【祥伝社】
『君がぼくに告げなかったこと』

図子慧著 



 誰かと友人になるための最低条件とは何なのだろう、とふと考える。

 自分が子どもの頃をふりかえってみたとき、友人となった人たちのほとんどとは学校という集団生活のなかで見つけ出している。もちろん、自分と同年代の人間だからといって、かならずしも彼らと親しい関係になれるとはかぎらないし、じっさいに私にも、同じクラスメイトではあったがどうしてもなじめない奴はかならず何人かいたものであるが、それでもなお、同じ学校に通う者たちのなかからたしかな友人関係を築くことができたのは、彼らと同年代であるという要素が、必然的に自分たちが同じ立場にあるという要素、平等であるという要素と結びついていたからに他ならない。

 そう、あの頃の私は、たしかに自分と友人がお互いに同じ世界を共有していると信じていたし、だからこそ友人でありつづけることができた。仮に、それぞれの家庭環境が大きく異なっていたとしても、少なくとも同じ学校に通い、同じクラスで同じ授業を受けていたという事実が、仲間意識を強くしていたことはたしかであるし、まだまだ世間の事柄に通じていない、良くも悪くも純真だった私は、その共有世界の幻想を何の疑いもなく信じることができた。じっさいには、誰かが誰かのために、自分のもつ世界を無理やりに歪め、相手の世界に合わせていたかもしれないのに。そしてそのことによって、学校という共有世界が保たれていたかもしれないのに。

 幼いというのは、自分が世界の中心にいると信じて疑わないことである。そしてそれは、小さな子どもだからこそ許されるものであり、また人間の成長のためには必要なことでもあるが、いつかは自分の世界がすべてではないこと、そして自分以外の他者が、それぞれ独自の世界をもっていることを知らなければならない時が来る。本書『君がぼくに告げなかったこと』は、基本的に学園で起こった事件の真相を追うというミステリーの形をとっているが、じっさいにそれ以上の重要度をもっているのは、思春期の少年たちがかかえる友人関係――とくに、それまで唯一無二のものと信じていた自分の世界が、けっして世界標準ではないことに気づく、そんな時期の、微妙で繊細な少年同士の関係性だと言える。

 本書の主人公である語り手の伊奈義国は、名門私立高校である清賢高校の二年生。その二学期の始業式の最中に、彼の友人であった升岡が校舎から転落死した。その校舎屋上には、升岡とはことあるたびに対立していた鞍田が閉じ込められていた。屋上にいたる扉は、通路側から鍵がかけられており、屋上側から開けることはできない構造になっていた。そして、鞍田は扉を開けた教師を振り切って逃走し、今も行方がわかっていない。

 けっきょくのところ、升岡の不注意による事故死という扱いになったが、家の都合で二学期から高校の寮に入ることになった伊奈は、寮の生徒から升岡と鞍田が激しく対立し、その結果として升岡が退寮することになったといういきさつを聞き、事件に興味を覚える。だが、それはミステリーとしてはありがちな、探偵役としての興味ではなく、もっと個人的な、そして彼にとって重要な問題からであった。

 ぼくは、升岡が死んだ理由が知りたかった。死からもっとも遠い存在に思えた升岡。健康で、現実的だった升岡。そんな彼が、死んだ原因がわかれば、自分はその危険を回避できるのではないか。幻想にすぎないとしても、知りたかった。

 伊奈の家庭環境は複雑で、そしていくつもの死で彩られている。父は事業の経営者としては辣腕だったが、それゆえにあまり家庭のことを顧みることがなく、母は子育てよりも買い物に明け暮れたあげく、交通事故で彼が小さい頃に亡くなっている。その後、彼は祖母の家で育てられることになったが、父の事業が海外へと移り、これまで以上に家庭に時間を割くことがなくなった頃に、その家には内田彰伸という同級生が、同居同然の形で入り込んでくるようになる。アルコール依存症で息子のことにてんで無頓着だった父のいる家の環境の悪さを、見るに見かねた祖母が面倒をみるという形で、ふたりは知り合うことになったが、この伊奈と内田との関係が、物語のなかで非常に大きな位置を占めることになる。

 内田は高校一年になってすぐに病気で入院し、伊奈とは必然的に離れることになったが、彼らの関係は中学時代からどこかぎくしゃくするようなものとなっていた。それは、当然といえばあまりにも当然のことだと言える。なぜなら、伊奈の家が金銭的に裕福であり、内田のほうが伊奈の家に養われているという形をとっている以上、ふたりのあいだには、たとえ幻想でしかなかったとしても、お互いに平等であるというひとつの世界を共有することができないからである。そして内田は、今年の三月に病院から飛び降り自殺をしている。なぜ、内田は自殺しなければならなかったのか――伊奈がとりくむべき本当の謎は、間違いなく内田の自殺の真相であるのだが、彼はまるでその問題から目をそらそうとするかのように、升岡の事件のほうを追う。

 伊奈はけっして頭が悪いわけではない。自分のとらえる世界が、内田のそれとは大きく異なっていること、よりくわしく言うなら、自分と内田とはけっして平等ではなかったという事実に、心のどこかでは気づいている。ただ、そのことに直面することを怖れている。できれば、自分に都合の良い幻想のなかに逃げ込みたい、という気持ち――本書の大きな特長は、たんにミステリーとしての謎解きを重要視することではなく、ひとりの少年が真相に向き合うというシチュエーションのなかに、少年の心の成長を組み入れることに成功している点である。升岡の事件のなかに、内田の死の真相をかさねて見ていた伊奈が、いつその事実に気づき、そして自分だけでなく自分の周囲に目を向けることができるようになるのか――物語の構造は伊奈や内田の過去をふくめて、いろいろな要素が錯綜して複雑なものとなっているが、上述の一点さえ見失わなければ、美少年同士のボーイズラブ的な要素もふくめて楽しむことができる作品である。

 人はひとりでは生きていけない。しかし、大勢の人が集まれば、かならずどこかで衝突が起こる。私たちはしょせん自身の主観からは逃れられないかもしれないが、それでも、お互いがそれぞれの世界をもっていることを認識し、想像していくことはできる。そして、もしそれができるのであれば、お互いに衝突したり、一方が無理に相手に合わせたりすることのない、真に相手のことを尊重する掛け値なしの友情を築いていけるはずである。ひとりの少年が、真実を知ることの勇気と、その勇気をささえる友情の物語を、ぜひ楽しんでもらいたい。(2007.02.21)

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