【角川書店】
『家族狂』

中村うさぎ著 



 自分がどんな人間なのかを決めるのは、自分ではなく、自分を見る他人の目である――詳しい文言はすでに忘れて久しいが、私が就職活動をしていたときに購入した、中谷彰宏の面接対策本のなかに、こんな意味の言葉が載っていたのを覚えている。
 それは極論してしまうなら、「人間はまさに見た目がすべて」ということを言っているのだが、そのことへの賛否両論はともかくとして、面接という、たった数分の時間で、初対面の人間に自分という人間のことを知ってもらわなければならない場面において、その言葉が真実をつくものであることを私は知っている。身だしなみのしっかりしていない人間は、基本的にだらしないという印象を人に与える。たとえ、自分がどれだけしっかりとした人間だと心の中で思いこんでいようと、それが他人の目にも映らないかぎり、本人の意思など存在しないも同然なのだ。

 個人の性格は、世間にも認められてはじめて自分のものとなる。自分ひとりだけの思いこみは、たんなる妄想の域を出るものではない――本書『家族狂』という作品について考えたとき、物語を一人称で語るハードボイルド作家の北村は、けっきょくのところ、そのはじまりから最後まで、自分の妄想が生み出した世界の中で生きていたと言うことができるのかもしれない。

 本書の物語構成は、けっして複雑なものではない。超常現象や心霊といったたぐいのものをいっさい信じていない、現実主義の語り手が引っ越してきたマンションには、じつは一家心中をはかった家族四人の幽霊が住んでいて、しばしば語り手の生活に介入しては語り手を困らせるようになる、という流れが土台となっている。その後、その幽霊たちや、語り手の担当編集者となった日暮仮名子、そして語り手の書く小説に独自の妄想を膨らませ、おかしなファンレターを送ってくる「ミザリーさん」といった人たちは、語り手の意思などおかまいなしに、彼の性格についてそれぞれ勝手な評価を下すようになり、当の本人である語り手は、そうしたものにさんざん引っ張りまわされていく。

 そこには、漫才で言うところのボケとツッコミに似たような要素があり、そういう意味では本書は一連のドタバタ劇を描いたものだと言えなくもないのだが、物語は次第に、語り手本人の正気と狂気の境目がかぎりなく曖昧になっていくという、一種のサイコホラーのような様相を帯びてくるようになる。

 本来であれば無条件に信じてかまわないとされる、語り手への絶対の信頼性――読者のこうした無自覚な思いこみを逆に利用することで成立している作品はこれまでにもあったし、その手法自体はけっして珍しいものではない。だが、本書は一見ドタバタ劇を装いながらも、じつはサイコホラーへと物語がつながっていくように、巧妙な布石が用意されており、そういう点では、本書はわりと律儀な作品だと言えるのかもしれない。

 たとえば、語り手が最初に幽霊を目撃してから、その「不可思議な現象」について考察する場面があるが、そこで語り手は、ふたつの推論を提示している。

1. すべては俺の幻覚であった。
2. あいつは宇宙人、あるいは幽霊であった。

 1を認めれば語り手は自分の正気を疑わなければならず、2を認めれば「超常現象や心霊など存在しない」という語り手の世界観が瓦解する、という状況の中で、物語はなしくずし的に語り手に2を認めさせることになるわけであるが、そもそも読者の側からすれば、このような設問はたいして意味のないものだ。なぜなら、本書が一人称という形式をとっているかぎり、読者は語り手の目を通してしか小説内の世界を覗くことができないわけであり、語り手が1を認めるなら、1の法則にのっとった世界が、2を認めれば2の法則にのっとった世界が展開されていくだけのことだからだ。

 本書の場合、語り手が幽霊を目撃した時点でふたつの可能性があった。状況的には2を選んだ語り手であったが、本人の意志としては、どちらも選ぶことのできない究極の選択だったと考えるのが、この場合は正しいだろう。それゆえに、物語の世界観は1と2のあいだをゆらゆらと行ったり来たりするという、不安定な状態のまま最後まで進むことになる。1と2のどちらが正しかったのか、読者には謎のままなのだ。

 また、本書の中に語り手以外の人間がほとんどいない、というのも、そうした傾向にますます拍車をかけるひとつの要因だ。ほとんど唯一といっていい、語り手以外の「人間の」登場人物である日暮仮名子が、途中から行方不明になってしまうのも、物語の世界観をますます不安定にするためのものであるとすれば、じつに絶妙なタイミングだったと言える。

 こうして、物語は他者の目を欠いたまま、語り手の独壇場と化す。このとき、語り手の妄想のそもそもの原因である幽霊たちが、どのような存在へと変貌していくことになるのか、本書のタイトルにもなっている『家族狂』が何を意味しているのか、そして、何が真実で何が嘘なのか――本書を読んで、何の不安も感じなかった人がいたとしたら、もしかしたらあなたも自分だけの妄想の世界の入り口に立っているのかもしれない。(2002.03.05)

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