【講談社】
『霧の橋』

乙川優三郎著 
第7回時代小説大賞受賞作 



 よく時代劇などで、「刀は武士の魂」といった表現の言葉を耳にするが、それはたんに、武士という身分が、人を殺すための武器を佩刀することを許された、特別な階級に属するということよりも、むしろ、主君に仕え、国のため、家のために有事のときには一命をかけるという「武士道」――武士としての心がまえ、精神的な拠り所としての意味合いを強く帯びた言葉である。天下泰平となった江戸時代において、武士の刀は、本来の武器としての意味を失い、それ以降、幕末にいたるまで刀に象徴されてきた「武士道」は、ますます形式化していくことになるのだが、そのいっぽうで、武士を武士として縛りつづけるのに一役買っていたことも、明治時代における身分制度の排除後の、士族たちの有様を例に挙げるまでもなく明らかなことだ。

 武士が武士であることを捨てる、ということは、たんに佩いていた刀を捨てるように簡単なことではない。それは、それまで武士として生きてきた自分自身を捨てることであり、けっして理屈でどうにかなるものではないのだ。

 本書『霧の橋』に登場する紅屋惣兵衛は、今でこそ、女が口に塗る紅をつくって売る小さな店の主人であるが、もともとは武士の身分にあった者である。本来の名は江坂与惣次、陸奥国田村家の生まれで、将来は剣術で身を立てるかもしれぬと父から期待されるほどの才を持ち合わせていた次男坊だったが、その父が一関の小料理屋で斬殺されてから、彼の人生は一変した。父の仇討ちにかけた十年の歳月――乞食同然の暮らしをつづけながらもようやく本懐を遂げて国に戻ってみれば、兄の起こした公金横領によって江坂家は廃絶、その後、江戸で偶然にめぐり合わせた紅屋の娘おいとの婿養子に入る、という形で今にいたっている。

 武士として負うものをすべて失ってしまった惣兵衛にとって、商人として生きるという道は、けっして悪い選択ではなかった。常に夫を立てようとする、若くて器量良しのおいととの仲も良好で、今では彼にとって、おいととの慎ましやかな、しかし刀一本で生きてきた頃よりもはるかに人間らしい生活と、小さいながらも品質の良い紅をつくる紅屋の仕事がすべてとなっていた。

 物語は、そんな紅屋の紅を手に入れて、自分の商売をさらに大きく広げようともくろんでいる小間物問屋の勝田屋の、狡猾な陰謀からどのように自分の店を守っていくか、という商人としてのストーリーと、惣兵衛の過去を知る志保という武家の娘から、思いがけず父の死の裏にあった、ひとりの女の復讐劇について知らされるという、武士としてのストーリーの、ふたつの流れによって構成されている。そしてこのふたつのストーリーは、それぞれが独立した存在として成り立っているわけではなく、惣兵衛の抱えるジレンマそのものでもあるのだ。

 商人としての惣兵衛は、あくまで商人として、紅の原料である紅餅の確保に乗り出したり、新しい商品を開発して攻めに転じたりするのだが、武士としての惣兵衛は、そもそも父の死の原因となったその女のことで思い悩む。商人としての立ち居振るまいがいかに身につこうとも、いざというときに顔を出してしまう、いまだ捨てきれずにいる武士としての自分――本当に守りたいものがあるときに、商人としてではなく、武士としてのやり方しか思いつかない惣兵衛の焦燥が、本書の一番の読みどころであることは間違いない。そしてそれは同時に、いつか夫がふたたび武士に戻ってしまうのではないか、というおいとの不安につながっていくのだ。

 真面目だけが取り柄の、どこか無骨で不器用なところのある紅屋惣兵衛――不思議なことに、武士としての彼の人物像に目を向けたとき、そこに現代における典型的中高年サラリーマンの姿があるように思えるのは、はたして私だけだろうか。いや、勝田屋の巴屋乗っ取りのやり口にしろ、紅屋の起死回生の妙案にしろ、現代の大手商社と小規模メーカーに形を変えても、ほとんど違和感のない世界が本書では展開されている、と言っていいだろう。

 どこか現代風な雰囲気のある時代小説――それは、たとえば藤沢周平の『蝉しぐれ』を読んだときにも感じたことであるが、ひとつだけ明らかなことがあるとすれば、それは大部分の時代小説の舞台となる江戸という世界が、人情や恋慕といった、単純ではあるが大切な事柄をテーマとして出しやすい、ということだ。そして本書に関して言うならば、時代劇によくある剣術や殺陣に頼ることなく、武士から商人へと身を転じたひとりの男の立場を鋭くとらえた作品として仕上がっていると言っていいだろう。

 一日の仕事を終えて、小僧らに飯を食わせ、さらには夫のために煮炊きする妻。煮炊きを終えたなら夫婦で料理をつつき、何とはなしに語り合う。至極ありふれたことかもしれぬが、惣兵衛が守ろうとしているのはそういうものかも知れなかった。

 守りたいと思うもの、忘れたいと願うこと――本人がどれだけそうしたいと思っても、商売の世界が先の見えないものであるのと同様、自分のこれからの人生も、人の気持ちも移り変わっていくものだ。それはあたかも、深い霧の中を手探りで進んでいくのと似たようなものだと言えるかもしれない。はたして、惣兵衛は武士としての自分を完全に捨て去ることができるのか。できるとすれば、過去の自分にどのような決着をつけることで果たされるのか――その答えは、本書のタイトルにもなっている『霧の橋』の向こう側にあるのかもしれない。(2002.02.18)

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