【文藝春秋】
『驚異の百科事典男』
世界一頭のいい人間になる!

A・J・ジェイコブズ著/黒原敏行訳 



 「辞典」と「事典」の違いは、前者が「言葉」の集大成であるのに対して、後者は「ことがら」の集大成であるという点だ。たとえば「アメリカ」について、辞典ならまず「南北アメリカ大陸の総称」という定義や「アメリカ」という言葉の用法をもってくるが、事典になるとそのほかに、国の歴史や経済、気候や地理、そこに住む人々の文化や社会などといった事柄が丁寧に解説されていくことになる。そして、「事典」に「百科」という言葉がつけば、それは「あらゆることがら」――つまり森羅万象の知識をおさめた「知的情報の宝庫」を意味することになる。インターネットという便利なシステムの発達によって、その権威がゆらぎつつあるような印象を受ける百科事典であるが、そんなふうに考えると、やはりすごい存在なのだとあらためて思わずにはいられない。じっさい、ある事柄を調べようと思ったときに、一般的な定説や通説を知って基礎固めをしたいのであれば、インターネットの検索よりは百科事典を調べたほうが得策だと私は今でも思っている。

 さてこの百科事典、かつて私の実家に置いてあったものでも何十巻というボリュームで、本棚の大部分を占めるような代物であったのだが、この書評をお読みの方で、百科事典を最初から最後まで、全部読破しようと試みた方は――あるいは試みようと思った方でもいいが、はたしてどのくらいいらっしゃるのだろうか。本書『驚異の百科事典男』は、まさにその無謀ともいうべき試みに挑戦した男の読書日記であり、約一年にもおよぶ苦闘の記録でもある。

 作戦開始の時を延ばすために、床に積みあげてみる。頂上はぼくの乳首のすぐ上まで来た。高さ百二十五センチ! ダニー・デヴィート級の知識の塊だ。――(中略)――なんだか不安になる眺めだ。こんなことを始めるのは賢いことだろうか?

 著者が百科事典の代表格である「ブリタニカ百科事典」全巻読破を目指したのには、それなりの理由がある。昔とくらべて人並み以下にさがってしまった自身の知的レベルを再上昇させるためだ。子どもの頃は頭がよかった、世界一頭がいいとさえ思っていたと語る著者の自負は、たとえば大学進学適正テスト(SAT)の成績から見ても充分うなずけるものがあるのだが、年をとるにつれて自身の知的レベルは下降する一方、雑誌記者を経て編集者となった三十五歳の今、ポップ・カルチャーの雑学はそれなりにあっても、それ以外の知識について恥ずかしいくらい無知になってしまったという危機感をいだいている。

 百科事典とは基本的に「引くもの」であって、小説のように「読むもの」でないことを知っている私たちは、著者の試みがけっして頭のいいものでないことを知っている。それは言ってみれば、取扱説明書を頭から読むような行為であり、周囲の人たちに呆れられたりしながらも、それでもなお愚直に百科事典の読破を目指す著者の姿は、それだけでひとつのユーモアだと言っていいものがあるのだが、本書のユーモアの本質は、著者が百科事典から手に入れた知識を、その歴史や背景を無視して無理やりに自身の日常生活のなかに生かしていこうとする、良くも悪くもポジティヴな思考である。たとえば、こんな具合に。

【mechanics, fluid(流体力学)】
 名案を思いついた! 現代人の生活をがらりと変えるかもしれない名案だ。車の給油はものすごく寒い日にすること。温度が低いほどガソリンの体積は減るから、値段が割安になるのだ。

