【朝日新聞社】
『かわうその祭り』

出久根達郎著 



 何かわからないことがあったら、とりあえずインターネットで検索してみる――そんなスタイルがあたり前になりつつあるようだ。わざわざ図書館まで足を運び、さまざまな文献にあたったりしていた以前と比べれば、格段に便利な世の中になったことは間違いないし、またネット情報の弱点と言われている「正確性」という点も、情報量の多さ、つまり同種の多数の情報を比較検討していくことで、おのずと真偽の取捨選択ができるはずだという考えも否定はしない。だが、ひとつだけ勘違いしてほしくないのは、インターネットが世の中のすべての情報を網羅しているわけではなく、したがってインターネットといえども万能ではない、ということである。

 たとえば、磯田道史の『武士の家計簿』に書かれている、江戸時代から明治時代にかけての一般的な武士の生活の様子がどのようなものだったか、という情報は、インターネットではなく、神田の古書店で売られていた古文書から得られたものを参考にしている。逆にいえば、この古文書が発見されなかったとしたら、『武士の家計簿』はこの世に生まれてはこず、したがって遠い過去をたしかに生きた武士一家の存在も、もしかしたら永遠に日の目を見ることもなかったかもしれないのだ。私たちにとってはただのゴミに等しい、古い時代の家計簿がある人にとってはとんでもない宝の山に変化するという不思議は、おそらくインターネットのなかではけっして味わえないダイナミズムのひとつだろう。古書や紙くずといったものは、世の中の価値観がけっしてひとつではないということ――世の中にはさまざまな人たちがいて、それぞれが独自の考えをもっているという、あたりまえではあるがつい忘れがちな人としてのあたたかみを、あらためて私たちに教えてくれるものなのだ。

 本書のタイトルにもなっている『かわうその祭り』とは、コレクターが自分の収集物を周囲に広げて悦に入っている様子を、捕った魚を食べる前にちらかしておくかわうその習性になぞらえた言葉であるが、本書はそうしたコレクションのなかでも、とくに一見すると無価値としか思えないようなガラクタに、あらためて光をあてるために書かれた物語である。

 物語は、店をたたむ決意をしたとある古書店のあるじが、お得意さんのひとりだった切手商「切り干しさん」から聞いた昔の話、という設定で進んでいくが、その「切り干しさん」もべつの切手商から話を聞いただけのようであり、そのべつの切手商も、事件そのものには直接関与しているわけではないという、いわば「伝聞の伝聞」みたいな雰囲気が物語の序盤のほうでつくられていく。ようするに、ホントかウソかはわからないよ、というスタンスであるが、そうした長い回り道を経て、物語はとあるコレクターが収集していた膨大な春本やエロ映画のなかのひとつ、「女の一生」というタイトルの古いエロ映画に焦点が絞られていく。

 どうもただのエロ映画にしてはフィルム6巻という長大なものであるし、じっさいに内容を見てみると、どうやらひとつのフィルムにエロ映画とはまったく別の映画が継ぎ足しされているようである。どうしてこんな奇妙なフィルムができあがったのか、ただの水増しをねらった粗悪品にすぎないのか――「映画の東京を記録する会」の会員のひとりであり、またそのフィルムを某コレクターから秘密裏に処分するように頼まれた「貴重文化紙くず」商である綿貫の顧客、通称「五郎」は、そのフィルムに映っていた女優のひとりに興味をもち、その正体を調べるべく動き始めるが、そこから浮かび上がってきたのは、かつての満州国にかかわるトップシークレットというとんでもない真実だった……。

 こんなふうにあらすじを書いていくと、なにやらサスペンスめいたミステリーを想像される方がいるかもしれないが、物語自体はきわめて平穏なもので、むしろ物語のなかで披露されるさまざまな薀蓄のほうこそが、本書のメインと言ってもいいだろう。「切手詰め合わせ」のなかに混ぜられた架空の国の偽切手、古い時代のあらゆる印刷物を商売にしている「貴重文化紙くず」商、わざと伏字で印刷し、あとで正誤表を送ることではじめて読めるようになるという会員制の「秘密春本」など、非常に興味深い雑学満載の本書であるが、本書のテーマとしてもっとも象徴的なのは、過去の映画記録を調査するために「五郎」が訪れる私設図書館「大宅壮一文庫」の存在である。

 今でこそ雑誌やパンフ類、それに芸能人のゴシップ集、文化人や政財界人のスキャンダルを描いた本などを、こうして皆が利用するけど、大宅が古本屋や古書店を回って収集していた当時は、ゴミ拾いと陰で笑っていたんだ。あんなもの何の役にもたたないと、ね

 その「何の役にもたたない」ものから得られた情報から、最終的には一国の政治の裏側があきらかにされていく、という展開をしめすことで、およそ人間が生み出したもので、無価値なものなど何もないのだ、と主張することこそが著者のもっとも伝えたかったことであるのは間違いない。本書では他にも、相続放棄のために集めた叔父の戸籍や、ゴミを広い敷地の隅に置き続ける老人など、紙やゴミに関連するエピソードが付随しているが、たった一枚の紙によってその人の生涯があきらかになったり、逆に自身が出す大量のゴミに振り回される人たちがいたりするというのは、なんとも不思議なことだと思わずにはいられなくなる。私たちが何気なく捨ててしまっている紙くずのなかにある、無限の可能性というものを、本気で信じてみたくなってくるのだ。そしてそれは、たんなるデータとしての情報ではなく、その情報のもととなっている生きた人間の可能性を信じる、ということにもつながっていく。

 著者は古書店の経営者でもあるが、「本は文化」という文句が、今という時代においておそろしくむなしく響くことを、おそらく誰よりも実感しているはずである。インターネットという情報の洪水によって、何が本当に価値のある情報なのかがわかりづらくなっているように、もしかしたら私たちは、知らないうちにとても大切なものを失おうとしているのではないか、というそこはかとない危機感が、本書になかに感じられるのである。(2005.04.12)

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