【早川書房】
『華竜の宮』

上田早夕里著 



 温暖化などの環境異変によって陸地の大半が水没した世界、というものにある種の魅力を感じてしまうのは、たとえば深海や宇宙、あるいははるか彼方の未来といった、人跡未踏の世界に対する好奇心と似たようなところがあるからだろう。もちろん、もしそんなことが現実に起こってしまったとしたら、私たちの生活様式はもちろん、それまで陸地があることを前提として築き上げてきた文明社会が大きく変容させられることは必至であり、それ以前に人類全体にどれだけの被害と混乱がおよぶことになるのか見当もつかない。だが、以前とは大きく異なる地球環境において、その激変を生きぬく必要に迫られた人類がどのような知恵を絞り、どのようにしてその困難を乗り越えていこうとするのかを考えるのは、私の心をひどく興奮させるものである。なぜなら、そこにはなんら付加価値をもつことを許されない、ただひたすら「生きる」ことに必死になった人々のむきだしになった心のありようが垣間見えてくるからであり、それは必然的に私たちに「人間とは何なのか」という命題と向き合う機会を与えてくれるからでもある。

 今回紹介する本書『華竜の宮』は、同著者の短編『魚舟・獣舟』の世界をより深く掘り下げて書かれた作品であるが、個人的には『魚舟・獣舟』の、短編でありながらもその完成度の高さを評価していたがゆえに、その同一世界を舞台とする長編小説の本書について、長編であるがゆえの冗長さなどの欠点が出てしまうのではという危惧から、なかなか手にとることができずにいた。結果から言うなら、そんな私の個人的な危惧などまったくの杞憂であるばかりか、それを上回る感動と驚異をもたらすものであった。

「ひとつだけ断言できることがある……。いまの姿を保っているからこそ人間だ、これが人間の最も理想的な形なのだ、という価値観は、これからの時代、幻想に過ぎないわ。――(中略)――でも、一個の生物としては、だから何だという気もするの。」

 ホットプルームの活性化による海底隆起が、二百メートル以上もの大規模な海面上昇を引き起こした<リ・クリテイシャス>――陸地の大半が水没するという未曾有の災害に対抗するため、人類の一部は災害を食い止めるのではなく、自らの遺伝子操作によってあらたな環境に適応するという選択肢をとった。広大な海原をあらたな生活の場とするため、巨大海洋生物「魚舟」を船として飼い慣らす海上民たちは、自給自足型の、集団社会よりも個人に重きを置く人類として、陸地に残ることを選んだ陸上民とは異なる文化と社会を形成していくことになった。

 同じ人類でありながら遺伝子レベルで二種類に分かれ、それぞれ海と陸とに住み分けることで、つかの間の安定を得た未来の地球を舞台とする本書において、「僕」という語り手としてしばしば登場するマキという名のキャラクターは、じつは人間ではない。「アシスタント知性体」と呼ばれる、固有の肉体を持たない高度な仮想人格プログラムで、陸上民が子どもの頃に与えられ、自身の思考補助パートナーとして生涯利用することになる、言ってみれば人工の知性体だ。日本の外交官として海上民同士のトラブル対応にあたっている青澄誠司のパートナーである彼に、あえて一人称としての立場を与えているという本書の構造は、その著作において常に人間の倫理観や人が人でありうる境界線といったものをテーマとしている著者の意思の表れでもある。

 海上民における「魚舟」は、たんに生きた居住区というだけではない。常に双子を出産する彼らの、その片割れがいったん海に放たれ、成長して戻ってきたものこそが「魚舟」であり、彼らにとってはまさに血を分けた兄弟であり、家族である。海上民における「魚舟」と対比するものとしての、陸上民と「アシスタント知性体」という構図は、海上民のように遺伝子操作を受け入れず、陸にしがみつくことを選んだ陸上民が、私たち読者のとらえるところの「人類」であるという認識を切り離してしまおうという意図がある。それは言い換えるなら、魚舟もアシスタント知性体も――さらにはそれ以外の生物全般もふくめて、地球という環境に生きる者としてひとくくりにとらえようというダイナミックな視点をもっている、ということでもある。

