用できない、何かと面倒臭いというイメージを頑なに持ちつづけている滝沢とコンビを組むことで、けっして男に舐められまい、弱味を見せまいとたったひとりで踏んばりつづける貴子の意固地さ――普通の女性が持つべき平和と安定、あるいは女性であるがゆえの華やかさとは無関係な世界で、それでも自分をより高めていきたいという欲求に忠実に生きようとする貴子の存在感は、いやがうえにも大きなものとして読者に認識されることになる。本書の大きな読みどころのひとつとして、貴子と滝沢の、超がつくほどぎすぎすした凸凹コンビが、どのような経緯を経てお互いの存在を認め、事件解決へとこぎつけるか、というのがあることは確かだ。

 そういう意味では、本書は純粋なミステリーというよりは、むしろ人間ドラマに重点を置いた作品なのだ。実際、貴子や滝沢は本書の中で、被害者や事件の犯人がいったいどういう人間だったのか、ということを何度も何度も考えている。なぜ犯人はあのような手口を使って殺したのか、なぜ被害者は殺されなければならなかったのか、どういう恨みを買ったのか、どんな過去をおくり、どんな悲劇が彼を待っていたのか――本書を読みすすめていくうちに、読者は犯罪者も被害者も、そして刑事たちもまた、まぎれもないひとりの人間なのだということをあらためて知ることになるだろう。今回はたまたま追う側になっていたが、運命が違う転がり方をすれば、自分たちが逆に追われる立場となっても、けっしておかしくはない、という意識――警察機構による犯罪捜査の過程をとことんリアルに描いた小説もあったし、警察という組織が抱えるさまざまな内部問題に焦点をあてた小説もあった。だが、常日頃から人間の負の部分と近いところに身を置き、それがゆえに誰もが何かを犠牲にしている刑事たちの、境界線を揺れ動く微妙で複雑な心を繊細かつしっかりととらえることに成功した本書は、やはり見事だと言うほかにはない。

 皆、こうして生きてるのよ。夫や妻、子どもに裏切られて、背かれても、こうして生きてる。ただ、悲しむためだけ、傷つくためだけかもしれないけど、でも、生きてる――。

 では、人間は何のために生きて死んでいくのか――はっきりとした答えは本書のなかに書かれてはいない。だが、人を襲い、殺すように訓練された野獣の、周囲の価値観の押しつけとはまったく独立して、ただ静かに、自分のあるべき姿をあるがままに持ちつづける孤高の精神は、同じく常に走りつづけていくことを望む貴子の心と、どこかで通じるものがあったのは確かである。はたして、野獣は何を思い、そんな野獣の後ろ姿をひたすら追いかけた貴子は、そこに何を見出したのか――あるいはそこにこそ、意志をもって生まれた生物の生と死の意味があるのかもしれない。(2001.02.25)

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