【双葉社】
『誘拐』

五十嵐貴久著 



 メーカーが派遣労働者を削減する「派遣切り」の問題が、新聞やテレビのニュースなどで取り沙汰されるようになっている。平成20年の末に、そうした派遣社員の避難所と再就職支援の場として東京の日比谷公園に「年越し派遣村」がつくられ、連日のように報道されていたのは記憶に新しいところであるし、最近では新規採用の社員に対する内定取り消しの問題にもつながっているところがある。こうした、労働者に対するある種の冷たい処遇の直接的な要因として、サブプライムローン問題に端を発する世界的な金融危機をあげることが多いのだが、逆に言えば、こうした状況こそがかつて小泉前総理大臣が旗振り役として推し進めてきた「構造改革」路線の、ひとつの結果であると指摘する論調も出てきている。

 それまでの既得権益や政・官・業の癒着構造を破壊し、そのうえで日本経済の活性化のため、欧米流の「グローバル・スタンダード」に合わせていくという一種の市場至上主義を貫く「構造改革」路線は、結果から言えば、不況になったらバサバサ人を切ればいい、というきわめて合理的で割り切った経営方針を露呈することになった。昨今言われている「格差社会」の問題も、そうした構造改革がもたらした新自由主義的な思想の跋扈が裏にあるとされているし、そうした経済用語に明るくない人たちも、どこか世の中が人に冷たい、非情な社会になりつつあるのではないか、という思いを多かれ少なかれもっているはずだ。東京の秋葉原で起こった連続通り魔殺傷事件についても、新自由主義のなかで孤立した個人の絶望的な状況を象徴する事件として見直されている向きがある。

 言うまでもないことであるが、経済というのは市場と政府によって動いていく。経済学における人とは、ヒューマンではなくエコノミストというとらえ方であり、そこにあるのは究極的な個人とその自由である。だが、人はひとりではけっして生きてはいけない生き物であり、だからこそそこから社会が生まれ、人と人とのつながりによってお互いが結びついていく。市場至上主義や「グローバル・スタンダード」のなかに決定的に欠けているもの、そしてそこから生じつつある人間社会の歪み――今回紹介する本書『誘拐』を読み終えたとき、私がまず思ったのは、そのタイトルとは裏腹なもの、つまり、今の日本が置き去りにしつつあるきわめてヒューマニックな部分に対する強い想いである。

 警察に伝えるな、と犯人は言い、そして関係者も誰にも言いませんと答える。それはまるで約束事のようです。――(中略)――わたしが言っている誘拐の本質とはそこです。つまり、誘拐とは約束に対する人間の信頼感によって初めて成立する犯罪だとは思いませんか?

 そのタイトルに堂々と『誘拐』とつけられているとおり、本書はある人物の誘拐をめぐる一連の出来事を書いた作品である。誘拐のターゲットとなったのは、現総理大臣の孫娘である佐山百合。タカ派と称される現総理大臣の佐山憲明は、国際社会における日本の発言力の強化を「品格ある国家」というスローガンで訴えることで有権者の高い支持を受けており、その一連の政策のひとつとして新・日韓友好条約の締結という、歴史的瞬間を目前に控えていた。この条約締結には北朝鮮に対する軍事的封じ込めの狙いがあるともされており、それゆえに北朝鮮の動きには細心の注意が払われていたが、その条約締結のため韓国の大統領が訪日するという、まさにその時期を狙い済ましたかのように、今回の誘拐事件は起こった。

 現総理大臣の孫娘が誘拐されるという前代未聞の事件に対して、あくまで秘密裏に、しかも韓国大統領訪日までに、犯人逮捕と人質の救出という形で解決するように警視庁に命令が飛ぶ。だが警視庁の警察官は、韓国大統領の警備にその大半が裂かれており、人員はもちろん、時間も極端なまでに制限されていた。しかも犯人の手口は想像以上に狡猾で、要求の伝達に善意の第三者への伝言という方法をとるなど、自身につながるいっさいの手がかりを残さないやり方を徹底していた。警視庁はその手口や人質解放の条件などから、北朝鮮の工作員の犯行と断定したものの、時期が時期ゆえに捜査は後手にまわり、下手をすれば警視庁最大の汚点ともなりかねない状況に追い込まれていたが……。

 こうして事件のあらましを書いていくと、まさに日本を揺るがしかねない未曾有の大事件であるかのように思えるが――そしてじっさいに、大事件であることに変わりはないのだが――じつは本書の冒頭は、いっけんすると今回の事件とはまったく関係のなさそうな出来事からはじまっている。それは、とある旅行会社で起こった狡猾な買収劇と、事実上その犠牲者となったあるサラリーマンが、最終的にその会社を辞職するまでの顛末である。この秋月孝介という人物が、じつは今回の誘拐事件の首謀者のひとりであるという事実は、本書の早い段階で明らかにされるのだが、そういう意味では、本書は警察vs知能犯という対決姿勢を前面に押し出した物語構造をとっていると言うことができる。だが、本書の読みどころはその点だけではない。

 警視庁が思い描いている犯人像と、じっさいの犯人とのあいだには、大きなギャップが生じている。そのことを、双方の立場を追うことができる読者は早い段階から知ることができる。そして同時に私たちは、この未曾有の誘拐事件の首謀者である秋月孝介が、けっして悪人ではないという事実も知ることができる立場にある。少なくとも、国家を相手どって脅迫を行なうような、だいそれた人物でもないし、またそんなことができるだけの度胸もあるとは思えないのだ。だからこそ、私たち読者はその動機という点で疑問をもたざるを得ない。はたして、彼はどんな目的があって今回の犯行を決意したのか、その真の意図は何なのか、と。

 この書評の冒頭で、日本の構造改革路線のことを書いたが、本書に登場する佐山総理は、そうした構造改革の推進者であり、とくに経済政策の面では、企業や個人がより市場利益を重視せざるを得ない法案の提出を目指す政治家でもあった。それは、日本の国力の底上げと、経営者の労働意識をより高めるためのものと称されていたが、実状は裕福層と貧困層の格差をより明確にし、弱者を容赦なく切り捨てる政策でもあった。こうした背景は、間違いなく今の現実の日本がかかえている問題のひとつであり、だからこそのリアリティが本書にはある。そう、読者の感情としては、孫娘を誘拐された総理側にいる警視庁よりも、その孫娘を誘拐した犯人側に肩入れしてしまう要素に満ちているのだ。

 これまでの常識とされていた誘拐のセオリーにはけっして当てはめることのできない、まったく新しいタイプの誘拐事件――はたして、総理の孫娘誘拐というだいそれた犯罪の裏にどのような真意があるのか、そして警視庁はそのおおがかりなカラクリを読み解くことができるのか。最後の最後にあかされる驚くべき真相もふくめ、ぜひともたしかめてもらいたい。(2009.04.20)

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