【文藝春秋】
『火天の城』

山本兼一著 



 前人未到という言葉がある。過去に誰ひとりとして足を踏み入れたことのない場所、という意味から、いまだかつて誰も成し遂げることのできなかった領域を指すものであるが、こうした領域にあえて挑戦しようと考える人間の心の内に、いったいどのような情熱の炎が燃え上がっているのかとふと思うことがある。

 たとえば、人は空を飛ぶことはできない。それはあまりにあたり前の事実であるがゆえに、多くの人はそうした発想にすらたどり着くことはなかったのだが、人はやがて科学の力を借りて、人を乗せて空を飛ぶ乗り物を発明してしまった。今では地球の引力さえ振り切って、その外側へと飛んでいくことのできる技術を手にしているが、もし「空を飛ぶ」ということについて、それがまったくの荒唐無稽な事柄であるなら、人類がその領域に達することはなかったに違いない。

 前人未到は荒唐無稽とは異なる。人が自力で空を飛ぶというのは荒唐無稽でしかないが、人を乗せて空を飛ぶ乗り物を発明するというのは、おそらく前人未到の領域に含まれることなのだろう。これまで誰もやったことはないが、技術的には不可能ではないという直観がはたらく瞬間――今回紹介する本書『火天の城』を読むと、そんな前人未到と荒唐無稽のぎりぎりのところでせめぎ合う人間の精神の高み、より困難な事柄に挑戦し、それを成し遂げたいという強い想いについて、心打たれずにはいられない。

 いま、信長は、新しく天を突くほどの天守を建てよという。番匠の知恵と技の極限にいどめということだ。

 私たちがよく知る歴史をまったく別の角度からとらえることで、これまでにない新しい物語を生み出していこうという意欲に満ちた本書において、その真の主人公は、安土城そのものだと言うことができる。有名な戦国武将である織田信長の命により、滋賀の安土山に建てられた安土城――その目的や意図、外見や設計図といった歴史的資料が乏しく、じっさいにどのような姿形をしているのかも含め、多くの謎に包まれている山城の建設を題材とするにあたり、著者は安土城の「前人未到の建築物」という要素を強調する手法を取り入れた。天下に並びなき、五重の天守をそなえた山城、それも、信長本人がそこで生活することを前提とした城というのは、当時の日本においてはまったく前例のない試みであるのだが、本書ではそのあたりの理由づけよりも、その築城のスケールの大きさをとにかく前面に押し出すことで、困難に果敢に挑戦していく人々のドラマを描いていこうとする。

 あくまで安土城と、その築城をメインとする本書であるが、建築物としての安土城の魅力は、そのままその発案者である織田信長の魅力ともつながっている。これまでの合戦の定石をことごとくくつがえしていったある種の天才である信長の建てる城は、前人未到ではあるべきだが荒唐無稽なものであってはならない。そこで、信長の意を汲み、打てば響くような対応をする岡部又右衛門という大工が登場する。物語はじっさいには、この男の視点をメインとして展開していくのだが、彼と信長との関係が、安土城というおぼろげな要素をより際立たせるのに大きく貢献している。

 信長はつねに人を瀬戸際に立たせる要求をだす。死にもの狂いでやればかろうじてできるが、気をゆるめて手をぬけば、けっして実現できない注文だ。

 もともと熱海の宮大工だった又右衛門は、桶狭間の戦いで討ち取った今川義元の首を運ぶ輿をつくったことが縁で、信長に仕える大工となった男であるが、その極度に職人気質的な性格は、もともとあった大工としてのたしかな腕とその自信も相まって、信長の出す無理難題をなかば楽しむようにこなすことのできる数少ない職人としての性質をもっている。つまり、彼の視点からすれば、いっけん無理難題、あるいは荒唐無稽のように思える信長の要求も、自身の棟梁としての腕前を存分に活かすための場として変換されるのだ。その職人としての腕を全力で振るい、非凡な織田信長の非凡さを際立たせる天守をつくりたい――黙っていてもにじみ出てくるかのようなその高い矜持は、安土城築城にかかわる多くの非凡な登場人物たちをも巻き込んで進行していくことになる。

 城を建築していくための手順やその材料の調達、さらには何百という大工をはじめとする職人の雇用や、その職人同士の意地の張り合い、あるいは信長のことを良く思わない勢力による密かな妨害工作などもふくめ、まさに前人未到の事業であるがゆえのドラマが、それこそその過程のあちこちにちりばめられている。基礎となる柱の一本、石垣となる石の一個にさえ、壮大なエピソードを盛り込んだ本書は、信長や又右衛門といったメインとなる登場人物はいるものの、けっして彼らだけの物語というわけではない。繰り返しになるが、本書は安土城の物語であり、またそれにかかわったすべての人々の物語でもある。そして、ひとりの人間の奇抜な発想が、前人未到という旗印のもとに、じつに多くのモノ、多くの人の力を結集させることではじめて実現していくことを謳った物語である。

 そして本書の描く安土城の「前人未到」を強調するもうひとつの重要な要素として、信長が「南蛮風」と称する城のデザインがある。新しいもの好きで、必要だと考えるものは強欲なまでに取り込もうとする信長の要求のひとつとして出てきた「南蛮風」――しかし、もともと日本の伝統的な建築物を扱う宮大工だった又右衛門にとって、それは想像することがきわめて困難な様式である。ここでもうひとりの登場人物、又右衛門の息子であり、同じく信長に仕える大工である以俊の存在が重要となってくる。彼は大工の師匠としての関係のうえでは、父を偉大な棟梁として認めてはいるものの、親子の関係においては、その頑固一徹で、なかなか自分の技量を認めようとしない性格に反感をいだいており、物語においてもその部分ばかりが目立つ未熟な人物というイメージがあるのだが、ただひとつ、「南蛮風」のイメージという一点においては比類なき才能を発揮するという役割を負っている。

 そして、口では息子の未熟さを罵倒するばかりの又右衛門ではあるが、以俊が西欧の宣教師から教わった大聖堂の資料から、八角の櫓というアイディアを持ちだしたときは、これこそ「南蛮風」だと心のなかで絶賛し、じっさいの安土城の天守のデザインとしても採用している。この以俊のイメージがあったがゆえに、又右衛門はともかくも五重の天守――内部構造としては七重――を支えるための構造をどう実現するべきか、という一点に心血を注ぐことができたと言うことができる。

 織田信長は歴史上の有名人であるが、又右衛門をはじめとする安土城築城にかかわった者たちの名は、個人として陽の目を見ることはない。だが、安土城という前人未到の建築物が、又右衛門と以俊の親子を中心に、数多くの技術と心意気とが密接に結びついた結果として実現できたという事実は、その後の信長の運命と、彼自身の親子関係との比較を考えると、なかなかに複雑な思いが渦巻いてくる。未曾有の建築物としての安土城――そのなかに込められた数々の物語を、ぜひ楽しんでもらいたい。(2012.07.21)

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