 アシスタント知性体であるマキは、ネットワークを通じて情報収集したり、パートナーの体内にリンクして身体機能を調整するといったことが可能であり、それゆえに本書では、本人のいない場所であっても物事を見聞することができる。一人称でありながら同時に三人称的でもあるという彼の存在は、私たち読者にとっては未知の世界である本書にはおあつらい向けのものだ。陸上の特定の国家に帰属しないタグなし海上民たちの船団に問答無用でタグを取得させ、徴税対象としようとする日本政府の意向を受け、海上民の女性オサであるツキソメと交渉することになった青澄は、とかく対立しやすい双方の立場を尊重しつつ、最終的にはどちらにとっても利益の出るプランとなるような道を模索していくことになるのだが、青澄だけでなくツキソメや、さらにはタグなし船団を海上強盗団と同様、駆除の対象とすることを決定した汎アジア連合の暴挙から、海上民をできうるかぎり安全に逃そうと行動する海上警備隊のツェン・タイフォンといった人物の主観を行き来する本書の構造は、災厄後の世界を広くとらえるというだけでなく、その激変した世界で相変わらず自分勝手で愚かな行為を繰り返す人類のなかでも、理性と知恵をもって生きようと苦悩する人々の姿をより鮮明に描き出すものでもある。

 ただし、それはマキがただアシスタント知性体だからという理由だけでは成立しない。彼が他ならぬ青澄誠司のアシスタント知性体だからこそ、とりうる視野なのだ。なぜなら、どれだけ双方に深い対立があり、どうあがいても歩み寄りなどありえない状況であったとしても、けっして暴力や武力といった方法を選ばず、言葉だけを武器に、双方が納得するような道を模索することをあきらめない青澄の精神は、彼のパートナーとして、彼の思考の補助をずっと行なってきたマキ自身のものでもあるからだ。

 人間は不思議な生き物だ。――(中略)――こんな壮絶な二律背反を抱え込んだまま、気も狂わずに日常を送れる<人間というシステム>に、僕は心底驚嘆している。この複雑さというか、いい加減さは、アシスタント知性体には有り得ないものだ。

 政府官僚同士の血なまぐさい権力闘争や、各連合国家の複雑に絡み合う思惑に翻弄されながらも、人間が人間であるための静かな戦いをつづける青澄たちの姿は、このうえなく美しく尊いものだ。だが、ただでさえ人間の身勝手さが生み出した技術の一端が、まるでしっぺ返しのように彼らに過酷な環境をもたらしているという現実だけでも大変なのに、本書ではさらなる試練が彼らを待ち受けている。<リ・クリテイシャス>をも越える大災害の予兆――こうして物語は、ちっぽけな人間の思惑や活動をとらえる人間ドラマから、人類規模の壮大な視野をもった物語へと昇華されていくことになる。はたして人類の運命はどうなってしまうのか、そしてそんな地球の予兆を前に、人々は何を思い、どのような行動をとることになるのか――そんな物語のクライマックスを考えたとき、私たちは一人称の語り手としてアシスタント知性体を選択した著者の真の狙いを知ることになる。

 物語のなかで、人間の本質は腐敗であり、悪であるというセリフがある。権力を持った者が腐敗するのではなく、権力が人間のもともとの資質である腐敗を見えやすくするだけだというこの考えは、非常にストイックなものではあるのだが、人間をあくまで論理の範囲で捉えようとするアシスタント知性体の視点は、犯した罪を償い、豊かな想像力と知恵でその本質だけが人間のすべてではないと信じ、行動することによってその本質さえも変えていこうとする人々の心も同じように人間のありようとして捉えていく。そんな人々の生きる姿を描き切った本書には、まさに人類にとっての救いとは何なのかを考えさせられるだけのものが、たしかにある。(2013.01.05)

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