【講談社】
『鍵』

乃南アサ著 



 なんだかんだ言いながらも、やっぱり家族の絆というのはいいものだ、と思ってしまうのは、おそらくその家族との関係で苦労をしたことのない者の傲慢でしかないのだろう、というのは、たとえば柳美里の『命』のような、複雑でけっして幸福とは言えない家庭のもとで育った人の、生々しいドキュメンタリーを読めばわかることである。
 基本的に、生まれてくる子どもたちは、自分が属することになる家族を選ぶことはできない。親子や兄弟といった血縁関係というのは、たとえどんなに望んでも切り離すことのできない、お互いに受け入れるしかない事実であり、この世に生を受けたその時点で、その命は自分のものであると同時に、その家系の一部でもある、という宿命を背負わされる性質のものでもあるのだ。

 この書評をお読みになっていらっしゃる方々にとって、家族とは、血のつながりとは、どういう意味を持っているものであろうか。おそらく、その後に知り合うことになるだろう無数の友人や恩師、さまざまな集団における先輩や後輩といった者たちの誰よりも身近に接する存在であるはずの両親や兄弟姉妹――ことによっては家族である、という、ただそれだけのことで、本人の意志とは無関係に、お互いに影響されずにはいられない、ある意味で理不尽な関係であることはたしかだが、逆にだからこそ、誰よりもその飾らない姿や性格、感情をありのままに受け止めてきた家族だからこそ、損得勘定や打算ではない特別な愛情によって結びつくこともできるのではないだろうか。

 本書『鍵』の底辺にあるのは、間違いなく「家族の絆」である。ミステリーという体裁をとっているがゆえに、本書では事件がおこり、犯人が存在し、そしてその事件となんらかの形でかかわってくる登場人物たちが出てくるが、いわゆる「本格ミステリー」のように、まず謎ありき的構造を成しているわけではない。郊外の駅から自転車に乗って帰る若い女性のかばんばかりを狙ってひったくっていく連続通り魔事件――その犯人が誰で、その裏にどういった真相があるのか、といった要素は、この物語のなかではいわば副産物でしかなく、本書はむしろ、その事件に思わぬ形で巻きこまれることになってしまった西一家の内面の変化をとらえた、良質の人間ドラマと言うべきだろう。

「家族の絆」と、とりあえず私は述べた。だが、子どもの立場からすれば、家族とは両親や兄弟のことを指し、すでに父親という立場にある大人にすれば、家族とはまず妻や息子、娘たちのことを指すものである。西一家の長男にあたる俊一郎は25歳、現在無職の彼の立場が微妙な位置にあるのと同様、25歳というこの年齢も微妙なところだ。当然のことながら、俊太郎はもう子どもではない。だが、ひとりで独立してやっていける状態でもない独身者、という意味では、妻や子どもたちによって構成される、新しい家族とも無縁の状態である。そして物語は、俊太郎の父親が死んで、「家族」と呼べる者が秀子と俊太郎、そして聴覚に先天的な障害をもつ高校生の麻里子の三人だけになるところからはじまる。

 すでに自分の家庭をもっていてもおかしくない若者を中心に据えて、あえて姉や妹といった、横につながる「家族の絆」を描こうとした本書において、父や母の死というのは、「家族」を構成する重要なポジションの喪失を意味する。昨今の高年齢化していく結婚事情や、離婚率の増大といった流れを考えれば、それはけっして珍しくはないことであろうが、家系図の基本として、時間を下っていけばいくほど末広がりになるはずの親戚関係が滞ってしまっている、という事実について、それぞれがどのような思いを抱いているのか――本書では、とくに俊一郎と麻里子の内面を事細かに描いてみせることで、家族であるがゆえの意固地さや遠慮、うがったものの見方によって、お互いの心が少しずつすれ違い、それが事態をよりいっそう深刻な方向へと向かわせてしまう様子を演出しており、読者を知らないうちに、物語の世界へと引きずりこんでいく。けっして誰が悪いわけでもないにもかかわらず、どんどん冷えていく兄妹の絆がこれから先どうなってしまうのか、という好奇心によって。

 以前に読んだ『彩花へ――「生きる力」をありがとう』のなかで、なぜ犯罪者となるのは男性ばかりなのか、ということを語ったジャーナリストの話が載っていて、それによると「男の子は自我が芽生えると同時に母親との一体感が断ち切られてしまい、愛について女の子よりも敏感で、不安定な立場に置かれてしまう。そのストレスが解消されないまま、ふいに爆発してしまうことが、そのまま犯罪へとつながってしまうのではないか」ということであるらしい。
 俊太郎は犯罪者にこそなったわけではないが、その心理は上記のものと非常に近いものがあるように思える。彼の母親は、障害をもつ麻里子につきっきりで、俊太郎が甘えることを許さなかった。そんな彼にとって唯一の心の支えとなるべき父親は極端に無口で、俊太郎にとっては反面教師にしかなりえなかった。

 麻里子に母親の愛をとられた、という、理屈ではどうにもできないわだかまり――もちろん、障害をもって生まれたのは麻里子の責任でないことは、彼にもよくわかっている。だからこそ、麻里子を徹底して嫌うこともできず、ただ悶々とした思いを内に抱えこむしかない俊太郎と、これまで頼ってばかりいた母親の死を機に、自分で何でもできるような強い人間にならなければと、今回の事件の重要な「鍵」を握ったまま、ひとりで考え、行動を開始する麻里子、そしてそんなふたりの様子を第三者の立場で見る、俊太郎の友人で新聞記者の川村有作――三者三様の心理を平行して書くことによって、態度にこそ出さないものの、じつはお互いのことを気にかけていたり、兄妹で同じようなことを考えていたりしているといった心憎い演出を、より効果的に表現していった著者の力量は、さすがだと言うべきものだろう。

 著者の乃南アサは、直木賞受賞作の『凍える牙』でもそうだったが、どこか意固地になったり、頑なだったりする女性の心理を描くのがうまい作家だと思うのだが、本書においては、そこからさらに「家族の絆」というテーマへと物語世界を広げ、両親と兄弟姉妹という古い「家族」から、夫婦と子供という新しい「家族」への移行――喪失から再生、そして獲得へとつながる流れを描くことに成功したと言うことができる。

「家庭崩壊」などという言葉が使われて久しいが、本書はきっと読者に、家族というものの本質――そこにあるのが何よりも強い絆であり、あたたかさである、という確信をもたらしてくれることだろう。(2002.05.12)

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