【新潮社】
『殺人鬼』

綾辻行人著 

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 人間に生理的嫌悪感をいだかせるのは、じつはそれほど難しいことではない。ひと言で述べるなら、人間の本性をちょっと剥き出しにしてやればいいのだ。例えば、排泄という行為。私たちが生きていくうえでけっして欠かすことのできない行為であり、排泄が正常に機能しなくなれば、老廃物の毒素によって下手をすれば死んでしまうことだってある。排泄が非常に大切な行為であることは、おそらく誰もが頭では理解できるだろう。しかし、その行為を人に見られたり、逆に人の排泄行為を見たりすることを望む人は、ごく一部の人を除いてはいないはずである。

 人間の本性をまのあたりにすることによって引き起こされる嫌悪感――いわゆるスプラッターと呼ばれるジャンルで人の心にはたらく嫌悪感も、基本的にはそれと同じことだ。どんな美女や美男子でも、一枚皮を剥げばそこには真っ赤な血が流れ、肉や骨や内臓が収まっている。自分達が一種の糞袋であるという事実――飛び散る鮮血、剥き出しの白い骨、てらてらとぬめりを帯びた内臓といったものをまのあたりにすることは、それらがまぎれもない自分という生物の構成要素であるがゆえに引き起こされる嫌悪感なのである。

 本書『殺人鬼』に書かれているのは、文字どおりの殺人鬼――およそ人間らしい思考や感情といったものとはまったく無縁に生きる怪物、狂った意識に突き動かされるままに人を襲い、その相手がもがき苦しむさまを楽しみながら殺していくという悪魔の申し子が、双葉山のキャンプ場にやってきた登山客たちを次々と惨殺していくという、どこかのホラー映画のような話である。常人では信じられないような力を振るって獲物――そう、殺人鬼にとって人間は狩るべき獲物にすぎないのだ――を追いつめ、たっぷりと恐怖を与えながらじわじわとなぶり殺しにする様子を事細かに描写しつづける本書には、思わず目をそむけたくなるような残酷なシーンがあちこちにちりばめられており、生理的嫌悪感にさいなまれること請け合いであるのだが、それに負けて読むのをやめてしまっては、そこに仕掛けられた、いかにも本格ミステリー作家らしいトリックに気づくことはできない。

 著者が本書のはしがきで宣言している「ちょっとした趣向」――もちろん、それはすべての謎が明らかになれば、あらためてなるほどとうなずけるものであるのだが、「三人称多視点の小説という形式で書かれたこの物語を読み進めるにつれて、勘の良い読者ならばおそらく、何かしらの違和感を覚えることだろう」と、多少挑戦的な文章が添えられてしまうと、読者としては、そこにどんなトリックが仕掛けられているのか気にならざるを得なくなる。「謎解き」に重点を置くミステリー作家の作品は、えてして作者と読者との知恵比べ的な様相を呈することが多いのだが、本書もまた、スプラッター的な描写を隠れ蓑にしながら、小説というジャンルだからこそ可能なトリックを盛り込んだミステリーのひとつだと言うことができるだろう。

 本書のトリックに気づくための要素は、じつはさまざまな場面に巧妙に隠されている。読者がそのなかのどこに違和感を覚えるかは、当然のことながら個人差があるだろうが、なかでも殺人鬼による残虐な殺人シーンに注目することを、私はあえてお勧めする。

 理性を完全になくし、狂気に支配された殺人鬼――そこには当然、人間らしい優しさや思いやりといったものはもちろん、まともな思考能力や言語を解する能力すら欠如してしまった狂人というイメージが前面に押し出されているはずである。しかしながら、もし本書を読み返す勇気があるならぜひそうしてもらいたいのだが、ただ一箇所だけ、殺人鬼が言葉を発するシーンがあることに気づくはずだ。片言ではあるが、意味の通じる言葉を話すという行為は、およそ「殺人鬼」に与えられたイメージとはそぐわないものだが、その決定的な違和感は、圧倒的なスプラッターシーンによって読者から隠されていると言える。もし、著者がすべてを計算づくで本書を書いたのだとするなら、人の生理的嫌悪感さえトリックのひとつとしてしまう著者の発想には感服すべきものがあるだろう。

 生きたまま手足を切断する、目玉をくりぬく、腹を裂き、内臓を引きずり出す――こうした残酷な殺人シーンは、あるいはミステリーがミステリーとして成立するのに避けられない、記号としての殺人に対するアンチテーゼと言うこともできるし、あるいは私たち人間がまぎれもなく想像することができる生物であることを思い知らせるものだと言うこともできるだろう。だが、ひとつだけ考えなければならないのは、そうしたスプラッターな描写に露骨な嫌悪感を示す一方で、相手を精神的に追いつめ、言葉で人の心を傷つけることに関してまったく無頓着な人間がいる、という事実だ。

 私が唯一、誉め切ることのができなかった高見広春の『バトル・ロワイアル』は、クラスの仲間どおしで殺し合いをさせるという内容の小説であるが、彼らの殺し合いを、今の学校の現状――仲間を大切にすることを教えておきながら、成績という戦いでお互いを蹴散らし、いい点数をとるために精神を殺し合う今の学校教育に置き換えたものだとするなら、だいぶ見方は変わってくる。肉体を傷つければそれは犯罪となり、刑法の定めるところの償いを受けなければならないその一方で、心が受けた痛み、精神を傷つけられ、痛々しいほど流れた心の血がなかなか省みられることのない現状を、はたしてどう思うのか――本書には、そのような問題提示の意図もあったのではないだろうか。

 無知であるがゆえに人を傷つけ、良識という名を借りた多数の暴力で人を世間から抹殺し、そのことに心の痛みすら感じない人間――あるいは、著者にとってはそのような人間こそが、もっとも恐ろしい「殺人鬼」に見えるのかもしれない。(2000.11.29)

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