【双葉社】
『傍聞き』

長岡弘樹著 



 物事を分析するための思考能力は、人間が獲得した生存のための武器であり、この力ゆえに私たちは未来を予測し、そこに到達するために、あるいはそれを避けるために何をすべきなのかを考えながら生きることが可能になった。私たちにとって思考することは、自分たちが他ならぬ「人間」であることの証明だと言うことができる。だが、同時に私たちは「人間」である以前に動物であり、その本能的な部分の影響をどうしても受けずにはいられない。ちょっと考えればわかるはずのことが見えなくなり、ときに非論理的な行為に走ってしまう――そして後になってその行為をおおいに後悔してしまうという経験は、おそらく誰もが多かれ少なかれ経験しているはずのことである。

 もちろん、私たちは自身の生活のありとあらゆる物事に対して論理的思考をあてはめるわけにはいかないし、そもそもそんな余裕もない。だから私たちは大半の事物について、ついつい思考を簡略化し、ときに安易な、そしてときに誤った結論を得て、それで良しとしてしまう。ミステリーというジャンルの大きな魅力は、まさにこの思考能力が最大の武器として生かされるという点にこそある。そして、私たちが安易に流されてしまう誤った結論ではなく、深い思索と論理によって導き出された真相は、「人間」としてあることの肯定であり、また「人間」でありつづけることの賛歌でもあるのだ。

 今回紹介する本書『傍聞き』は、表題作をふくむ四つの短編からなるミステリーであるが、派手なトリックが仕掛けてあったりするわけではない。にもかかわらず、本書をまぎれもないミステリー、しかも謎に対する意外な真相という意味で、きわめて高い完成度をもつミステリーたらしめている最大の要因は、人間がしばしば陥ってしまう勘違い、思考の簡略化の罠である。

「それが漏れ聞き効果なの。どうしても信じさせたい情報は、別の人に喋って、それを聞かせるのがコツ」

(『傍聞き』より)

 ある作り話を直接相手に聞かせるのではなく、別の誰かに語っているのを「たまたま」聞かせるという形をとることで、その作り話に信憑性をもたせるというテクニックのことを「傍聞き」と言う。表題作の短編は、まさにこの「傍聞き」をもちいた、ちょっとしたトリックを書いたミステリーであるが、本書のミステリーとしての肝にあるのは、いかにして私たち読者を「傍聞き」状態にさせるか、という点にこそある。

 たとえば、『迷走』に登場する蓮川潤也は柿沼市消防本部に勤務する救急救命士であるが、その冒頭に書かれているのは、彼が読んでいる本の文章である。それは一見すると、自動車か何かの乗り物の運転方法について書かれたもののように思えるのだが、少し話が続いて彼が本を閉じ、と同時に本のタイトルが示されると、じつはそれが車椅子介助のための本であることがわかるのだ。さらに言うなら、彼がなぜそのような本を読む必要があるのか、そしてその設定が、このミステリーにおいてどのような役割をはたすことになるのかが、物語が進むにつれて少しずつ見えてくるのだが、そこにはかならず、私たち読者をたくみにミスリードさせるような構成が用意されている。

 私たちはふだん、自分の意思でものを考えているように見えて、じつは以前からの習慣や思い込み、あるいは周囲からもたらされる情報といったものに大きく影響されていることが多い。私も以前、友人と待ち合わせをしていたときに、少し早めに待ち合わせ場所についてしまい、「まだ来ていないだろう」と思い込んでいたため、じつは私より早く到着していた友人が目の前にいたにもかかわらず、見逃して素通りしてしまいそうになったという経験がある。『傍聞き』に登場する羽角啓子は刑事だが、刑事というのはとかく逮捕した犯人から逆恨みされることが多い職業でもある。そんなさなか、かつて彼女が逮捕し、服役期間を終えて出所した男がわざわざ彼女を名指しで呼び出して、思わせぶりな言葉を投げかけたとなれば、どうしても「報復」の可能性を考えずにはいられない。同じく刑事だった夫を犯人の逆恨みによって亡くしてしまっているとなれば、そして自身がひとり娘をもつ母親でもあれば、なおのことだ。

 本書の短編に登場する人たちは、いずれもなんらかの思い込みによって、より論理的に考えること、目の前の事物を注視することを妨げられてしまっている。『899』などはその最たる例であり、消防隊員である諸上将吾は、隣の一軒屋に住むシングルマザーの女性への恋心によって盲目となってしまっている。じつはよくよく読み返してみると、ある事実を示す伏線がいくつも張られているのだが、彼同様、私たちも真相があきらかにされて初めて、それらの何気ない描写が意味するものを知ることになる。

 目の前で起こっている理解不能な出来事に対して、中途半端な情報や思い込みによって、一度間違った結論が導き出されてしまった後に、さらにそれを上回る真実が提示される――言ってみれば、ワトスンの間違った推理に対してホームズの正しい推理が示される、というパターンをひとりでなぞるような展開が本書の主軸となっている。そしてこのテクニックは、最初に示される推理がいかにも信憑性のあるものであればあるほど、サプライズ効果もまた大きくなる。本書に対して私が断言した「高い完成度」とは、まさにこの効果の巧みさを指すものである。そしてそれを考えたとき、本書に登場する人たちの職業についても、大きな意味をもっていることに気がつく。

 『迷走』では救急救命士、『傍聞き』では刑事、『899』は消防士で、『迷い箱』の設楽結子は、出所者の社会復帰を支援する施設を管理する立場にある。いずれも犯罪や災害といった、できればかかわりになりたくはない出来事に関係する職業であるが、それは犯罪や災害が基本的に人を不幸にするものであるからに他ならない。だが本書を読んでいくと、そうしたものがもたらす不幸の多くは、じつは犯罪行為そのものではなく、犯罪行為の裏に隠された真実に対して、無自覚に目を閉じてしまっている私たち人間の無理解から来ているのではないか、と思わずにはいられない。とくに『迷い箱』については、一度犯罪に手を染めた人たちに対する偏見――犯罪を繰り返すような異常な人間性をそこにあてはめようとする偏見がテーマとなっており、深く考えさせられるものがある。

 世のなかには、どうしようもなく堕落した性格の持ち主や、サイコパスのように、どこかに異常性を抱え込んだ人たちが存在するのも事実である。だが、その事実がありとあらゆる犯罪に適用可能な万能解というわけではないし、世界はそんなに単純なものでもない。複雑な物事を単純化し、それで良しとしてしまう思考の簡略化――それ自体は悪いことではないのだが、そうした簡略化がついつい招いてしまう誤解や偏見とどう向き合っていくかというのは、私たちが人間である以上、それこそ常に考え続けていかなければならない命題でもある。そうした命題に鋭く切り込んでいる、文字どおり切れ味の鋭い短編ミステリーの極致を、ぜひ堪能してもらいたい。(2014.11.15)

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