 自分が読んだ「ことがら」について、その要約や感想を書き連ねていくという形式で進んでいく本書は、じっさいにAからZまで並べられた百科事典のような体裁であり、読者はあたかも自身が著者とともに百科事典を読み進めているような感覚にとらわれることになるのだが、そこにあるのは種々雑多な知識に触れることの興味もさることながら、百科事典を読み進めていく著者自身の、知識が増えていくことに対する浮かれっぷり、一喜一憂ぶりだ。じっさいに本書を読んでいくとわかってくるのだが、著者はことあるごとに百科事典で仕入れた知識を日常生活に応用してみようとしたり、あるいは薀蓄を披露してみたいという欲求にかられることになる。だが、上述の引用からもわかるように、そうした著者の情熱は大抵の場合、空回りするばかりなのだ。

 自分ではいかにも気が利いていると信じている、百科事典の知識を用いた比喩表現は、相手に理解されず気まずい沈黙を生み出すし、度重なる蘊蓄披露にたまりかねた妻のジュリーには、罰金制度を科せられる始末。そのほかにも、高IQ保持者による国際社交クラブ<メンサ>でトリヴィア・クイズ対決をしたり、チェス大会やクロスワード大会に腕試しとばかりに参加したり、コロンビア大学のチームとディベートで対決を挑んだりするのだが、いずれも本人が思っていたような結果を残すことができない。義理の兄で、ことあるごとに自身の博識ぶりを自慢するいけすかないエリックにも、鼻をあかすことができず、相変わらず忸怩たる思いをいだいている。

 「ブリタニカ百科事典」の「知性」の項目を執筆した学者にも「時間の無駄」だと諭された、百科事典の全巻読破――では、著者はそうした「時間の無駄」をあえて敢行することで自らピエロとなろうとしているのか? 著者は本書のなかでこそ、自身の知的レベルの低さを嘆いてはいるが、けっして頭が悪いというわけではない。自分自身を笑い飛ばすためには、それなりの知性が必要なのはいうまでもないが、それ以上に本書には、百科事典の全巻読破という、いっけんするとバカバカしい行為のなかに、自分自身を、自分の育った家庭環境を、そしてこれから築き上げていくであろう新しい家族の姿を真摯に見つめる姿勢をもっている。

 その姿勢は、当初から確固としたものとして著者のなかにあったわけではない。百科事典という森羅万象をおさめた書物を読み、そこに描かれている地球と、そこに生きた人間の成し遂げたことや、犯してしまった恐ろしい罪の数々をまのあたりにしていくことによって、少しずつ著者のなかで熟成されていったものである。そう、百科事典には、この世界のまぎれもない真実の姿の一端がある。自然環境は厳しく、人々は下劣で悪賢く、ときに大量殺戮を犯したり、動物を絶滅させたり、多くの不幸を撒き散らしたりする。だが同時に、百科事典のなかには人類が成し遂げた偉業の数々があり、またそのために努力を惜しまなかった人たちのドラマが書かれてもいる。そしてそんな彼らの姿は、ときにものすごく人間臭い一面を見せてくれるのだ。それはちょうど、本書の著者が百科事典の全巻読破ということに挑戦しようとするかのような、バカバカしくも人間らしい情熱である。

 百科事典を読破したからといって、世界一頭が良くなるわけではない。若いころには数々の大学院を卒業し、さまざまな業績を打ち立てている父へのコンプレックスが、完全に解消されることを期待していたわけでもないだろうし、ましてやジュリーとともにここ数年抱えこんでいる不妊問題だって、百科事典を読めば解決できるわけではない。本書のラスト近くには、著者が「クイズ・ミリオネラ」に挑戦するというイベントがあり、はたして百万ドルを手にすることができるのか、という盛り上がりを見せるが、重要なのは賞金の額ではなく、あくまで百科事典を読破するという点にこそある。

 世界はけっして単純なものではなく、人間が行なってきた事柄には良いところもあれば、悪いところもある。そうした愚かさと偉大さ、そして世界の多様性の集大成でもある百科事典を読破することで、はたして著者は何を考え、何を手にすることになるのか、ぜひともたしかめてもらいたい。世の中には無駄なことなど、おそらく何ひとつないのだということを、きっと信じることができるようになるはずだから。(2008.03.21)

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