【講談社】
『輝跡』

柴田よしき著 

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 ただまっすぐに突き進む。たとえ埃にまみれ、泥だらけで、体がボロボロになっていても、それが信念であるかのごとく突き進む。ドリルが男のロマンであるように、たったひとつの目的に向かって愚直に邁進する姿は、妙な小細工や策略を弄する姿よりもはるかに男らしく、カッコイイと男は感じるものだ。

 では女性はどうなのだろう。仮に男を「漢」と書き換えるなら、桐野夏生の『ファイアボール・ブルース』に登場する火渡抄子のごとく、女性であっても「漢らしさ」を持ち合わせている場合は往々にしてあるものだが、女性であるというイメージと「まっすぐさ」というイメージの組み合わせは、その肯定的な感じゆえにあまりしっくりと来ない。むしろ「まっすぐさ」が「愚直」となり、どこか愚かしいという考えをもっていると言われたほうがまだしも納得のいくものがある。

 まっすぐに突き進む女性が愚かだと言いたいわけではない。ただ、本書『輝跡』を評するにさいして、男女の「まっすぐさ」における意味づけをはっきりさせることが、この作品の構造の把握へとつながるという意図があってのことである。

 まず、本書全体を貫く屋台骨として、ひとりの男性が登場する。彼――北澤宏太はプロ野球選手であるが、華やかなプロ野球界においてスターのごとく輝く存在というよりは、むしろドリルのようにまっすぐに突き進む男の象徴として位置づけられている。高校生時代に「十年に一人の逸材」「怪物」と呼ばれた豪腕投手でありながら、おもに家庭の経済的な事情でいったんはプロ入りを断念、だがその後も夢を捨てきることができず、香川の独立リーグに入団、育成ドラフトとして東京オリオンズに入ったという北澤の、プロ野球のどん底から腕一本でのし上がってきた経歴は、まさに愚直という言葉がふさわしい。

 そして、そんな北澤の周囲に何人かの女性がいる。それは彼の初恋の女性であったり、野球雑誌の編集担当であったり、あるいは旅先で出会った歌手であったり、同じプロ野球選手の妻だったりするのだが、物語としては常に彼女たちを主体として進んでいくような構造となっている。つまり、本書はプロ野球選手を登場させてはいるが、プロ野球そのものが中心ではなく、その周囲にいる女性たちに焦点をあてた作品である。

 ひとりの愚直な男をめぐる、女たちの物語――だが、北澤という男を突き動かすのが野球であり、自分は投げることしかできないという思いであるのと同じように、本書に登場する女性たちもまた、恋愛という熱に浮かされ、恋する男へとまっすぐに突き進んでいこうとする。そういう意味で、本書における男を突き動かすものと、女を突き動かすものの違いははっきりしている。そして、ここでいう女性を突き動かしていく「恋愛」という要素は、その対象が男という異性であるがゆえに、男の愚直さにはない複雑さが絡み合っていく。

 およそ恋愛という感情は、あくまでそのとき相手に夢中だという状態であって、どこかに明確な目標があるわけではない。それゆえに、本書はそのとき、北澤という男に対していだいた女性たちの想いこそが中心であって、その結果は重要ではない。じっさい、本書のなかで北澤との恋愛が何らかの形で成就するというパターンは限りなく少なく、また女性たちも、いっぽうで恋愛感情を意識していながら、もういっぽうでまぎれもない現実というものにしっかり目を向けているところがある。良くも悪くも、彼女たちは自分たちの幸せを考えているし、そのために常に一歩引いたところから物事を見るという現実的な視点をもってもいる。

 そのあたりの女性心理をもっとも象徴しているのが、慶という名の女性だ。彼女はプロ野球選手である高橋信之の「追っかけ」であるが、自分の高橋への気持ちについて「本物の恋ではない」という意識を強くもっている女性として書かれている。もしその気持ちが本物だと思い、それが暴走してしまえば、そのとたん、本書の恋愛はずっと泥臭いものと化してしまう。彼女に限らず、本書に登場する女性たちは、北澤という人物をひとりの男としてとらえるか、プロ野球選手という一種の偶像としてとらえるか、という視点の境目で揺らいでいるところがある。だが、揺らぎながらも、彼女たちは危ういところで自制するのだ。

「だけどいつまで見つめ続けるつもりなのかな。ノブさんだって俺だって、永遠にこのままでいることは出来ない。いつかユニホームを脱ぐんだよ。それでも君は、ノブさんを見つめ続けるの? それとも、ユニホームを脱いだ俺たちには興味がなくなるのかな」

 上述の引用は、ふとしたきっかけで慶と知り合った北澤が、彼女の「追っかけ」に対する想いへの疑問であるが、これは裏返せば、北澤自身が野球選手としての自分だけでなく、男としての自分を見てほしい、愛してほしいということでもある。恋愛感情を抱きながらもギリギリのところで自制する女性たちと異なり、北澤という男はこのあたりについても不器用だ。しかも、女性たちのそうした自制がなければ、彼の夢であったはずの「プロ野球選手としての北澤」は、破綻していた可能性すらありえることに、彼はどこまで気がついているだろうか。

 そう、プロ野球選手の周囲にいる女性たちをテーマにした本書から浮かび上がってくるのは、選手を選手としてひそかに支えている女性たちの姿である。そして本書のなかで真に「恋愛」というものが語られるときは、プロ野球選手という公の存在だけでなく、まぎれもないひとりの男としての北澤に、誰が、どのような形で接することになるのか、という点と結びつくことになる。

 ただまっすぐに突き進むプロの野球選手たち。その決意はたしかに個人のものであるかもしれないが、突き進みつづけていけるかどうかは、けっして当人の力だけで決まるわけではない。そして、それでもいずれ彼らも立ち止まらずをえなくなる日が訪れる。そのとき、彼らの突き進んだ後にどのような輝きが残されているのか――その余韻をぜひたしかめてほしい(2011.10.17)

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