【早川書房】
『キリンヤガ』

マイク・レズニック著/内田昌之訳 
ヒューゴ賞・ローカス賞など15賞受賞作 

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 ちょっとしたお話をしよう。私自身の話だ。
 去年の夏のことだ。私が道を歩いていると、頭上から一羽のヒナが落ちてきた。見上げると、そこには数羽のカラスが電線にとまって騒いでおり、おそらくそのヒナはカラスの餌だったのだろうと思われた。しかし、ヒナはまだ私の足元でもがいている。

 ここで、私がとりえる選択肢は、ふたつ。

 1.そのまま立ち去る。ヒナは車に轢かれるかカラスにつかまるかして死ぬ。
 2.ヒナを保護して育てる。ヒナは助かるがカラスは飢えることになる。

 そのとき私が選んだのは、後者のほうだった。ひとり暮しの私にヒナを育てるのは無理だったが、幸い、近くに住む新婚夫婦がヒナを引きとってくれることになり、とりあえずヒナは一命をとりとめることになった。だが――それから一ヶ月後、ヒナはけっきょく親鳥にまで育つことなく死んでしまった、という話を聞かされた。

 本書『キリンヤガ』を読んで、私の脳裏にまずよみがえったのは、夏に拾ったあのヒナの記憶だった。ヒナを助けたい、というそのときの私の気持ちに嘘はなかった。だが、より大きなものの流れ――自然の摂理とか、生態系とかいった長期的な視点で見たとき、私の選択は間違っていたのではないか、鳥のヒナと、カラスと、新婚夫婦と、そして自分自身をも不幸にするだけ、という最悪の事態をまねく行為だったのではないかという気がしてならないのである。

 かつて、偉大なる創造主ンガイの息子として、広大で豊かな土地で自然と調和をたもって暮らしてきたアフリカの種族、キクユ族――しかし、後にヨーロッパ人がもたらした文明によって、多くの動物が絶滅し、豊かな自然がコンクリートの建物に取って代わられ、空と大地が汚染され、そしてその文明を受け入れたキクユ族のほとんどがキクユ族であることを捨ててしまった。そこで、最後に残ったわずかなキクユ族は、かつてのキクユ族の伝統を守るため、テラフォーミングによって管理された小惑星キリンヤガに移り、西欧文明とは無縁の生活をはじめることにした。本書は、そのユートピア惑星で祈祷師ムンドゥムグとして生きるコリバが、いかにしてそこで起こる数々の問題を切り抜けていくのかを描いた物語であると言えよう。

 キクユ族の風習に対する<保全局>の介入、外の文明に触れてしまったがゆえの、聡明な少女の悲劇、狩人の侵入、自殺するキクユ族の若者たち、弟子の反抗――キリンヤガではいろいろな問題が起こる。だが、これらの問題はいずれも、彼らが高度な科学技術によって造り出され、管理されている理想郷に住んでいるからこそ引き起こされた問題である、ということに注目すべきであろう。だからこそ、祈祷師コリバがどのようにしてこれらの問題を解決していくのか、そして彼が懸命になって維持しようとするユートピア世界がどこへ流れつくことになるのかが、まさに本書の読みどころであるのだが、そもそもコリバがキクユ族のためのユートピア――西欧文明を完全に拒否し、キクユ族が太古から営んできた生活をつづけることができる場所――をつくるために、テラフォーミングという、まさに科学技術のもうし子の力を借りなければならなかった、という皮肉な構造にどうしても気づかざるを得ない。そして同時に、都会で生まれ育ち、ケンブリッジ大学とイェール大学という名門で西欧の教育を受けながら、それでもなおキクユ族の祈祷師として生きることができるコリバ自身の立場にも。

 ユートピア、という単語が、本書のなかに何度も登場する。日本のマヨヒガや竜宮、中国の桃源郷、あるいは「アラビアン・ナイト」のヌズハやイラムなど、ユートピアの形は国や文化や宗教によってさまざまな形をとっているが、そもそも私自身、宗教に関して明るくないことを覚悟して言うが、ユートピアが過去のものとして――しかも、神によって追放された地として語られているのは、キリスト教だけではないだろうかと思える。だからこそ、キリスト教世界では知恵を手に入れた人間の生は原罪とされており、そして現実としてキリスト教とともにもたらされた西欧文明は、人間の生活を豊かにした代償として、地球環境を汚染しつづけているわけであるが、少なくとも自分たちの生活を快適なものにしてくれる科学技術は、ときに厳しい自然と対面しなければならないキクユ族にとって、まさに「禁断の実」だったと言えないだろうか。

 われわれは以前、ヨーロッパ人の薬を受け入れて、そのつぎに、ヨーロッパ人の宗教を、衣服を、法律を、習慣を受け入れて、ついには、キクユ族であることをやめて、新しい種族に、ケニア人と呼ばれる黒いヨーロッパ人になってしまった。われわれがキリンヤガへ来たのは、二度とそんなことが起きないようにするためなのだ。

 原罪の文明を受け入れた種族は、同じように原罪にまみれた存在に成り下がってしまった。かつて、創造主ンガイが愛したキクユ族――コリバがまさにムンドゥムグたりえたのは、西欧文明のなかで生まれ育つことで、キクユ族の伝統の外にある世界をとらえることができたからに他ならない。だが、外の世界を知ってなお、自然と調和して生きることを選ぶのはおそろしく困難なことだ。人間は楽をしようと思うものだし、それはほとんどすべての地球に住むキクユ族が「黒いヨーロッパ人」になってしまったのを見てもわかる。

 私は今でもときどき、手のひらに感じたヒナの体温を思い出すことがある。そしてそのたびに、私もまた原罪の文明を受け入れた黄色いヨーロッパ人のひとりなのだということを思い知る。地球人口は今や五十億を超え、今後も増えつづけることだろう。だが、それを抑えるために逆子を意図的に殺したり、老人や病人を僻地におきざりにすることは、おそらくできない。どちらが正しく、どちらが間違っているのか――ムンドゥムグではない私は、いまだに答えを出せないでいる。(2000.02.07)

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